余録

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余録:ワクチン

 日本に牛痘(ぎゅうとう)種痘法が広まったのは幕末の1849年7月、長崎のオランダ商館医モーニケがジャカルタから牛痘のかさぶたを取り寄せたことによる。これを小児に接種すると痘瘡(とうそう)(天然痘)の災いを免れられる。今でいうワクチンである▲佐賀藩主鍋島閑叟(かんそう)らが商館長に要請したもので、ジェンナーによる種痘法の発明から53年後のこと。この「モーニケ株」の分与を受け、蘭方医の緒方洪庵らが大坂に除痘館を設けたのはわずか4カ月後という素早さだ。当時の医師らの期待がいかに大きかったかが分かる▲世界的に大流行している新型インフルエンザのワクチン接種が日本でも始まった。まずは医療従事者、次いで妊婦やぜんそくなどの持病のある人が対象だ。自分の順番はいつ回ってくるのか。本番を間近に控えた受験生などやきもきして待つ希望者も多かろう▲ワクチン開発は時間との競争だが、その株は世界保健機関(WHO)と各国の研究者が連携し選定される。感染症との闘いは一国ではかなわない。速やかな国際協力と途上国支援が欠かせないのは江戸時代も今も変わらない▲蘭方医が恐れた天然痘は1世紀以上たってWHOの撲滅計画で自然界から姿を消した。アフリカで最後の患者を確認してから2年後、ケニアの首都ナイロビで根絶が宣言されたのは、ちょうど30年前の10月26日である▲不可能と思われた撲滅運動の先頭に立った日本人医師、蟻田功博士は「人類が政治、人種、宗教を超えてその英知を集め、共同の敵に当たることができることを証明した」と語った。新型インフルエンザという難敵を前にした現在もう一度かみしめたい言葉ではないか。

毎日新聞 2009年10月26日 0時09分

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