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ホーム/政治学者 森田浩之の政治って何だろう?

第14回 イデオロギーとしての新自由主義

 

私は最近、暴論と知りつつも、1980年代こそ現在の諸悪の根源だと考えている。バブル経済は2つの病理をもたらした。拝金主義と新自由主義だ。




1.拝金主義とバブル崩壊

バブルによって、人々は浮かれ放題浮かれた。先行きの見通しもなく、不動産価格は永遠に上がり続けるという、まったく根拠のない幻想に惑わされ、借りるほうも貸すほうも自分を金持ちと勘違いするようになった。

この実体的には全然基盤のない資産価格の値上がりで、人々は狂ったようにブランド品を買いあさり、高給食品をむさぼり食った。金がすべての世の中になったのだ。

そして無残にバブルが崩壊した。かつて「失われた10年」といわれたが、日本はまだ立ち直っていない。自民党的なんでも先延ばし戦略で、経済は根から腐ってしまった。




2.貧富の格差というツケ

1980年代はもう1つ、新自由主義という病理を残した。これは学問的には市場経済主義だが、現実政治的にはこれに倫理的な介入主義が加わるため保守主義と同盟する。新自由主義は保守主義と手を組むことで、リベラルや社会民主主義を駆逐した。

とくに小さな政府論は福祉の拡大を妨げた。これに拝金主義が加わることで、金が生まれる行為だけが善とみなされ、資源が金を生まない行為に使われると、「無駄遣い」という烙印を押されることになった。

弱者救済は経済を成長させない。失業給付は怠惰な労働者を甘やかすだけ。福祉は自助努力を減退させるため、医療や年金は自己責任方式にすべき……。

日本国民はこの極論に惑わされて、低福祉・低負担を支持した。ここにはそれなりの背景がある。汚職で政治に対する不信感が広まった。政治家に大切な金を預けてはならないから税金は低くして、その金は政府ではなく、稼いだ本人が責任をもって使うべき……。

だが、われわれはこの極論を信じたばかりに、非常に重い病を患うことになった。貧富の格差という病だ。今回の政権交代はこの病を治療する第一歩にすぎない。われわれは10年、20年の単位でこの運動を推進していかねばならない。




3.均衡する市場

私は経済学の専門家ではないから、絶対的な信念はないが、素朴な疑問として、新自由主義の理論的前提には賛同できない。新自由主義は市場に任せておけば、すべてはうまくいくと考えるが、その背景には需要と供給は必ず均衡するという見方がある。

需要と供給が均衡するというのはどういうことか。ここにワイシャツ市場があるとしよう。A店は1枚2000円で、B店は1枚3000円で売っている。消費者は価格という指標をもとに行動を決める。要するに消費者はA店でシャツを買うのだ。

B店は客が取られたままでは困るから、コスト削減努力をして価格を下げようとする。結果、シャツ業界にイノベーションが起こり、消費者は安く買えるから喜ぶ。

確かにこのような市場は存在するから、条件が整うところでは、市場は均衡する。問題はこの考え方をすべての業界に持ち込もうとすることだ。市場の特性によっては、需要と供給は最適な価格では一致しない、つまり均衡しないこともある。




4.市場均衡の条件

市場が均衡する条件は完全競争と完全情報だ。前者はその市場への参入・退出が容易で、かつ無数の業者が市場に登場し得ること。後者は売り手も買い手も同じ内容で、同じ量の情報を知っていること。

では本当にすべての市場でこの2つの条件が同時に満たされるのか。完全競争の条件を満たすためには、市場への参入・退出の費用が小さくなければならない。たとえばシャツの生産者であれば、工場を建てなければならないが、この費用が数十億円かかるなら、多くの業者が参入できるわけではない。

また失敗した場合には退出することになるが、参入のための費用が大きすぎれば、退出時に莫大な借金を背負い込むため、不安なら最初から参入しようとは思わないだろう。

ただシャツならまだいい。これがもっと費用がかかる業界なら、参入者がそもそも1つしかないこともあり得る。これについては後述しよう。




5.モラルハザード

完全情報のほうだが、この条件を破る状況として2つ重要なものがある。モラルハザードと逆選択だ。前者は売り手が買い手の情報を知らない場合で、後者は買い手が売り手の情報を知らない場合。

モラルハザードの典型例は民間の医療保険市場。売り手は保険会社で、買い手が加入者だ。保険会社は利益を上げねばならないが、その最善の方法は健康な人たちだけの加入を認めて、保険料を取るだけ取って、できるだけ支払わないようにすること。

一方、加入者は病気をしても保険会社が治療費を払ってくれるから、日ごろから努力して、とくに自費で健康を維持しようとは思わない。さらにタバコを吸うことで健康を害しても、保険会社が救ってくれるなら、不快な思いをして禁煙する必要もない。

加入者は都合の悪い情報を隠そうとする。これをモラルハザードという。一方、保険会社はだまされて不要な医療費を支出することで損をしたくないから、節制している人とそうでない人を見分けようとする。これをスクリーニングという。現実には民間医療保険に入る場合、事前に健康診断を受けねばならないが、これがスクリーニングの一例だ。




6.金融のモラルハザード

モラルハザードは規制当局と規制対象企業との関係にも適用される。先月はリーマン破綻1周年だったが、当時もその後もアメリカ政府の関心はモラルハザードにある。

破綻直前、財務当局はリーマン救済について議論したが、最終的に当時のポールソン財務長官は、「自分は金融機関の救済者にはなりたくない」と意地を張り、リーマンを破綻させた。

彼の頭にはモラルハザードがあったのだ。ここでリーマンを救えば、「サブプライムのように無謀な貸し出しをして結果的に破綻しても、政府は救ってくれる」という意識を金融業界に創り出してしまう。これを容認すると、いつまでも向こう見ずな貸し出しは続く。見せしめに大きな銀行を破綻させねばならない……。

しかしリーマンが破綻した途端、財務担当者たちの頭に3つのアルファベットがこびりつく。「AIG」すなわち世界最大の保険会社アメリカン・インシュアランス・グループだ。AIGが破綻すれば、保険加入者は保険を失うが、さらにその保険料の投資先まで破綻する。この破局的な連鎖破綻が懸念されたため、新自由主義の申し子のブッシュ政権は嫌々ながらも、不良債権買取策を議会に働きかけることになる。




7.逆選択

逆選択は、今度は買い手が売り手の情報を知らない場合だが、典型例は中古車市場だ。多くの買い手は見た目だけでは、車の真の状態を知ることはできない。外見を整えておけば事故車であることを隠せるし、店先でエンジンの性能を見分けることも不可能だ。

中古車屋は最初は良心的にコンディションのいい車をそれに相応しい値段で売ろうとする。しかし買い手には見分ける能力がないため、彼らは損をしたくないという防衛本能から、すべての中古車は粗悪品だという前提のもとに中古車を買おうとする。

買い手は値段をみて、高すぎると判断するから、その車を買わない。中古車屋は売れないから、高い値段しかつけられないコンディションのいい車を店に置かなくなる。結果、中古車市場に粗悪品しか存在しなくなる。

もちろんこれら2つの問題を解決するために、政治に頼る必要はない。経済学の最前線にはインセンティブ理論と呼ばれる分野がある。ここでは売り手と買い手が正直に情報を開示するインセンティブ(動機)を制度的にどう創り出すかが研究されている。

しかし、世の中にあるのは新自由主義が考えるような均衡市場ばかりではないことは確実のようだ。




8.固定費用と不完全競争

次に不完全競争をみてみよう。参入・退出コストが大きすぎれば、参入者が少数または1つに限られ、完全競争は成り立たないから、価格という情報だけで需要と供給が一致することはないことだ。

この参入コストが固定費用だ。先述の工場がそれにあたるが、要は1つめの製品を生産する前までに用意しておかなければならない設備の費用のこと。

一方、1つ1つの製品をつくる際に必要な、個々の生産過程に切り分けられる費用を変動費という。1個1個の製品になる材料費や、その1つ1つをつくる際に使われるエネルギー費など。

通常、経済学では、完全競争下では価格は限界費用に近づくといわれる。限界費用という概念は現実の企業会計にはないから、これは変動費に相当する。

固定費は支払い済みだから、それ自体が回収できなければ生産しないということにはならない。しかし1回の生産ごとに用いられる変動費さえ回収できないなら、生産しないだろう。だから変動費以上だったら生産を続けようとするから、完全競争のもとで価格が下がっても、変動費以下には下がらない。




9.新自由主義の狂信性

さて、固定費が莫大にかかるために完全競争が成り立たない業界とはどんなものか。旧国営産業がそれにあたる。固定費、いいかえれば初期投資費用がかかりすぎるため、民間企業ではそれほどの資金調達が可能でなく、かつ開業後すぐに初期投資費用を回収できる見込みがない産業だ。

しかしそれでも国民生活にとって必要な場合には、税金を投入して国の産業として行なうことになる。電気、ガス、水道、電話、鉄道、航空、炭鉱などである。

国営産業の多くは1980年代、新自由主義の影響下で民営化された。もちろんすべてが間違っていたわけではない。というより成功例は多い。しかしそれは各業界が完全競争になったからではない。いまでもこれらの業界は完全競争ではない。

もし完全競争が相応しくない業界に、無理やり競争を持ち込もうとするとどうなるか。最終的には売り手か買い手がそのツケを支払わねばならない。

以上のような素人による簡単な説明でも、市場が均衡しない場合があることが理解できる。さらに重要なのは、モラルハザードにしても固定費用にしても、これらの道具が経済学内部から来ていることだ。経済学的にも市場が均衡しないことが証明されている。

ここから次のことがいえる。新自由主義、いいかえれば市場原理主義は客観的な理論でも事実でもない。それは宗教的な信念にすぎない。新自由主義は1980年代というポスト・イデオロギー時代の代表のように思われているが、これ自体がイデオロギーなのだ。

 

(このコラムは毎月1日と15日の月二回。次回は11月1日です。)




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