一昨日の朝のことだ。
わたしは、資料の本を読みながら咳き込んでいた。
今年の夏休みは初っ端からついていなかった。七月半ばに鞭打ち症で首が動かなくなり、整形外科や鍼灸や整体に通って、なんとか日常生活に支障がなくなったと思ったら、今度は風邪をこじらせて高熱で寝込むという羽目に陥り、原稿の締切りはデッドラインに近付きつつあった。
そんななか、「わからないから、教えて」と言われて、わたしは塾の宿題をやっている息子のとなりに座った。
理科のテキスト〈星と星座〉だった。
「これはさぁ、もう憶えるしかないんだよ。こと座の一等星はベガ・おりひめ星で、色は白。わし座はアルタイル・ひこ星で白。はくちょう座はデネブで白。で、この三つの星を結んでできるのが、夏の大三角形だ」
息子は、大きなあくびをして言った。
「ねぇ、サイダー飲んでいい?」
「いいよ。でも、ママは具合が悪いし、原稿を書かなきゃならないんだから、切羽詰ってるんだよ。サイダー飲んだら、集中してやってね」
わたしは冷蔵庫からサイダーを取り出して、コップに注いだ。
ひと口飲んで、息子がコップを置いたのは、テキストの上だった。
ページをめくった途端、コップが倒れた。
サイダーがぷつぷつと細かい泡を立ててテキストに染み込んでいく。
鉛筆も消しゴムも筆箱も籐のティッシュボックスもサイダーでべとべとになった。
「なんで、こんなことになるわけ? なんで? なんで、こんなことすんの! あんたは、わたしを困らせるために生まれてきたのかッ!」
わたしの怒声を聞きつけて家のなかに戻ってきた(庭で、文鳥と亀の世話をしていた)彼は黙ってテーブルの上を拭きはじめたが、わたしは「糞野郎ッ! 畜生ッ!」と毒突きながらウッドデッキに出て、サイダーで透けてしまったテキストを一枚一枚洗濯バサミでとめて干した。
「ドア開けっ放し! ノラネコ!」
という彼の声に驚いて振り返ると、室内で飼っているメス猫たちを狙って家のまわりをうろついている黒いオス猫が、家のなかに飛び込んでいた。
彼は黒猫を追いかけて二階に駆けあがり、わたしは階段の下に突っ立っている息子の脛にローキックをかました。
その瞬間、自分のなにかが弾け飛び、息子の泣き顔が目の前に迫ってきた。
息子は、蹴られた脚を両手で押さえ、訴えるように泣き出した。
「なにぃ? なによぉ……」
わたしは、怒ることも慰めることもできず、失語状態で二階にあがって寝室の鍵をかけた。
ベッドに横になって目を瞑ると、自分への不信感と嫌悪感が際限なく膨らんでいった。
「死にたい」という声が口から洩れた。