退学処分になったのは、エスカレーター式の高校にあがったばかりの四月だった。
担任に、保護者同伴で手続きをしなければならないと言われ、母に頼むと、「絶対にイヤ。先生たちからさんざん、あんたがおかしくなったのは全部母親のせいみたいに言われて、冗談じゃないわよ。柳さんに行ってもらいなさい」と断られ、仕方なく、別居していた父に同伴を頼むために黄金町へと向かった。
当時の黄金町は(黒澤明の『天国と地獄』で、山崎努演じる誘拐犯がヤク中の女を殺害するシーンの舞台として有名)運河だった大岡川と高架を走る京浜急行に沿って「チョンの間」と呼ばれた青線地帯があり、狭い界隈に職安、寄せ場、ドヤ街、賭場、組事務所がひしめき合う横浜の「暗部」だった。
わたしは、セーラー服でパチンコ屋にはいって行き、景品交換所で父を呼び出してもらった。
父は詳しい事情を訊かず、わたしを助手席に乗せて、元町や外人墓地や港の見える丘公園などの「観光地」のど真ん中にある学校へと車を走らせた。
父は校長室にはいるなり、「校長先生さま、娘をどうかこの学校に置いてやってください」と土下座をしてしまった。
髪型、顔つき、体型、服装、なにからなにまでケンタッキーのカーネル・サンダースにそっくりな校長が、父の頭を見下ろしながら言い放った言葉を、二十六年が経ったいまでも、はっきりと憶えている。
「お父さまの気持ちはよく解りますが、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールのなかに腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐りはじめるでしょ」と、金縁の老眼鏡をかけて、中二からはじまったわたしの「非行」の数々を読み上げたのである。
「腐った林檎」として「学校」という段ボールから放り出されたわたしは、書くことで生きることを模索しはじめたのだが、まさか、保護者として「学校」にふたたび関わるようになるとは──。