2009年10月23日 12時23分 更新:10月23日 13時1分
戦時中に広島県の建設現場に強制連行されて重労働を強いられた中国人男性8人(生存者4人と4遺族)と施工業者の西松建設(東京都港区)が23日、和解した。西松側が強制連行の責任を認めて謝罪し、2億5000万円を信託して補償などのための基金を設ける内容。戦後補償問題で企業側が自主的に和解を申し出て、補償に応じるのは異例。
和解金の支払い対象は1944年当時、西松建設の「安野発電所」建設工事現場(広島県安芸太田町)に強制連行された360人。8人は代表して和解に応じた。裁判外で当事者同士の話し合いがついた場合に合意内容を調書にまとめる「即決和解」が同日、東京簡裁で成立した。
和解条項は西松側が(1)歴史的責任を認識して「深甚なる謝罪の意」を表明(2)2億5000万円を支払い被害補償や消息不明者の調査、記念碑建立などを目的とする基金を設立--する内容。
中国人側が西松建設に賠償を求めた訴訟で最高裁は07年4月、「日中共同声明で裁判では賠償を求められなくなった」として請求を棄却し、原告の敗訴が確定した。その一方で、判決は強制連行の事実を認め「被害者の苦痛は極めて大きい。救済に向けた努力を期待する」と自主的な解決を求めていた。
西松側は「問題は解決済み」という立場を取ってきたが、違法献金事件を機に企業責任を重視する対応に方針転換した。今後、新潟に連行された約180人との和解も目指す。
西松側の弁護士は同日、「不祥事を踏まえ過去の諸問題について見直しを続けてきた。中国人当事者及び関係者のご努力に感謝する」とのコメントを発表した。【銭場裕司】
中国人側と西松建設側の各弁護士は和解成立後、東京都内でそろって会見し、握手を交わした。強制連行された邵義誠さん(84)は「我々の要求が認められ、謝罪を受けたことをうれしく思う」と語った。中国人側の内田雅敏弁護士は「裁判ではなくても、こういう形(訴訟外の和解)で解決する道筋ができた」と評価し、邵さんは「他の企業と日本政府が全面解決するよう希望する」と訴えた。【銭場裕司】
1942年の閣議決定に基づき、43~45年、中国人労働者約4万人が日本に連行された。全国35企業135カ所の炭鉱や港湾施設などで労働を強いられ、劣悪な環境下で6830人が死亡したとされる。和解したのは「花岡事件」で被告になった大手ゼネコン「鹿島」など数社しかない。ドイツでは政府と企業がナチス時代の強制連行被害者に補償金を支払う基金を創設している。