真冬だった。
寒かったはずだ。
でも、寒かった、という感覚は、わたしの記憶には残っていない。どれくらい公園にいて、どうやって家に帰ったのか──、いくら考えても、思い出せないのだ。
その週の日曜日だったと思う。
わたしは、父のダンヒルのライターをポケットに入れて、S学園に向かった。
Kちゃんのお父さんとの「秘密」はつづいていた。
寒くなると、外ではなく、だれもいない家のなかに誘い込まれるようになっていた。
母にも、父にも、Kちゃんにも、Kちゃんのお母さんにも明かせない「秘密」──、あのとき、あんなに生い茂っていた雑草は、一本残らず枯れていた。
わたしはライターを握り締め、枯れ草や枯れ木をざわめかせる風の音を聴きながら、高熱の前にくる悪寒のような震えがおさまるのをじっと待っていた。
風と震えが止んだとき、おや指でライターを擦って、枯れ草に火を放った。炎は、赤い絨毯をひろげるように燃え広がり、蛇の舌みたいな炎が校舎の壁を這いあがっていったが、わたしの心臓はもうそれほど強くは搏っていなかった。
校庭は焼け野原になり、用務員室が全焼、校舎の一部が焼け焦げるという大きな被害が出たが、日曜日でひと気がなかったために、負傷者はひとりも出なかった。
放火が「呼び水」となった。
捕虫網でモンシロチョウやアカトンボをとらえては、父のライターで羽に火をつけるようになった。
父のエッシェンバッハのルーペの焦点を巣穴に合わせて、這い出してくるアリをつぎつぎと焦がしたこともあったし、母の待針に芋虫を串刺しにしたこともあったし、父のゾーリンゲンの鋏で、バッタやカマキリの首を切り落としたこともあった。
我が家には、動物がたくさんいた。
母は「妻子も食わせられないのに、どうして動物を増やすの?」と憤っていたが、父は博打で勝つたびに戦利品として動物を連れ帰った。
犬はイングリッシュ・ポインター、マルチーズ、柴犬、秋田犬、鳥は鶏、うずら、セキセイインコ、ルリコシボタンインコ、レモンカナリア、赤カナリア、巻毛カナリア、ウグイス、コマチスズメ、十姉妹、文鳥、下駄箱の上の水槽には、デメキン、ランチュウ、チョウテンガン、セイブン、タンチョウなどの金魚が泳いでいたし、縁側の金盥のなかでは、ミドリガメやゼニガメが甲羅干しをしていた。
父は買ってくるだけで、一切世話をしなかった。
母も、動物を構う余裕などなかった。
動物の世話をしたのは、わたしだった。
わたしは動物に餌や水を与えた同じ手で、動物を傷つけ、死に至らしめた。
わたしの痛みには打つべき手はなく、動物たちの痛みがわたしの痛みを癒すことはなかったが、自分の手で彼らの痛みを遂げる瞬間、自分の内の痛みが新しく鋭くなって、それは快楽に極めて近い感覚だったような気がする。