イスラム教徒の国、アフガニスタン。米国が2001年から始めた「対テロ」戦争の結果、治安がとても悪化したので、つらいニュースばかりがお茶の間に届いていると思うけれど、私はとても好きな国だ。とにかく人がいい。国土も貧しいけれど、とても美しい。
今は首都カブールさえも外国人にとっては危なくなってしまったが、最初にこの国を訪れた2002年に全国を回った取材経験を基に、この国の本来の素晴らしさの一端を紹介したい。
イラン東部の巡礼都市マシャドから陸路で、祖国に戻るアフガン難民たちとともに国境を越えた。当時はみな「これからすべてが良くなる」と信じ、子どもたちは「学校に行ける」と胸をときめかした。日本の支援で再建途上にあった学校を訪ねると、年齢に関係なく、みな「小学1年生」。中には20歳もいた。誰もが、未来を否定しなかった。
一緒に来た同僚の写真部記者、北村隆夫氏が取材先で勧められたぬるいチャイを飲んで下痢に襲われ、ホテルで身動きできなくなった時、「日本人が苦しんでいる」とどこかで聞きつけたアフガン人が自家製のおかゆを作って持って来てくれた。自分たちが日々食べるものに困っているのに、である。
ヘラートから12時間の悪路を走り、道中、写真で見たグランドキャニオンに似た山々に息を呑んだ。町に電気はなく、夜になると、これほど多くの星々の光が夜空を彩っていたのかと驚いた。
泊まったゲストハウスでトイレを尋ねると、みな敷地の庭のやぶの中を指す。誰もが思い思いの場所で用を足していたのだが、乾燥しているからにおわない。どこからかやってきた犬が私の横でしゃがみ、目が合った。私たちに会いに来た州知事は「こんな所にまでよく来てくれた。自宅に晩御飯を食べに来てくれ」と言って、本当にご馳走してくれた。
タリバン発祥の地だけに保守的な土地柄ではあった。取材許可を求めて訪れた州政府で副知事に治安状況などを聞いた翌日、現地のラジオと新聞で「日本の代表団が副知事と会い、カンダハルの復興支援について意見交換した」と“大誤報”が流れたが、それだけに人々の復興支援への期待感を知った。
その一方で、戦争の悲惨さに初めて直面した。カンダハル州の北に隣接するウルズガン州で結婚式場が米軍機に誤爆され、40人以上が死んだ。周辺には病院がないため、150キロも離れたカンダハルに5時間以上も悪路を車やロバで患者を搬送してきた場面に出くわしたのだ。病院で麻酔薬のないまま外科手術を受けた、家族を失っていた5歳の少年は今、どうしているだろうか。
これまでに訪れた、地図に名もない町や村々。生活は圧倒的に貧しく、粗末な食事と衣服に甘んじてはいたが、みな誇り高い人々だった。今、彼らが絶望を感じていなければと願う。当時出会った日本人のNGO職員が「僕の夢は復興したアフガニスタン各地を馬に乗って旅することです。そのために頑張っています」と日焼けした顔をほころばせた。夢は遠ざかっているように見えるけれど、彼はまだアフガン北部にいる。
あれから7年。「対テロ戦」の主舞台がイラクから再び移りつつあるこの国の空の下に、こうした人々がいるということを忘れないでいたいと思う。【ニューデリー栗田慎一】
2008年11月25日