柳 父親に対する感情かぁ……母親に対する感情は、あるんですよ。二十歳で博打狂いの男と結婚して、キャバレー勤めで生活費を稼いで、妻子ある男と恋愛して家を出たけれど、妻との軋轢で胃潰瘍になって吐血し、病院で輸血を受けたらC型肝炎になって、三十年も待って、やっと一緒になれると思ったら、男に若い愛人ができて捨てられるなんて、あんまりじゃありませんか? 母は、かわいそうな人です。
長谷川 母親のほうが、カウンセリングで取り組む順番としてはいいかもしれないですね。やっぱり母親への感情も、かなりしこりを持っていますね。今の感情は、母が娘を思う感情に、むしろ近いんだよね。立場が逆転しているんです。少女としてお母さんを好きとか、そういう感情のほうはどうですか。
柳 好きっていうのは……。
長谷川 小さいときから、今語ったことに近いことを考えていませんでした?
柳 昔から、母は長女の私には女の部分を曝け出していたんです。何度か、キャバレーの客との不倫旅行に連れて行かれました。
長谷川 そのときのお母さんへの気持ちは?
柳 気持ち、ですか?
長谷川 感情を麻痺させないと、耐えがたいですよね、娘としては。だから母親への子供としての感情というのも、やっぱりブロックされている。「かわいそう」っていう気持ちが伴う分、父親に対するしこりよりは、まだ小さいのかもしれないけれど、大きい課題ですよ。
柳 中学生のとき、母はキャバレーをやめて、熱海とか伊東のホテルに出張してお酌をするパーティーコンパニオンをやってたんです。「人手が足りないから手伝って」と言われて、母の服を借りてコンパニオンをやってましたね。十四歳だったんですけど、「二十歳って言いなさいよ」と母に言われて、お酌をしたり、煙草の火をつけたり、チークダンスを踊ったり。
長谷川 そのときのお母さんへの感情は?
柳 ちょっと……思いつかないですね……。
長谷川 思いつかない、と言われましたね。思いが無いんじゃなくて、思いが付かない。思いつかないようにしなきゃ、苦し過ぎるもんね。
柳 私、四十一歳ですよ? 二十七年前の話じゃないですか? 過去の出来事としてピリオドを打っていると思うんですけど……。
長谷川 それができたら、みんな幸せですよ。特に柳さんみたいに、しこりが大きくて深いものだったら、ピリオドなんて打てっこない。こんな小さな点一個で収まるようなものじゃないんですよ。トラウマっていう概念があります。心的外傷と訳しますね。心は物体じゃないから傷はつきませんが、解りやすくするためにたとえているんですね。心にガッとついた傷に、ピリオドを打てって言われても、どうやって打てばいいの? 傷を手当てして、ゆっくりと癒やしていく──、それがピリオドじゃないですか。傷がついたままでピリオドを打てなんて無理な話ですよ。
柳 ここ数年のひどい鬱状態も、子供時代の出来事が一因となっているんでしょうか?
長谷川 そう思います。鬱はある意味、傷口からのSOSのサインじゃないですか? 今回、カウンセラーである私と会って話をするという、その思いに駆り立てたのも、その傷の悲鳴だと思います。傷が何かの情報で、私を見つけた。そしてこの場で今、確かに傷が動いている、という感じが私には伝わってきます。
つづく