monochrome


1. モノクロームの影に



はじめに気づいたのは、僕の方だった。
図書室の入り口近くの、その白く発光する人に僕は目を奪われた。
光に当たると透けるようで、泣きたくなるくらいに美しかった。
僕と同じ制服を身にまとって、今にも折れてしまいそうな細長い脚で、優雅に歩いていた。
本棚に姿が隠れてしまってからも、僕の心は激しく揺れ動いたままだった。
言葉を失い、ただ、立ち尽くすことしかできない。
その日の晩、僕は何も口にすることができなかった。
もう二度と彼に会うことはできない気がしていたからだ。
何の根拠もないのに、僕は勝手にそう決め込んで、酷く落ち込んだ。
しかし次の日、ひょっこりと彼が図書室に現れたのを見て、僕は随分簡単に現れるものだなあ、と少しがっかりしてしまった。
その日から、彼は毎日放課後の図書室に来るようになった。
毎日同じ席に座り、図書室が閉まる直前まで、本を眺めている。
いつからか、僕はそんな彼を観察するのが日課になっていた。
彼の顔は、目の下まで真っ黒な髪で隠れてしまっているため、どこを見ているのか、どんな表情をしているのかわからない。
つまり、彼とは決して目が合わないのだ。
それをいいことに、僕は頬杖をついたまま横目で堂々と彼を見ていた。
そして、あるとき、僕は思った。
もしかして、僕たちずっと見つめ合っているのではないのか、と。
僕の目線に合わせて、彼の顔の角度が微妙に変わるからだ。
それが本当かどうか確かめる術も度胸もないので、その疑問を抱えたまま、気づいたときには三年半もの月日が経っていた。

「シャルル、時間」
「え?」
時計を見ると、もう図書室を閉める時間になっていた。
同じクラスのリュカは、そそくさとパソコンの周りを片付けていた。
「もうそんな時間か・・・」
窓の外は薄暗く、頼りなさそうな光を放つ月が浮かんでいた。
僕は、まだ図書室にいる人たちに席を立つよう声をかける。
すでに彼はいなくなっていた。
図書室の電気を消し、鍵を閉めると僕たちは寮へと向かった。
僕たち図書委員は、休館日の水曜以外は毎日これを繰り返す。
石畳の床が靴の音を膨張させて響いて、相変わらず気味の悪い帰り道だった。
「今日はみんな早く帰ってくれて良かったね」
僕はいつも背後が怖くて、意味もなくリュカに話しかける。
リュカはそんな僕に気を遣ってか、いつもよりも近くを歩いてくれる。
リュカは、モデルのようなすらりとしたスタイルで、おまけに成績も優秀だ。
ふわふわとした見事なブロンドの髪が印象的で、物腰も柔らかで面倒見もいいため、どこに行っても人気者だ。
そんなリュカが幼い頃からの親友、ということだけが僕の自慢でもある。
「おかえり、今日は結構早かったじゃん」
ソファにどかっと偉そうに腰掛けて迎えてくれたのは、僕らと同室のアルフォンス。
女、煙草、酒好きだけど、根はいい奴なのだ。
成績も悪くはないし。
「もう風呂入ったからお前らいつでも入っていいぞ」
「じゃあ僕入ろうかな」
着替えを持ってバスルームに入ると、湯気の向こうにいくつもの灯りが揺れていた。
湯気と一緒に、むせ返るほどの香りが体中を覆った。
「今日はミュゲ」
アルフォンスは最近アロマキャンドルにこっていて、その日の気分によって香りを変える。
電気を消して入るとなかなか幻想的で、ついつい長風呂してしまう。
「長い。もうご飯食べちゃったよ」
案の定、リュカがバスルームのドアを半分開けてそう言ってきた。
「覗くの禁止ー」
「はいはい」
僕がバスルームから出て洗面台の前で髪を乾かしていると、リュカがタオルとパジャマを持って入ってきた。
「あれシャルル、トリートメント変えたの?いい匂い」
そう言ってリュカが僕の肩まである髪に触れた。
「ううん。なくなったからアルフォンスの勝手に使っちゃった」
「ばれたら怒られるよ?」
リュカは笑って僕の髪に丁寧にブラシを入れ始めた。
「たまにはボブやめて伸ばしてみたら?シャルル可愛いから絶対に似合うと思うんだけど・・・」
「僕がこれ以上伸ばしたら女みたいになるのわかってるだろ」
「いいじゃない。ブロンドだしきっとモテモテだよ」
「男子校でモテたくなんかないっ」
僕が眉間にしわを寄せると、リュカは笑ってよしよしと僕の髪を撫でた。
「はい。乾いたよ」
後は寝るだけだというのに、気付いたらリュカの手により髪が美しくセットされていて、勿体なくてなかなか枕に頭をつけることができなかった。

僕たちがこの全寮制の学校に入学してから、四年が経った。
ちなみに神聖なる男子校だ。
ご飯はカフェテリアで食べ放題だし、おしゃれなペストリーもある。
一部屋につき一台パソコンも付ているし、バスルームとトイレ、空調も完備。
長期休み以外、外に出られないことを除けば、快適なスクールライフを送れる。
僕とリュカは大体、朝食と昼食をカフェテリアで食べて、授業が終わった後図書室に向かい、部屋に戻って夜は冷蔵庫にある物を食べる、という生活を送っている。
なぜ夕食をカフェテリアで食べないのかというと、図書室を閉める時間とカフェテリアを閉める時間が同じだからだ。
特に不便だと思ったことはない。
僕は、ペストリーで売っている大粒のいちごの乗ったミルフィーユが、大好きだから。
「あれ?」
お風呂から出て、わくわくしながら冷蔵庫を開けると、僕は思いも寄らない風景を目の当たりにしてぎょっとした。
「アルフォンス、僕のミルフィーユは?」
「悪い、今日行くのが遅くて売り切れてた」
「ええー?!」
「代わりにタルトフレーゼ買ってきてやったけど」
「僕、別にいちごが好きなわけじゃないんだよ、アルフォンス」
「じゃあ食うな」
「ちぇっ」
しぶしぶ冷蔵庫からタルトフレーゼを取り出して、お湯を沸かし紅茶を淹れる。
「リュカも飲むでしょ、紅茶」
「うん、ありがとう」
アルフォンスの紅茶は何で淹れてあげないのか?
彼はコーヒー党だから、それだけ。いつものことさ。
「そういえばさ」
リュカが神妙な面持ちで切り出した。
「カラス、六年生らしいよ」
急にアルフォンスがコーヒーを吹き出した。
ああ、また絨毯が染みだらけだ。
「それ本当か?じゃあ今年で卒業?」
リュカは黙って頷くと話を続けた。
「それから、学年は二つ上だけど、飛び級しているから年齢は僕らの一つ上」
「何?飛び級とか、そんな制度うちにあったのかよ」
「わからない。でも、かなり優秀らしいよ。将来有望だって」
「何その情報、どこで仕入れたのおま・・・」
「ちょっと待って、僕も仲間に入れてよ!」
リュカとアルフォンスだけの会話に耐え切れなくなって、僕は思わず割り込んだ。
リュカはきょとんとした顔で僕を見ていた。
「あれ、もしかしてシャルル、カラスって誰のことかわからない?」
「だから誰なの、カラスって」
僕がいらいらしてそう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
「何で四年間も図書委員やってて知らないんだよ!」
「そういえばシャルルと彼の話をしたのってはじめの頃だけだったね。あとは図書室と同化していくばかりだったし」
リュカの言葉で一瞬、彼の姿が思い浮かんで消えた。
不健康そうな白い肌と真っ黒な髪をした、彼・・・。
「もしかして図書室にいつもいるあの白い人?」
「そうだよ、彼がカラス」
「学校では有名人だけどな、お前疎いから」
「そうだったんだ。でも、何でカラスなの?」
「じゃあ、俺が話してやろう・・・」
アルフォンスはにやりと笑ってソファに深く座り直すと、まるで怪談話でもするかのように声のトーンを落として話し始めた。
「カラスの私服姿を見たことがある奴は、こう断言する。あいつは黒魔術か何かを使う人間なのだ、と」
「何で?」
「それはな・・・」
ごくり。
「黒い服しか着ないからだ」
・・・・。
「それだけ?」
「いや、まだある」
リュカはこの話を知っているのか、興味がないのか、本を読み始めた。
アルフォンスは続けた。
「カラスはいつも同じ本を持って歩いている。その本は、とても古い物だそうだ。あるとき、クラスメイトがふざけてその本をカラスから取り上げたらしい。すると、いつも静かなカラスが立ち上がり・・・返せ、と言ったらしい」
「それで?」
「クラスメイトはあまりの出来事に驚いて、足が震えて失禁寸前」
「・・・・」
「しかも!怖いのはここからだ。クラスメイトがカラスの声を聞いたのは、入学してから三年目、そのときが初めてだったそうだ」
「あのさ・・・」
「まだある!一番大事なところを忘れていた。そのカラスの持っている本だが、何の本か気になったクラスメイトが覗いたところ・・・」
「何、黒魔術の本?」
僕が呆れてため息混じりにそう言うと、アルフォンスは静かに首を振って小さな声で囁いた。
「フリー○ーソン」
「え?」
「フリー○ーソンだ」
「フリー○ーソンって・・・あの過激派のオカルト集団?」
「そう。奴は、この学園に住まう人間全てを抹殺するよう命を受けた人物なのだ。俺が思うに、奴は今年卒業する。その期を逃すはずはないだろう。卒業と同時にこの校舎ごと俺たちを炎の海に沈める計画を練っているのだ」
僕は、大統領を暗殺したと囁かれているあの組織の本を持っている彼を想像して、怖くなった。
大人しい人間が意外と人を殺したりする世の中だから、有り得なくは、ない。
そんな彼が、毎日図書室にいるのはなぜだろう。
この学園の人間全てを殺すのは不可能だとして、個人的に殺そうと思っている人物はいるかもしれない。
まさか、その人物が図書室にいるから・・・?
「シャルル」
「わあ!!!」
突然リュカに肩を叩かれて、僕は心臓が痛いほど跳ね上がった。
「今のはちょっと大げさだから気にしない方がいいよ」
「ああ。だよね」
正直僕はほっとした。
まさか、よりによって僕の周りでそんなことが起こるはずがない。
「なんだよ。火のないところに煙は立たないって言うだろ」
アルフォンスは不服そうに言うと、煙草に火を点けた。
「でもさ、こっちの話は有名だよね」
今度はリュカがにこにこしながら切り出した。
「あるとき、彼はオカルト本に載っている魔法陣で悪魔と契約を交わすことに成功した。そしてその代償として、片目の視力を失った。それから彼は、魔の力で人を呪うことができるようになったらしい。実際に彼の目を無理矢理見ようとした先輩が、翌日階段から落ちて足を折っている。しかし、未だ彼の目を見た人はいない。だから噂ではこう言われている。彼の目を見た人は・・・」
ごくっ。
「三日以内に、死ぬ」
そのとき、僕はタルトフレーゼに何も手を付けていないことに気がついた。

 




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