本日の沖縄タイムス記事は保存-2009年10月4日
沖縄タイムス社には市長の子弟がおられる。
私に裏を取る事もせず、報道した。
犯罪者側に、同じ思想だからというだけで付いた。
よくよく、このおかさしさを、今、体感する必要がある。
沖縄タイムスが私の兄の民事、それも強引に示談された件を、執拗に記事にした。
これはもう、そのことが事件ではないか。
その記事の経過がネットに置き土産となっていて、私は今回、警察へ行った。
市長事件のことを知っている人間が多く、兄の件に関わっている。
ビラ配り、ポスティング、街宣。
普通の人ができない行為だ。
左翼運動家という名前を初めて知った。
今年の8月のこと。そこから調べていくうちに、闇の図式がはっきりと書きあがった。
私は、時効があるのを知っていた悪質な市長に反撃をしているだけではない。
この全体の闇の図式をここで言葉にして表していくだけだ。
新聞が表現の自由なら、私も表現の自由だ。
読んだか? 事件の日の詳細を。何故、事実無根の人間なら他人の口座にお金を振り込むか。ホットラインから脅すのか。
県外取材に二度も逃げ、待ち合わせたように、お仲間が守り。お仲間TV、お仲間新聞とつるまないとやれないのか。
隠すものが多いのだろう。それに手を貸している報道。
私は一人で立つ。
これをよく見るがいい。
この男のこの数日の動きと、私の対比を。
それでも読み取れないなら、それは仕方がない。沖縄だけが閉塞空間になればいい。
創価学会が関係していれば司法も敵とどなたかアドバイス下さいましたが、市長の妻がエホバの証人、その姉妹が創価学会。票は創価学会で得てきたようなもの。
これは本人が飲んで豪語していた。また妻の長い電話で、これもダラダラと聞かされたことがある。
だが何かを信じたいという原点は、誰もが苦しみから始まったはずだ。
創価学会もエホバの証人も何も自分達のことしか考えない特定の個人を助けるために、それぞれの信じているものに背を向ける必要はない。
彼ら夫婦は欲張りだ。あなたがたの益を守ろうという心意気などない。
それぞれが苦しい時代となった。
目覚めよう、家族のために。そう思います。どこからでもいい。立ち位置はそれぞれだ。
私は思想団体、宗教団体を否定するものではない。
ただ今のこの有りように、警告を発する必要を感じている。
私は金も健康も十分ではない。
だが良心のある証言者も名乗りを上げてきた。みな普通の生活者だ。
事件関連の詳細な記述は、私への法的制裁が下るまで続く。
何故なら、これしか方法がないからだ。
沖縄タイムス社の動きは読めていた、何より単純な市長行動は、私も周囲もこれまでで嫌というほどわかっている。
弁護士、二名。
さて子ども二人は公務員にしたし、あと一期努めれば、20年、これで県立の時と同じだ。さて何がもらえるのだろう。
しっかりちゃっかり足元固めて、欲張って、
自分の命だけ地球より重くして、
沖縄県民が、のんびり生きようが私にはもうどうでもいい。
創価学会が司法に関係していようがどうでもいい。何も不安を感じない。
要は、市長が、引き伸ばし、コトが自然に消えていくのを待ち、またしっかり20年目指して欲が疼いて出てくるだけの話だ。
他の方々は関係ない。私は見たこと、経験したことだけを書く。私の知らないところで頑張っておられる優秀な方々を、自分の程でどうこうしようなどとは思わない。
聞かれたら素直に全部話す。記録の習性だけは20代から少々達人の域だと思う。仕事でケースを書いたり、相手の言い分をそのまま書いたり、スピードも速い。
公開されると。全部吐き出せるから、正直嬉しい。
みんなが意味がよくわかる、全部話せばそういうことになる。
二極化、沖縄県の7割の児童生徒が貧困家庭にあるという。聞くだけで胸が苦しくなる。
ここは共産国家ではない。
上だけが潤いを巡回させる性質は、日本の国民性には合わない。
また正義を見ぬふりの報道も本来、日本国らしくない。
これを体感する。貴重な時間だ。自分たちを取り巻く得たいの知れないもの、それが将来の子供達を苦しめる。
目的のためなら手段は選ばない。沖縄タイムスの今回の報道姿勢にそれを見た。もう日本の報道機関ではない。
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