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特集:今年度新聞協会賞 毎日新聞・熊本日日新聞、社会部長対談

 ◇記事が国を動かした

 今年度の新聞協会賞(編集部門)に選ばれた、毎日新聞大阪本社社会部の「『無保険の子』救済キャンペーン」と、熊本日日新聞の連載企画「川辺川ダムは問う」。いずれの企画も「格差と貧困」や巨大公共事業のあり方など、今日的な課題を現場の視点から発信し続けた。毎日新聞大阪本社の黒川昭良社会部長と熊本日日新聞の丸野真司社会部長が、取材を振り返りながら「新聞の力」をテーマに意見を交わした。【司会は岩瀬彰・共同通信熊本支局長、写真は野田徹・熊本日日新聞写真部記者】

 ◇子どもに責任はない--黒川

 ◇突きつけた地方の声--丸野

 --取材のきっかけや企画の意図は?

 丸野 昨年9月に熊本県の蒲島郁夫知事が、県議会で川辺川ダムの建設反対を表明したことを受け、昨年末から半年間連載を続けた。歴代知事が42年間、国と一緒に進めてきた方針が180度転換した。巨大な公共事業が立ち止まり、2代、3代にわたって人生を翻弄(ほんろう)されてきた地元・五木村の人たちはどう受け止めているのか。「一度走り出したら止まらない」といわれる公共事業がどう変わるのか。国と県、県と村のそれぞれの行政のあり方も交えながら考えたかった。

 黒川 若い記者が取材で回った小学校の養護教諭から「『保険証ないねん。先生、湿布くれ』と言ってくる子どもがいる」という話を耳にしたのが端緒だった。親が生活苦から国民健康保険料を払えず、保険証を取り上げられたという。「国民皆保険」を基本理念に掲げるわが国で、貧困ゆえに病院に行けない子どもが身の回りにいたのはショックだった。この現実を何とか改善したい。そんな思いでキャンペーンを展開した。「無保険の子」という一般的に認知されていない問題に光を当て、法改正を実現することができた。

 丸野 「湿布くれ」という声なき声に、きちんと反応したのがすごいと思う。私たちの企画も地元の五木村民の声に耳を澄ますことに軸足を置いた。村の人たちの「苦渋の決断」の5文字の中にあるものを、きちんと聞き出さなければいけないと。

 黒川 新聞記者、特に社会部記者は市井の人々の喜怒哀楽を描くのが最大の仕事。原点は現場にある。記者が現場に立ち、その人たちの怒りや喜びを真っ正面から受け止めることで、はじめて読者の共感を呼ぶ記事を発信できる。

 --両企画は、地方の現場から国の政策に訴えた点が共通しています。

 丸野 「ローカルな価値観があっていい」というのが、蒲島知事の反対表明の根拠の一つ。国が一方的に公共工事の基準を作って、全国一律に当てはめてきた現状への反論だ。川辺川の問題を通じ、熊本では、住民が国と一緒になってダムの是非を議論する「熊本方式」を作り上げてきた歴史がある。蒲島知事の表明から2カ月後の昨年11月には、大阪、京都、滋賀、三重の4府県知事が大戸川ダム(大津市)計画の凍結を国に求めた。地方のうねり、動きを国に突きつけることができた。

 黒川 キャンペーンでは地方自治体に計6回のアンケートを実施した。そもそも「無保険の子」に関するデータそのものがなく、厚生労働省は調査しようとしない。まず厚労省を動かす突破口として、主要都市を対象に独自に調査した結果、20都市で7333人という数字が出た。それが厚労省を動かし、全国約3万3000人という公的調査結果につながった。アンケートでは、独自の救済策をとっている自治体と、そうでない自治体との格差が大きいことも分かり、紙面で公表した。これらの取り組みが、地方からうねりを起こし、国を包囲し、法改正につながった。アンケートはきわめて有効な問題提起の手法だと実感した。

 ◇しつこい取材が財産--丸野

 ◇貧困問題さらに追及--黒川

 --いずれも半年以上の長期企画。読者の反応は?

 黒川 肯定的な反響ばかりでなく「保険料を滞納する親が悪い」という厳しい意見もあった。官僚の論理も同様だった。記事で一貫して訴えたのは「子どもに責任はない。子どもは親を選べない」ということだ。晩年、ユニセフ親善大使として貧困国を歴訪し、子どもたちの救済を訴えたオードリー・ヘプバーンは「子どもより大切な存在ってあるかしら」と語っている。キャンペーンが広く共感を呼んだのも、そこにある。

 丸野 知事が反対表明した今でも、地元では、まだ賛否が割れている。取材班をつくった10年前から「単純な二項対立にしない」という視点で、丹念に丹念に書いてきたつもりだが、読者からは「歯切れが悪い」とも言われた。取材に行く度に「熊日は賛成、反対? 記者さんは賛成、反対?」という話になってしまう。対立をどう克服していくか、ようやくスタートラインに立ったととらえている。

 --取材上、苦労したことは。

 丸野 駅伝のような企画だった。この10年間で、延べ30人くらいの記者が企画に携わっている。立場を変えて3回くらい断続的にかかわった記者もいる。大勢の記者の特性を生かしながら、総合力で勝負した。地方紙だから地元から逃げられない。先輩から引き継いだ「しつこい取材」が財産だ。

 黒川 日々発生する事件・事故を含め、社会部の取材範囲は広い。長期のキャンペーンを中核になって支えたのは、少数の記者だった。それでもやり抜くことができたのは、現場で感じた怒りがあったからこそ。時代を鋭敏にとらえ、きちんとした戦略を立てれば、少人数でも、世の中を変えることができるんだと思った。

 --それぞれ今後の展開は。

 丸野 マニフェスト(政権公約)に川辺川ダム中止を盛り込んだ民主党が政権を取り、だめ押しになった。しかし、現在の制度では、公共事業は一度動き出したら止まらない。ブレーキもバックギアもない。さらに、予算は当初計画の10倍にも膨らんでいる。水没する五木村中心部は、1軒を除いて移転した。戻らない時計の針をどうするのか。私たちも政策提言を含めて、一緒に考え、報道していきたい。長期の取材で思うのは、この問題は「らせん状」であるということ。単純にスタートとゴールがあるのではなく、同じ所を行ったり戻ったりしているような面もある。だからこそ、この報道はやめられない。

 黒川 昨年6月末にキャンペーンの第一報を記事にした後、9月にリーマン・ショックがあり、貧困問題がクローズアップされるようになった。それが法改正を後押しした。ただ、今回の改正では、与野党の政治的妥協の結果、中学生までは救済されたが、高校生世代は対象から外された。新政権に改善を求めていきたい。「無保険の子」の問題は「子どもの貧困」の一つの側面にすぎない。家庭や学校教育の現場などさまざまな局面で、貧困が子どもたちの夢や未来を奪っている。先に述べたオードリー・ヘプバーンの言葉を胸に刻み、これからも時代と格闘していきたい。

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 ◆「無保険の子」救済キャンペーン

 ◇親の滞納、子どもに痛み

 親が国民健康保険料を滞納して一家の保険証を失い、滞納の責を問えない子どもまでもが医療から遠ざけられる。「無保険の子」救済キャンペーンは、こうした国民皆保険制度のほころびを問うことから始まった。

 昨年6月、民間団体・大阪社会保障推進協議会が独自集計したデータから「大阪府内に無保険の子628人」と特報し、病院に行けない貧困家庭の子どもの姿を伝えた。野党だった民主党も「子どもの命を軽視している」と制度の見直しを求めた。

 行政用語に「無保険」は存在しない。一時的に給付を止められた「資格証明書」の世帯数があるだけで、この時点では自治体ごとの子どもの人数など基礎データはなかった。

 このため取材班は8月、県庁所在地など51都市にアンケートを行い、「20都市に7333人」と報道した。10月末には厚生労働省の全国調査で、約3万3000人の無保険の子が判明し、大阪市や札幌市など大都市が、独自に子どもの救済に乗り出した。

 制度のすき間に落ちた子どもたちの存在は国会を動かし、12月、中学生以下に無条件に保険証を交付する国民健康保険法の改正が全党一致で実現した。

 キャンペーンは一区切りを迎えたが、問題の背景に「高すぎて払えない保険料」という構造が横たわっていた。実態把握のため「所得200万円の4人家族」というモデルを設定。3カ月かけて約1800の全市区町村の年間保険料を調査したところ、最大3・6倍の地域格差が裏付けられた。今年6月に「国民壊?保険」シリーズで苦悩する自治体や住民の姿を伝え、制度の抜本的な改革を訴えた。【毎日新聞社・竹島一登】

 ◆連載企画「川辺川ダムは問う」

 ◇公共事業を検証、全58回

 連載企画「川辺川ダムは問う」は、2008年9月に熊本県の蒲島郁夫知事がダム建設反対を表明したのを機に、巨大公共事業が問い掛ける課題を地方の視点で検証した。連載は同年12月から今年6月まで8部計58回に及んだ。

 1部「山里の苦悩」では、計画発表から42年、ダムに翻弄(ほんろう)され続けてきた水没予定地・五木村の今に視点をあてた。370世帯が暮らしていた村の中心部の住民は高台の代替地や村外に移転。水没予定地に残ったのは移転を拒み続けている老夫婦だけ。先の見えない不安にさいなまれる村人の声に耳を傾けた。

 2部「両岸の攻防」、3部「舟出の彼方」、4部「蛇行の果て」では、国、県、市町村のダムをめぐる政治的駆け引き、検討が始まっているダムに代わる治水対策の行方、ダムの目的の一つで、休止した農業利水事業の現状を掘り下げた。

 蒲島知事は前知事が撤去を決めた同じ流域の県営荒瀬ダムを存続へと方針転換。川辺川ダムと逆の判断に至った背景を5部「相反する決断」で探った。大阪、京都、滋賀、三重の4府県知事が淀川水系大戸川ダム(大津市)建設中止を国に要請した動きを6部「知事たちの反旗」で伝えた。

 7部「民意のうねり」は蒲島知事が反対表明に至ったプロセスを検証し、公共事業と民意の在り方を考えた。8部「未来への視点」は各界関係者にインタビューした。

 1960年代、熊本県の松原・下筌(しもうけ)ダム反対闘争の先頭に立った故・室原知幸さんは「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなわなければならない」との名言を残す。総括特集では法、理、情の三つの視点からダム事業をとらえ直し、取材班の提言とした。【熊本日日新聞社・横山千尋】

毎日新聞 2009年10月15日 東京朝刊

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