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創価学会:世界交友録

ナンバリーン・エンフバヤル氏 「大草原のロマンの国から、春の光まばゆき日本へようこそ!」再会を喜ぶ4度目の会見(2007年2月28日、東京))
「池田先生に、再びお会いできて光栄です。池田先生とお会いするたびに、新たな発見があります」
当時、文化大臣を務めていたエンフバヤル氏と名誉会長の初会見
当時、文化大臣を務めていたエンフバヤル氏と
名誉会長の初会見
(1993年11月19日、東京)
文化交流の推進
1993年11月、エンフバヤル氏はモンゴルの文化大臣として来日した際、池田名誉会長と初会見。席上、名誉会長は「日本とモンゴルの間の空白の歴史を文化の力で埋めたいのです」との信念を述べた。日本とモンゴルの間には、鎌倉時代の「元寇」、そして第二次大戦下の「ノモンハン事件(ハルハ河会戦)」といった不幸な歴史が刻まれていたからである。氏は「同感です。過去の不幸な歴史を乗り越えるためには、『相互理解』が必要であり、そのためには『文化交流』こそ大切です」と深く賛同した。
会見の翌年、名誉会長の創立した民主音楽協会(民音)が「モンゴル国立歌劇団」を日本に招聘。モンゴルでは「世界の少年少女絵画展」(96年)や「自然との対話――池田大作写真展」(97年)などが相次いで開催された。
道に迷った時は
エンフバヤル氏は文化大臣、首相、国家大会議議長などの重責を相次ぎ歴任し、2005年5月には大統領に就任した。
文学者・翻訳家としても著名なエンフバヤル氏は、池田名誉会長の著作の愛読者でもある。特に、歴史家アーノルド・J・トインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』を「座右の書」として挙げ、「暗記している言葉もあります。道に迷ったときには、この本を開いて、池田会長の言葉を思い出し、前進の糧とさせていただいています」と語っている。
モンゴルの首相として来日したエンフバヤル氏と会見
モンゴルの首相として来日したエンフバヤル氏と会見
(2001年2月16日、東京)
4度目の会見が行われた2007年は、両国の外交関係樹立35周年の佳節。「ぜひとも本年、モンゴルにお越しいただきたいのです」と語るエンフバヤル氏
4度目の会見が行われた2007年は、
両国の外交関係樹立35周年の佳節。
「ぜひとも本年、モンゴルにお越しいただきたいのです」
と語るエンフバヤル氏(2007年2月28日、東京)
出会いの度に深まる友情
2007年2月、初めての語らいより4度目となる会見の席上、名誉会長は、エンフバヤル氏に、自作の詩「平和の喜び 希望の明星」を献呈した。
「日本とモンゴルの空白の歴史を文化で埋めたい」――初めての出会いで交わした言葉のままに、共に手をたずさえて、両国間の文化交流を推し進めてきた氏と名誉会長。「貴国と日本は、苦楽を分かち合う真の友人として、『アジアの平和』『世界の繁栄』に貢献していく時代がやってきました」と語る名誉会長に、エンフバヤル氏は笑顔で答えた。「池田先生に、再びお会いできて光栄です。池田先生とお会いするたびに、新たな発見があります」と。
ナンバリーン・エンフバヤル
モンゴル国大統領
1958年生まれ。モスクワの文学大学を卒業後、モンゴル作家同盟に所属。翻訳家として世界の名作をモンゴルに紹介。またモンゴル文学を世界に発信した。80年代末からの民主化運動で人民革命党の改革に尽力。文化相、首相、国家大会議議長を歴任。2005年にモンゴル国第3代大統領に就任した。