F東京 2 - 0 川崎F (14:09/国立/44,308人)
得点者:22' 米本拓司(F東京)、59' 平山相太(F東京)
★ヤマザキナビスコカップ特集ページ
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5年前は前半29分、ジャーンの退場から誰も描けないシナリオは動き始めた。そして今年は、前日練習を終えたとき、ズキズキとした胸の痛みから優勝へのドラマは始まった。
城福浩監督が、決勝でのベンチ入りメンバー18人を決めたのは試合前日の朝だった。前日練習を終えて、選手に明日のメンバー入り選手を発表した。その中に浅利悟の名前はなかった。5年前、けがでベンチを外れてスタンドから選手を見守った。引退を決めた今年、浅利にとっては最後のチャンスだった。練習後、浅利はファンサービスゾーンを横切り、クラブハウスの中へと消えていった。小平のロッカールームでは、藤山竜仁との2人になった。
「前回あいつ自身がけがでメンバーに入れなかったので、俺も一緒にメンバーに入りたいという気持ちでずっとやってきたから」(藤山)
東京ガスFC時代もFC東京へとチームが変わっても、ともにチームを支えてきた。いつも笑顔が絶えない浅利を見てきた。チームの中では互いが拠りどころだった。その仲間が目の前で声を上げた。藤山は背番号7のユニフォームを中に着てゲームに臨むことをこの日決めた。
前日、城福監督は苦しい胸の内を明かしていた。
「明日のことなんて考えられない。前日の今は、外れたメンバーのことしか考えられない。この決断は、明日勝つことでしか証明できない。もし負ければ…」
次の言葉は仕舞い込んだ。不安は捨てて、決勝戦に勝つことしか考えなかった。指揮官もそれだけ追い込まれていた。「最後までずっと一人で悩んでいた」。監督の傍らで苦渋の決断を見ていた奥原崇コーチも、そう証言している。
そして、迎えた試合直前のゲームミーティングで選手に伝えた。「彼の思いも背負ってピッチに立とう」。そう言って選手を送り出した。
ゲームがスタートする。浅利はスタンドから選手を見守った。隣にいた石川直宏は「何て声をかけていいのか分からなかった」。19分、谷口博之からジュニーニョへとボールが渡るが、シュートは枠を外れる。スタンドで観戦していたメンバーには「今日は何かが起こるぞ」という確信めいたものがそのとき湧きあがっていた。
そして22分、中盤で米本拓司がボールを受けると、ターンしてそのままボールを運んで平山相太へと預ける。再びボールを受け取ると、右足に力を込めた。無回転の弾道は揺れ落ちてGK川島永嗣の手を弾き飛ばしてゴールネットへと突き刺さった。その瞬間、米本はその場で飛び上がっていた。このゴールでリズムを掴むと、前半はそのまま1-0で折り返した。
後半に入ると、リーグ最多得点の川崎Fがその攻撃力を見せつける。次々とゴール前で決定機を作られ、ピンチを招いた。それでもGK権田修一と守備陣が踏ん張り、失点を許さない。すると、59分、カウンターから左サイドを鈴木達也が突破する。それに合わせて逆サイドを平山相太が走った。鈴木はさらに縦へと突破してクロスを上げる。平山はそれに飛び込み、ゴールネットを揺らした。ダメ押し点を決めてからは守りを貫いた。長友佑都、平松大志、佐原秀樹がピッチへと入る。
佐原は昨年チームに移籍すると、レギュラーとして活躍した。だが、今年はけがもあり、先発メンバーを外れた。それでも文句の一つも言わず、ここまで練習に取り組み続けた。
「思うことはある。でも、自分よりも年上のサリさん(浅利)とフジさん(藤山)が文句も言わずにいつだって真剣に取り組み続けている。その2人がやっているのに、僕が練習で手を抜くわけにはいかなかった」(佐原秀樹)
残りの時間は必死に守り抜いた。そして、5年ぶりに聞く歓喜の笛の音が鳴った。選手、スタッフ全員がピッチで無邪気にはしゃいだ。誰彼と抱擁が始まり、労をねぎらった。チームメイトの笑顔の脇では浅利が泣いていた。
「サリを外すのは本当につらい決断で、嘘偽りなく彼が一番練習で頑張っていた。メンバーを発表したときの彼の表情だとか、そのあと彼がロッカーに帰っていく後ろ姿も見ていた。そのあと号泣している話を選手から聞いた。彼の無念さ、どれだけこのピッチに立ちたかったと思うと。彼が練習をやり続けていたからこそ、選手はサリさんが外れたというのを強く受け止めた。だからフロンターレや決勝の重圧は吹き飛んだのだと思っている。決勝で自分たちの力を出せたのはサリのおかげだと思っています」(城福監督)
歓喜の壇上。藤山は5年前と同じく列の2番目に並び、カップを受け取った。今年も、羽生直剛とともに一段高い場所で背番号8はそれを掲げた。ただ、表彰式から降りてくるときは1枚脱いで中に忍ばせていた背番号7のユニフォームで降壇した。
試合後、浅利はゴール裏のサポーターの前で胴上げをされた。サポーターも知っていた。この日のヒーローは、ピッチに立てなかった背番号7だったのかもしれない。浅利は「チームは5年前よりも成熟してきた。試合運びも優勝を争うチームに相応しかった」と、ピッチで戦った仲間の優勝を喜び称えた。ただ、少しずつ込み上げてくるものがあった。「あの場所に、フジさんと一緒に立ちたかった」。言葉に詰まり、繕った笑顔は最後には崩れて男泣きしていた。それは浅利が見せた悔し涙だった。
毎年のように自分のポジションにはライバルがやってきても生き残ってきた。両足の後十字靭帯は切れてしまっている。朝起きると、すぐには立ち上がれない毎日を送ってきた。足首の慢性的な痛みはいつ悲鳴を上げてもおかしくない状況だった。それでもピッチではいつも全力を出し続けてきた。その姿を選手はずっと側で見てきた。負けるわけにはいかなかった。
まだすべてが終わったわけではない。背番号7と優勝を喜び合いたい。それが今のF東京のモチベーションとなっている。この日、スポットライトを浴びることのなかった浅利悟というサッカー選手がうれし涙を流す姿を僕は見たい。
以上
2009.11.04 Reported by 馬場康平