長谷川 柳さんの場合、ご自身の状況をかなり自覚して、文学で表現されて、昇華というか浄化されているとは思うんです。もし完全にそうならば、もうカウンセリングは必要ないんですよね。でも表情なんかを初めて──すいません、こんなこと──生で拝見させていただくと、やはり、根は悲しい人だと、まだ悲しいままじゃないかなって気がするんですよね。
柳 悲しいまま?
長谷川 心の奥のほうに、何か手で触ってはいけないような、闇のようなものを抱えていらっしゃる可能性があるとすれば、カウンセリングを進めながら、どこまで自分でそれを察知して引き受けるかという作業になります。到達目標というのがあるとしても、やり過ぎてしまうと、一時的に日常活動ができなくなることもあります。
柳 自分の中で身動きできずにいる悲しみを引っ張り出して、どこかに連れ去るということですか?
長谷川 できればね。ただ、連れ去るという言い方は正しくないけど。その負の感情だけでなく、喜怒哀楽の感情それぞれが閾値を越えて、かなり激しく表現されてしまっているところを、ある程度まとまった形で表出できるようになる、っていうのが目標になるんでしょうか。私も間接的にしか伺っていないんですけど、柳さんは幼少期に大変なご苦労をされている。そのせいで、自己否定感というのがやはり強いようです。「私なんていなければいいんだ」という希死念慮が強くなっていく危険性もやっぱり考えておかないといけない。今日、初対面ですよね。
柳 はい。
長谷川 そう、まだ緊張されているね。普段のお仕事でも、人から話を聞く機会がありますよね。そのときと今日とは違います?
柳 基本的にしゃべるのは苦手なんです。
長谷川 今回、カウンセリングの体験をって、そもそもそう思われた理由は何ですか?
柳 二つ理由があるんです。一つは息子といっしょにいると、感情を押し殺しているか、感情を爆発させているか、どっちかの状態で、母と子という適切な距離を保つことができないんです。もう一つは、生きるのがしんどいということでしょうか……五月のはじめ頃に起きあがれなくなって、精神科に通院して、ジェイゾロフト(SSRI)という抗鬱剤を処方してもらったんですが、増量して行く過程で、強い睡眠薬に替えてもらっても全く眠れないという状態になって、独断で服用を中止したんです。今も、良くなったわけでは全然なくて、浮き沈みが激し過ぎて、日常生活や仕事に支障が出てしまう。