2009.10.16
[NEW10/16]身も心も腐った貧乏人にはヘドが出る! 闘うべき時に闘えない負け犬ども!(改訂版)
今までも厭という程繰り返し書いてきた。
力なき正義は無能なり!!
ここで言う「力」とは何も腕力だけを意味しない。銭も「力」のひとつだし地位や名誉は勿論、政治力や社会的影響力などは名実ともに「力」の象徴である。
一方で「貧すれば鈍する」という諺があるように、如何にもっともな綺麗事を並べ立てようが銭がなければどうにもならない。「金持ちケンカせず」とも言うが、銭のない貧乏人に限って見栄を張り、法螺を吹き、豪傑さをアピールする。だが何かの拍子に必ずメッキは剥がれる。行動の隙間から醜いセコさが滲み出るのだ。
D塾のA、新Kの癌・S、格闘技SのA、Fの師匠・Iらがその代表格だ。酒を浴びる程に飲み、それが豪傑の証だと勘違いしている大バカ者ばかりである。その癖、皆10円や100円にも拘る吝嗇家だ。
当然のように家内事情は常に火の車であり、他人にタカるのが実に巧い。要は最悪の「貧乏人」という事だ。身も心も腐り切った貧乏人である。
そんな阿呆がいるかと思えば、反対に如何に自分が不幸か!? 時には身内の誰彼が不治の病に冒されているとか寝たきりだとかデッチ上げてまで同情を買おうとする輩もいる。
ヤツらはヤツらで質が悪い。
自分が不幸なのは国が悪い、政治が悪いと政治家に責任を押し付けるだけでは収まらない。富める者、銭のある人間を平然と悪人呼ばわりする。まるで詐欺か強盗でもして銭を溜め込んだかのように敵視する。
それに迎合し、「税金は金持ちからふんだくればいい」とまで極言を吐く大衆に擦り寄る幇間評論家もいる。浅ましい似非貧乏人の極みだ。旧社会党、現在の社民党が好例だ。福島瑞穂のエキセントリックな醜い発言には首でも絞めてやりたいほど腹が立つ。あのタダレて崩壊寸前の顔をTVで見るだけで、私は1日中気分が悪い。
俺はなあ、汗をかき、血を吐き、涙を流しながら闘って来たんよ。死ぬ気で闘い頑張って銭を稼いできたんじゃけえ…、それをテメエら貧乏人の為に税金で取られたら堪らんのじゃ!!
日本は正当な努力による報酬を認めない精神的社会主義国(産業社会主義国)である。決して自由主義国ではない。横並び主義、年功序列が染み付いた経済後進国そのまんまだ。
そこまで言うならオマエらみんなで究極の「社会主義国」北朝鮮に移住しやがれ! そういえば最後の最後まで北朝鮮の拉致問題を否定し続けたのも土井たか子ら旧社会党の連中だった。
拉致事件が明るみになっても謝罪ひとつしない傲慢さ…オマエら皆、愚民専門の詐欺師じゃけん。社民党さんよ!!
私は近所近隣から嘲られる程、貧乏な家に育った。物心ついた頃から何ひとつ欲しいモノを買ってもらった事がない。トランジスタラジオが欲しいとダダをこねればオヤジの義兄弟・梁川の所からクズ同然のラジオを探してくる。中学の時、「ラジカセ」が流行ったが私には手に届かない夢だった…。
何故、ウチは貧乏なのか!?
何度も何度も自問自答した。
理由は簡単だった。一家の大黒柱たるオヤジが放蕩三昧で甲斐性がなかったからである。「本物」のヤクザならば甲斐性も銭もあるものだが所詮、ただの博徒には「ヒモ」になるのがいいところなのだ。常にウチの台所はお袋が昼も夜も働いた銭で守っていた。汗水垂らし、体を壊しながらお袋は働いて私を食わせてくれた。
貧乏は宿命ではない。怠惰の結果に過ぎないのだ。だから私は貧乏人が大嫌いだ。
豪快さを売りにするクセに中身のない見栄っ張りを私は唾を吐きたい程蔑む。
自らの不幸を切り売して金持ちを悪人呼ばわりする腐れオカマには呆れて言葉もない。
ヤツらには皆共通項がある。闘うべき時に闘わず、頑張るべき時に頑張らなかったゴミクズ連中だ。
力なき正義は無能なり!!
ここで言う「力」とは何も腕力だけを意味しない。銭も「力」のひとつだし地位や名誉は勿論、政治力や社会的影響力などは名実ともに「力」の象徴である。
一方で「貧すれば鈍する」という諺があるように、如何にもっともな綺麗事を並べ立てようが銭がなければどうにもならない。「金持ちケンカせず」とも言うが、銭のない貧乏人に限って見栄を張り、法螺を吹き、豪傑さをアピールする。だが何かの拍子に必ずメッキは剥がれる。行動の隙間から醜いセコさが滲み出るのだ。
D塾のA、新Kの癌・S、格闘技SのA、Fの師匠・Iらがその代表格だ。酒を浴びる程に飲み、それが豪傑の証だと勘違いしている大バカ者ばかりである。その癖、皆10円や100円にも拘る吝嗇家だ。
当然のように家内事情は常に火の車であり、他人にタカるのが実に巧い。要は最悪の「貧乏人」という事だ。身も心も腐り切った貧乏人である。
そんな阿呆がいるかと思えば、反対に如何に自分が不幸か!? 時には身内の誰彼が不治の病に冒されているとか寝たきりだとかデッチ上げてまで同情を買おうとする輩もいる。
ヤツらはヤツらで質が悪い。
自分が不幸なのは国が悪い、政治が悪いと政治家に責任を押し付けるだけでは収まらない。富める者、銭のある人間を平然と悪人呼ばわりする。まるで詐欺か強盗でもして銭を溜め込んだかのように敵視する。
それに迎合し、「税金は金持ちからふんだくればいい」とまで極言を吐く大衆に擦り寄る幇間評論家もいる。浅ましい似非貧乏人の極みだ。旧社会党、現在の社民党が好例だ。福島瑞穂のエキセントリックな醜い発言には首でも絞めてやりたいほど腹が立つ。あのタダレて崩壊寸前の顔をTVで見るだけで、私は1日中気分が悪い。
俺はなあ、汗をかき、血を吐き、涙を流しながら闘って来たんよ。死ぬ気で闘い頑張って銭を稼いできたんじゃけえ…、それをテメエら貧乏人の為に税金で取られたら堪らんのじゃ!!
日本は正当な努力による報酬を認めない精神的社会主義国(産業社会主義国)である。決して自由主義国ではない。横並び主義、年功序列が染み付いた経済後進国そのまんまだ。
そこまで言うならオマエらみんなで究極の「社会主義国」北朝鮮に移住しやがれ! そういえば最後の最後まで北朝鮮の拉致問題を否定し続けたのも土井たか子ら旧社会党の連中だった。
拉致事件が明るみになっても謝罪ひとつしない傲慢さ…オマエら皆、愚民専門の詐欺師じゃけん。社民党さんよ!!
私は近所近隣から嘲られる程、貧乏な家に育った。物心ついた頃から何ひとつ欲しいモノを買ってもらった事がない。トランジスタラジオが欲しいとダダをこねればオヤジの義兄弟・梁川の所からクズ同然のラジオを探してくる。中学の時、「ラジカセ」が流行ったが私には手に届かない夢だった…。
何故、ウチは貧乏なのか!?
何度も何度も自問自答した。
理由は簡単だった。一家の大黒柱たるオヤジが放蕩三昧で甲斐性がなかったからである。「本物」のヤクザならば甲斐性も銭もあるものだが所詮、ただの博徒には「ヒモ」になるのがいいところなのだ。常にウチの台所はお袋が昼も夜も働いた銭で守っていた。汗水垂らし、体を壊しながらお袋は働いて私を食わせてくれた。
貧乏は宿命ではない。怠惰の結果に過ぎないのだ。だから私は貧乏人が大嫌いだ。
豪快さを売りにするクセに中身のない見栄っ張りを私は唾を吐きたい程蔑む。
自らの不幸を切り売して金持ちを悪人呼ばわりする腐れオカマには呆れて言葉もない。
ヤツらには皆共通項がある。闘うべき時に闘わず、頑張るべき時に頑張らなかったゴミクズ連中だ。
貧乏で貧乏で悔しくていつも泣いていた。だから私は絶対に「力」を手にしてやるんだと誓った。
ケンカ上等!!
銭は腐る程稼いでやる!
自分の「叫び」を何万人もの耳に届かせてやる!
必死に受験勉強をした。大学の学費は勿論、バイトで稼いだ銭で払った。就職後は毎日一生懸命に働いた。(株)夢現舎を設立してからの数年間、私には1日3ー4時間以上の睡眠を取った記憶がない。
「今こそ闘うべき時であり、頑張るべき時だ!」
そう信じたからである。
血ヘドを吐くくらいに頑張って「早稲田」という学歴を手にし、恐怖に怯えながら極真空手を学び「黒帯」を取った。身を削る思いで「作品」を書いてきた。
私は自分の手で貧乏人の吹き溜まりから脱け出したのだ。
銭はある。
多少の「力」は手に入れたと自負している。
TVを見れば、小泉純一郎元首相が推進した規制緩和政策が失政だったと愚民連中が騒いでいる。虚栄心丸出しのヤツらも、自らの不幸をアピールする輩もこの点では共に本性を顕にする。
「今の日本には弱者切り捨ての風潮が蔓延している」
偽善ヅラしたボケ知識人が口を揃える。正職を持つのを嫌い「自由が欲しい!」「自分に合った仕事を探しているんだ」などと宣いながら派遣やフリーターとして好き放題無責任な生活を謳歌してきた輩が今になって「弱者」を気取り出す。
何が「弱者」だ!?
「弱者」イコール「正義」だと厚顔無恥に誤魔化して貧乏人に媚びる似非文化人ども。
テメエらみんな闘うべき時に闘わず、頑張るべき時に頑張らなかった負け犬じゃねえか!!
綺麗事など聞きたくもない。
貧乏が厭なら死ぬ気で闘って這い上がればいい。もう一歩も歩けないくらい必死に頑張ればいい。闘いもせず、口だけ達者で何ひとつ頑張らなかったクズを「弱者」なんて言葉で飾るんじゃねえよ、偽善者どもが!!
負け犬なんだよ。
「俺だってイザという時には闘えるさ!」
「今の俺はまだ力を出してない。本気になればこんなもんじゃない!」
バカ野郎!!
そう言うオマエらには永遠に「イザという時」も「本気になる時」も来ねえよ。一生能書き垂れて「弱者」ぶり社会や政治のせいにしていればいい、死ぬまでな。
話しは少し外れる。
人間は社会のなかで生きていく以上、どうしても「筋」を通さなくてはならない時もある。「筋」を通す為に銭が必要になる時もある。
たとえ銭に困っていても、ここぞという時には借金してでも出さなくてはならない時があるのだ。そんな時に銭を工面する器量がなくてどうする!? それは見栄や虚栄心とは別種なモノだ。
「筋」を違えている負い目を糊塗する為にセコい言い訳をしたり、銭を出し惜しみするヤツこそが本当の意味で身も心も腐った「貧乏人」なのだ。D塾のA先生様、違いますか!?
他人を脅して銭を盗る事には長けていても、1000円でさえ出すのを厭がるケツの穴が小さいチンピラヤクザ。たとえ「筋」や「礼」の為であっても銭は出さない、醜く値切る…そういうのを最低最悪なゲスヤクザと言うのだ。
先日、私の周囲で「ある事」があった。
心の籠った気遣いをして下さった方々には私自ら真底からお礼と感謝をさせて頂きたい。本当にありがとうございました。
何よりも極真会館館長・松井章圭氏には言葉もない程の感謝の念で一杯だ。私は長年、彼とは「悪友」であり、時には「義兄弟」のつもりでいた。だが、そんな陳腐な関係を超えた所に松井章圭という「漢」がいる事を痛感させられた。
誤解を怖れずに言うなれば、松井章圭こそは誰よりも「筋」と「義」を忘れない本物の侠客(男伊達)である。その技量には私が如何に背伸びしても届かない。彼こそが正真正銘の「力」を持った人間なのだ。
松井章圭…悔しいが、コイツには絶対勝てない!!
何故なら、彼は地獄の修羅場のなかで闘うべき時に闘い、頑張るべき時に頑張ってきた勇者だからである。
(了)
ケンカ上等!!
銭は腐る程稼いでやる!
自分の「叫び」を何万人もの耳に届かせてやる!
必死に受験勉強をした。大学の学費は勿論、バイトで稼いだ銭で払った。就職後は毎日一生懸命に働いた。(株)夢現舎を設立してからの数年間、私には1日3ー4時間以上の睡眠を取った記憶がない。
「今こそ闘うべき時であり、頑張るべき時だ!」
そう信じたからである。
血ヘドを吐くくらいに頑張って「早稲田」という学歴を手にし、恐怖に怯えながら極真空手を学び「黒帯」を取った。身を削る思いで「作品」を書いてきた。
私は自分の手で貧乏人の吹き溜まりから脱け出したのだ。
銭はある。
多少の「力」は手に入れたと自負している。
TVを見れば、小泉純一郎元首相が推進した規制緩和政策が失政だったと愚民連中が騒いでいる。虚栄心丸出しのヤツらも、自らの不幸をアピールする輩もこの点では共に本性を顕にする。
「今の日本には弱者切り捨ての風潮が蔓延している」
偽善ヅラしたボケ知識人が口を揃える。正職を持つのを嫌い「自由が欲しい!」「自分に合った仕事を探しているんだ」などと宣いながら派遣やフリーターとして好き放題無責任な生活を謳歌してきた輩が今になって「弱者」を気取り出す。
何が「弱者」だ!?
「弱者」イコール「正義」だと厚顔無恥に誤魔化して貧乏人に媚びる似非文化人ども。
テメエらみんな闘うべき時に闘わず、頑張るべき時に頑張らなかった負け犬じゃねえか!!
綺麗事など聞きたくもない。
貧乏が厭なら死ぬ気で闘って這い上がればいい。もう一歩も歩けないくらい必死に頑張ればいい。闘いもせず、口だけ達者で何ひとつ頑張らなかったクズを「弱者」なんて言葉で飾るんじゃねえよ、偽善者どもが!!
負け犬なんだよ。
「俺だってイザという時には闘えるさ!」
「今の俺はまだ力を出してない。本気になればこんなもんじゃない!」
バカ野郎!!
そう言うオマエらには永遠に「イザという時」も「本気になる時」も来ねえよ。一生能書き垂れて「弱者」ぶり社会や政治のせいにしていればいい、死ぬまでな。
話しは少し外れる。
人間は社会のなかで生きていく以上、どうしても「筋」を通さなくてはならない時もある。「筋」を通す為に銭が必要になる時もある。
たとえ銭に困っていても、ここぞという時には借金してでも出さなくてはならない時があるのだ。そんな時に銭を工面する器量がなくてどうする!? それは見栄や虚栄心とは別種なモノだ。
「筋」を違えている負い目を糊塗する為にセコい言い訳をしたり、銭を出し惜しみするヤツこそが本当の意味で身も心も腐った「貧乏人」なのだ。D塾のA先生様、違いますか!?
他人を脅して銭を盗る事には長けていても、1000円でさえ出すのを厭がるケツの穴が小さいチンピラヤクザ。たとえ「筋」や「礼」の為であっても銭は出さない、醜く値切る…そういうのを最低最悪なゲスヤクザと言うのだ。
先日、私の周囲で「ある事」があった。
心の籠った気遣いをして下さった方々には私自ら真底からお礼と感謝をさせて頂きたい。本当にありがとうございました。
何よりも極真会館館長・松井章圭氏には言葉もない程の感謝の念で一杯だ。私は長年、彼とは「悪友」であり、時には「義兄弟」のつもりでいた。だが、そんな陳腐な関係を超えた所に松井章圭という「漢」がいる事を痛感させられた。
誤解を怖れずに言うなれば、松井章圭こそは誰よりも「筋」と「義」を忘れない本物の侠客(男伊達)である。その技量には私が如何に背伸びしても届かない。彼こそが正真正銘の「力」を持った人間なのだ。
松井章圭…悔しいが、コイツには絶対勝てない!!
何故なら、彼は地獄の修羅場のなかで闘うべき時に闘い、頑張るべき時に頑張ってきた勇者だからである。
(了)