「顔」と「顔でないもの」。この二つは、人間の脳にとって重要な違いらしい。生後まもない乳児でさえ「顔好き」の傾向がある。顔に似たものと、そうではないものを見せると、顔に似ている方を見つめ続ける▲世の中に何百、何千と顔があるのに、その中から「誰々さんの顔」を見分けられるのも、考えてみれば不思議な話だ。この仕組みを解明する鍵に「人種効果」や「年齢効果」がある。日本人なら日本人の顔の方が、白人や黒人の顔より区別しやすい。大人は大人の顔を、子どもは子どもの顔を見分けるのが得意、という現象だ▲なぜそうなのか。ひとつの考えは、脳が「全体的な処理」を行っているため、というものだ。目、鼻、口などを別々にとらえるのではなく、顔全体として認識する。日本人なら日本人の典型的な顔モデルが脳の中にでき、それをもとに顔を見分ける。人種が違うとそれが難しくなるという考え方だ▲これが本当だとして、顔の特徴がどう変わると、同一人物だとわからなくなるのだろうか。市橋達也容疑者の「整形前」と「後」を見比べると、目や鼻など、個々の要素はさほど変わらない。だが、確かに顔全体の印象は違う▲それにしても、顔を変えての逃走とは推理小説のような話だ。まさかと思ったのか、警察が整形クリニックに手配写真を配った様子もない。気づいていた医師がいたのかどうか。「なぜ」と怒る遺族の気持ちは想像に難くない▲鏡に映った自分の顔を「自分」と認識できるのは、人やチンパンジー、ゾウなど限られた動物の「特権」でもある。変化する鏡の中の自分を市橋容疑者はどう眺めたのか。これは想像がつかない。
毎日新聞 2009年11月8日 0時06分
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