2009年7月8日14時41分
カジノのあった場所には賃貸広告が張り出されている=モスクワ、星井写す
【モスクワ=星井麻紀】モスクワの夜を彩ったカジノのネオンが7月から一斉に消えた。カジノを社会悪として2年前に採択した賭博規制法が施行されたためだ。国内4カ所の特別区に限って新たに営業する計画だったが、経済危機で頓挫。閉店で約30万人の失業者が出たと言われ、混乱が広がっている。
「警備員以外は全員解雇された。今後どうなるのか全くわからない」。カジノが全面禁止された1日、モスクワ中心部の新アルバート通りにある有名カジノの店頭で、警備員の男性は戸惑った様子で話した。入り口には「連邦法により閉店」の張り紙。従業員約千人が解雇され、店内にあったスロットマシンなどはすべて運び出された。
ギャンブルが禁止されていた旧ソ連でのカジノ解禁は89年、ホテル内にできた外貨専用店だった。ルーブルが使える店ができたのは91年。以後、瞬く間に数を増やし、最盛期にはモスクワだけで3千近くのギャンブル施設があったという。
だが、学校、教会の近くや地下鉄駅、スーパーの中にまで賭博施設が進出。子供への影響や依存症による生活破綻(はたん)などが社会問題化した。カジノと犯罪組織との関係も指摘され、06年、当時のプーチン大統領が特別区以外での賭博業を禁止する法案を出した。
新たに許可された場所は極東の沿海地方、シベリアのアルタイ地方、ロシア南部アゾフ海沿岸、ロシア北西部の飛び地カリーニングラード州と大消費地から離れた場所ばかり。計画時は好景気だったため、数千人を収容するホテルを併設した「ロシアのラスベガス」を建設し、辺境の地に外国投資を呼び込もうとの算段だった。だが投資は進まず、建設は始まっていない。
ロシア紙の報道などによると、閉店したカジノは、法律の規制対象外のスポーツや競馬などのブックメーカー(賭け屋)やポーカー場に衣替えして生き延びる道を探っているが、当局は新たな営業許可を出していない。カジノ閉店による失業者は不況下で再就職が難しく、業界関係者は「ばかげた計画だ。ヤミ賭博が広がるだけだ」と批判を強めている。