夏休み前の昼休み(昼休みは校庭で遊ぶことが義務づけられていたが、いっしょに遊ぶ友だちがいないので、なるべく目立たないようにしていた)校庭の木陰に身を潜めていると、人気者の女の子のグループがわたしを取り囲み、脱がせコールをはじめた。
「脱っがせ! 脱っがせ!」
声が大きくなって、手拍子が加わった。
二十人が三十人に膨らみ、人垣が二重三重になっていった。夥しい視線がひと束になって、わたしが泣き出すのを待ち構えているのを感じた。
彼らの期待通りに泣き出せば──、せめて両手で顔を覆って泣き真似ができれば──、人垣は崩れていっただろう。
だが、人垣の輪が狭まって、何本かの手にスカートをつかまれても、わたしはただ突っ立っていた。
その先は、思い出せない。
ワンピースは上から脱がされたのだろうが、パンツはどうやって脱がされたのか? それとも、靴下のところまで下ろして満足したのか?
その場に居た、という感覚が欠落しているのだ。
でも、見てはいた。
どこか高いところから──。
わたしの目は、銀杏の木の天辺あたりから見下ろしていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響くなか、校庭の日向に全裸で取り残されたわたしの後ろ姿を、ただ見ていたような気がするのだ。
いまでも、街を歩いていて、銀杏の葉が光と影を地面に揺らしているのを目にすると、存在していることの反証のような眼差しを感じることがある。
そのころから、万引きをするようになった。
学校帰りに、サンリオショップでキキララやキティちゃんの文房具を盗んでは、翌日教室に一番乗りしてクラスメイトの机のなかに文房具を隠した。
わたしは、本を読むふりをしながら、「わッ! 今日は消しゴムだ!」とクラスメイトが驚いたり喜んだりする様を観察していた。
余った文房具は、誕生日に父からもらった鍵付きの宝石箱にしまい、Kちゃんのお父さんと「横になった」S学園の草むらに箱ごと埋めた。
万引きがバレた夜(パチンコ屋が閉店したあとだから、深夜零時ごろだったと思う)父に叩き起こされて、手、足、背中、尻、腿、腹を「ムチ」で打ち据えられた。「ごめんなさい! ごめんなさい!」と泣いて謝ったが、「おまえはうちの子じゃないから、うちのものは全部脱いでけ!」とパジャマとパンツを脱がされ、全裸のまま車に乗せられて、知らない町の公園に置き去りにされた。
車の音が遠くなり──、公園の暗闇は怖かったけれど、街灯に裸体を照らされるのは恥ずかしくて、両手で両腕をつかんですべり台の下に身を隠したことを憶えている。