何故、訴えるか。
日本が危ない!
過激な言葉だが、この言葉以外、見つからない。
目からウロコが落ち、沖縄全体に覆う闇から私は、今、脱カルトを果たした心境だ。それが、
2002年9月15,16日という7年前の事件を、私的解決ではなく、公的な解決へと視点を変えさせた。
現職の石垣市長に性的暴行を受けた。事件直後、本人から示談の申し出があった。本人提示額、2000万円。私の年収を体調回復年数にかけた額。
2004年、7月に50万円の振込みがあった。
加害者に全て決めさせるのも不本意だったが、公開は困るという本人の意向に7年の歳月が経った。当然、忘れていたわけではない。詳細は、別で書いているので、ここでは割愛する。
2009年、8月。
日付は覚えていない。友人へ送るポストカードを買うために本屋へ夫婦で出かけた。
市長にとっては不幸、私にとっては、天命を聞いたとも思える日。
事件後、夫がニュース断食として、私からTV、新聞、雑誌等を遠ざけていた。
本屋の中央に平積みのコーナーがあり、山積みの間が一部窪んでいる。
「WiLL」
自衛官の制服姿の男性がまっすぐこちらを見ている表紙だった。売れているのだろう。残り3冊。他は山積みだ。
まっすぐな目を見るのは、とても久しぶりな気がした。温かく懐かしい感じがした。
手を伸ばして読んでみた。久しぶりに活字に触れた。
「田母神論文」
さっと読んだ。コミンテルン、ふと何かがわかった。
夫を探した。活字は断食中だ。だが見当たらない。本を置いて夫を探す。
途中、ふと妙な視線を感じて一冊の写真集に目がいく。沖縄コーナーだ。
避けたい場所。だが女性の目が重なるように表紙になった写真集に手が伸びた。
気味悪かったが、著者を知っていた。めくって、著者のYさん一家が家族で芸術を語り、反戦を語っているのを読んだ。
続いて、亀甲墓を背景に、女性のヌーディな足が大胆なV字で逆さに撮られている。
あまりにも気分が悪くなり、写真集を置いた。
まだ反戦を武器に商売する輩が存在していたのか。卑怯だなと不快感が増す。
沖縄で反戦を語れば金になる。日本が危機にあるというのに、どこからまだ金をむしり取ろうとするのか、いつまで自虐ネタで、新聞社とつるんで商売する気か。
いっきにそんな思いが涌いた。自分でも驚いた。
私も新聞社から文学賞をもらったことがある。その時の審査員の先生に呼ばれた。
私が特別押した。あなたはここでは芽が出ない。中央に来なさい。
当時は意味がわからない。1990年のこと。
そのあと、私は軍用地主の資産家の息子と結婚した。反戦運動に関する県民大会へは必ず参加すること。そして山積みのお金の配分。軍用地代金が山分けされた。運動は、この金とセットだと気づいた。すぐにその家を追い出された。
反戦運動をすれば金や地位が手に入る仕組み。私には肌に合わないことだった。反戦小説も肌に合わなかったのだろう。一度も書いていない。
私は、自己憐憫が好きではない。
自分で撒いた種は自分で刈る、自己責任。生き方だけははっきりしている。
たぶん生理的に「沖縄カルト」 に嫌われ、追い出され続けてきたのだと、だんだん思い当たる。
田母神元空幕長の写真にまた足が止まった。
軍人は人を殺す、それが沖縄の教えだ。
写真集のYさんご一家は温厚ないい人たちで通っている。
戦争など見たこともないはずの娘さんが、反戦を武器にした写真集。写真家は変われど、何度か目にしてきた写真集のパターン。
二つの対比で、夢から覚めた。完全に「沖縄カルト」 から醒めた。
誠実と温かさを田母神氏から、偽善と残忍さをY家から、感覚がそう捉えた。
「反戦商人」 日本人を潰すのは、「沖縄カルト」 彼らのほうだ。
全身総毛立つ経験だ。逆転した。
「買っていい?」
夫が、いいよと答えたので、7年ぶりに雑誌を買った。
いっきに読んだ。目からウロコが落ちたので、はっきり読める。何度も読んだ。
その夜は、夫も息子も読んだ。一週間、奪い合うように3人で読んだ。
私達は完全に目が醒めた。
仕事をまっすぐ誠実に続けて極めていくと、どんな分野でも人は大切な何かを知る。私欲を超えた公的な貢献、仕事の匠は、それを捉える。
戦争は嫌です。ですが実践のスピリッツを問われて、ある、ときっぱり答える。田母神氏は仕事人だ。どんな仕事に就いておられても一流になられる方、それが伺える。
誰が読んでいるか、聞いているかもわからない、「時の人」 の発言。それも元幕僚長。
あの答え方の聡明さは類をみない。微妙な質問だった。
そのあと、私は、石垣市長が犯した事件と、私の兄が新聞社に叩かれ続けた事件の繋がりに気づく。そして、沖縄の政治家の実態、弁護士の関わり、左翼運動家の存在、蔓延する全体主義を知った。
本屋からわずか2週間。
「沖縄カルト」 の中で、あわや私は現職の石垣市長の性的暴行事件をなしにする、という愚かな事をしてしまうところだった。
そのまま体験したことを忠実に書く。届ける。これが私の受けた天命。
戦う前に、武士の習いとして、一度は示談を受けたので、再度確認を取った。
日付を決めた。そのあと全てを公開しますという条件をつけた。
市長は、私がまだ、「沖縄カルト」 の信者で、脅せば黙ると思ったようで、市長本人しかかけられない、いわば、ホットラインから脅迫の電話をかけてきた。
2004年3月31日まで私は公務員であった。
当時市民に報告する義務があったにも関わらず、私の弱さゆえに7年が過ぎた。
石垣市民に深くお詫び致します。私も本来、まっすぐに仕事を愛する家族を愛する者です。
そこに立ち返り、自分のすべきことを果たす、日本に住む社会人として忠実な者でありたいと思います。
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