0・03%。厚生労働省の雇用均等基本調査で、07年度中に男性が介護休暇を取った割合だ。女性の割合は0・11%。親や伴侶に介護が必要になった時、男性が手を挙げることは、仕事上の役割などを考えるとより高いハードルがある。そんな中、茨木市の市立中学校教諭、堀田裕明さん(51)は、06年秋から4カ月間、介護休暇を取得した。リンパ節やリンパ組織から生じたがん「悪性リンパ腫」と闘う妻純子さんを支えるために。
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夫婦は共に教員で、当時、純子さんは同市立の小学校に、裕明さんは同じ校区の中学校に勤めていた。純子さんが体の異変を感じ始めたのは05年8月。胃の痛みで、リビングに体を横たえる時間が増えた。
4カ月ほど前の3月末、人間ドックで甲状腺がんの疑いを指摘され、新学期早々、病気休暇を取って検査したものの経過観察と言われていた。だが、再び受診しても原因はすぐ特定されない。食事が取れなくなり、小学校の運動会の練習を、スポーツドリンクだけでしのいだ日もあった。悪性リンパ腫の診断にたどりついたのは12月、47歳の冬だった。
12月28日。入院の朝、中学3年の長男、直輝君と小学3年の次男、健悟君との家族4人で写真を撮った。「必ず元気になって帰ってくる」と誓い、4カ月に及ぶ抗がん剤の治療が始まった。
ほどなく、髪が抜ける副作用が出始めた。だが、体調が良ければ、週末に自宅に帰れ、食事もできた。病気の身でも、2人の子が気にかかる。特にまだ幼かった健悟君の不安と寂しさを思い、家に帰るたび、2人で一緒に布団を並べた。学校の授業参観にも外泊で赴き、張りきる小さな背中を見守った。06年3月、直輝君の中学校の卒業式にも駆け付けた。
6月になり、新たに投与された抗がん剤は、効果が出なかった。夏になると、食事を吐くようになり、背中の痛みも訴え始めた。夕方の面会だけだった裕明さんも、朝夕の2回訪ねるようになった。
10月の日曜日、健悟君の運動会のビデオを病室で見せた後、帰宅した裕明さんに、純子さんから震える声で電話が入った。「もう1回来て、早く来て」。こんなに不安をさらけ出したのは初めてだった。再び病院に戻り、車いすで病院を回り、気持ちが落ち着くのを待った。
そんな時、裕明さんは中学校で教頭に声をかけられた。「介護休暇を取ってはどうか」【青木絵美】
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毎日新聞 2009年11月3日 地方版