「朝勃ち擦り付けられた・・・」 僕の第一声に、アルフォンスは教室で奇声を上げた。 リュカに至っては眩暈がしたらしくふらふらと椅子に座り込んでしまった。 僕はふてくされたような、照れたような微妙な顔で俯いた。 大げさだけど、なんだか処女を奪われたような気分になったのだ。 ショックだったのだ。 彼の、大きいものが僕の内腿に当たったことが。 それは僕だって朝、そうなることはあるさ。 健全な男だったら誰しもあることだ。 でも、それを、しかも他人のそれを、あんなに間近で感じることはあるはずがないと思っていた、というかそんなこと考えつきもしなかったのだ。 「お前・・・まだ二日目の朝だっていうのに、もうそんなことされたのか?」 アルフォンスは呆れた様子で言った。 「思ったよりも大きくて怖かったよー」 僕がアルフォンスに泣きつくと、アルフォンスはよしよしと僕の頭を撫でた。 「朝っぱらからシャルルの体で性欲処理しようとするなんて最低な奴だな」 アルフォンスは何か勘違いをしているようだったが、面倒くさいので僕は訂正しなかった。 「シャルル、もう帰ってきなさい」 リュカが僕とアルフォンスを引き離すと、強い口調で言った。 口元はいつもの上品な笑みを浮かべていたが、目には恐ろしいまでの邪悪な光が宿っていた。 「い・・・嫌だよ。僕まだ」 「駄目です。今日彼の部屋に戻ったら荷物をまとめて戻ってきなさい」 僕はいつになく強気な態度のリュカに怯えた。 「でも、僕、彼が気になるんだ。彼のこともっと知りたい」 僕がそう言うと、リュカは大きなため息ついた。 「そんなに彼のことが好き?」 それを聞いた途端、僕は呆気に取られてしまった。 彼のことをそんな恋愛対象として考えたことがなかったからだ。 もっと深く考えようとしたとき、横の方でアルフォンスが吹き出した。 「お前さ、何でそこに行き着くんだよ!恋人みたいだな!」 急激に真っ赤になるリュカを尻目に爆笑しているアルフォンスを見たら、僕もなんだか笑えてきて堪えきれずに一緒に笑ってしまった。 「シャルルが一緒に暮らしたいと思ってるなら、相手が男だろうと悪魔崇拝者だろうと何でもいいじゃねえか。そうだろ?」 アルフォンスが笑いながら言った。 「先輩は悪い人じゃないよ。優しくて面白い人なんだよ」 ここぞとばかりに僕も畳み掛けるように言った。 リュカはまだ不満そうな顔をしていたが、やがて僕の髪を一撫ですると口を開いた。 「シャルルが・・・そんなに彼と暮らしたいなら仕方ない。けれど、もしシャルルに何かあったときは、僕が彼を殺すよ。いいね?」 そう言ったリュカの目は、本当に人を殺しそうな光を放っていた。 横でそれを聞いていたアルフォンスには口説き文句にでも聞こえたのだろうか。 ピューと面白そうに口笛を吹いていた。 僕は冗談じゃない、と思っていた。 僕は図書委員の仕事を終え、リュカと廊下を歩いていた。 分かれ道まで来ると、僕は改めてリュカと違う場所に帰るのだと実感した。 リュカは急に不安な顔つきになって僕を抱きしめた。 「またここで別れるなんて、なんだか怖いな」 僕はそっとあの日リュカとここで別れたのを思い出していた。 まさかあの「カラス」と一緒に住むことになるなんて誰が想像しただろう。 ただ、本を返してもらって、また自分の部屋に帰って、三人で他愛のない話をしながらミルフィーユでも食べるはずだったのだけど。 彼がこうなることを望んでいたからだろうか。 もしそうだとしたら、どれほど強く望んだのだろう。 毎日、僕のことを想った? 授業中も、ご飯を食べるときも、お風呂に入るときも、眠りにつくそのときも、僕のことを想って目を閉じた? 聖堂で跪いて、神様に祈った? 「大丈夫だよ。きっとうまくやっていける」 「本当に?」 「もう二度とリュカに悲しい思いはさせない」 「カラスと一緒に暮らしてることが既に僕を悲しませてるんだけど」 そう言ってリュカは苦笑した。 そしてリュカに別れを告げると、僕は振り返ることなく先輩の待つ部屋へと歩き出した。 こうしている間も、彼は僕のことを想っているのだろうか。 望みが叶った今も、僕のことだけを・・・。 考え出すと止まらなくて、僕は彼の見えない顔を思い浮かべた。 そうするといても立ってもいられず、僕は今頃巨大なケーキを突いているであろう彼の元へと走っていた。 早く、会いたい―。 息を切らして部屋の前までたどり着くと、僕はなんとなく走ってきたことを悟られたくなくて呼吸を整えた。 そして鍵を開けて中に入ると、先輩が淋しそうな顔で出迎えてくれた。 「遅かったね」 「僕、水曜と日曜以外は図書委員の仕事があるので」 しょぼくれている彼を見て僕は不思議に思った。 彼は図書室に毎日来ていて、僕が何時に来て何時に帰るのか全て把握しているはずなのに。 ・・・あれ? それではまるで彼がストーカーみたいではないか。 いや、あまり変わらないか。 「わかってるんだけどね。君がまたここに帰ってきてくれるのか不安で仕方ないんだ」 そう言いながら彼はソファに座ると、食べかけのどでかいフォンダンショコラをフォークですくった。 「僕はちゃんと帰ってきますよ。毎日、ここに」 僕は先輩の隣に座ると、彼の空いたティーカップに紅茶を注いだ。 湯気と共に紅茶の香りがふわりと立ち昇った。 「もう、あの廊下ですれ違ったときみたく逃げたりしない?」 僕は、彼が何を言っているのか理解できなかった。 僕が思い出せないという顔をしていると彼が続けた。 「思い出せない?僕ら以外には誰もいない静かな廊下だったよ。急に君が立ち止まったから、僕は訳もなく嬉しくなって振り向いた。けれど君は背中を向けたまま。しばらくすると君は走って逃げてしまった」 「あ!」 そこまで聞くと、僕はあの宗教団体の本を持った彼の姿と頬を撫でた冷たい風を思い出した。 「君に拒絶されたような気がして、すごく、悲しかった」 彼は俯いて今にも泣いてしまいそうに見えた。 「あの、違うんです。ルームメートに色々と変なことを吹き込まれて・・・だから」 「僕が、怖かった?」 僕は何も言えなくなってしまった。 そう、あのとき確かに僕は彼が怖かったから。 今思えば、あんな馬鹿馬鹿しい噂を鵜呑みにして真実を自らの手で曇らせていたのだから、情けない。 真実と言っても、まだ彼についてはわからないことばかりで、もしかしたら噂の中にも真実があるのかもしれない。 でも、僕は彼から知り得たものなら例え魔方陣で悪魔を呼び出すことがでるという事実でも、信じようと思う。 僕は改めて彼の顔を見た。 「僕は、先輩を信じたい。今は・・・そう思ってます。だからもう逃げたりしません」 「僕が悪魔でも?」 「はい」 「じゃあ・・・」 そう言うと彼は自分の心臓の上に手を置いた。 「ここに契約のキスをして」 「ええっ!!」 僕は彼のいきなりの提案に思わず声を上げた。 どうしていきなりそういう話になるのか全く理解できない。 もしかして僕、遊ばれてる? 「あ・・・あの胸に、ですか?」 僕がしどろもどろになっている姿を見て彼はふと笑った。 「違う。心臓に」 「すればいいんですか?」 「そう。それで契約完了。僕と君は永久に離れられない」 なんだか軽い口調ですごく危ないことを言っているような気がするこの人。 「ほら早く、して」 耳元で囁くようにそう言われると、僕はなぜだか力が抜けてしまう。 彼は僕の腕を掴んで胸元へと導いた。 「じゃあ、しますよ・・・」 恐る恐る彼の心臓の上だと思われる黒いシャツに唇を落とそうとした瞬間、 「違う」 彼は僕の肩を掴んで自分の胸からやんわりと離した。 「え?」 不思議そうな顔をする僕を見て彼は悪戯に笑った。 「まずはボタン、外さなきゃね」 それを聞いた途端、僕は耳まで熱くなったのを感じた。 「僕が外すんですか?」 「そう。シャルルが外して」 彼は僕の両手を自分の胸に引き寄せた。 彼のシャツに触れ、僕は手は微かに震えてしまう。 彼に急かされるように髪を撫でられ、僕はおぼつかない手でボタンを外し始めた。 ボタンを一つ外す度に、彼の真っ白な胸があらわになっていく。 そして次第に濃くなっていく甘い匂いに僕は我を忘れそうだった。 ボタンが全部外れると、彼はうっとりするほど優しい口調で囁いた。 「キスして」 彼の声は不思議と抵抗できない響きがあって、僕は大人しくそれに従っていた。 近づけば近づくほど僕の視界は白く染まっていく。 彼の胸に、僕は静かに口付けをした。 彼の熱い胸から、命の鼓動が聞こえる。 小鳥心臓のように優しく頼りない暖かな音だった。 僕が唇を離すと、彼は微笑んだ。 「よく出来ました」 そして僕にははっきりと見えた。 彼と僕が、目には見えない頑丈な糸で結ばれたのを。 もう、どこにも行くことはできない。 許されないのだと。 それでも、なぜだろう。 僕は嫌ではなかったんだ。 |