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ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 7

1 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 13:34:51 ID:bO/ddsYi0
民主党鳩山由紀夫党首の妻、幸夫人に注目するスレです。
次スレは950で立ててもらえると友愛でなんたらかんたら。

過去スレ
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 6
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255045597/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 5
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1254385095/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 4
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255045597/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 3
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1253026097/l50


2 :週間新潮 9月24日号 @:2009/10/14(水) 13:36:18 ID:bO/ddsYi0
在米の元夫がぶちまける「鳩山新総理夫妻」が犯した35年前の原罪「略奪婚」
(週刊新潮2009年9月24日号)

▼恩人の妻に手を出した留学生と流し目の年上人妻
▼「友愛精神」が発揮されなかった慰謝料ゼロの離婚劇
▼勤め先で漏らした欲求不満と「玉の輿コンプレックス」

「とうとう由紀夫くんが総理になりましたね。まあ、いつまで続きますか。
私としては、彼には一国のリーダーとしてまったく期待していません。
彼自身がどこまでやれるのか分かりませんが、ワイフである幸がちゃんとした内助の功で支えられればいいんですが。
彼女にとって、サンフランシスコでの出来事は忘れてしまいたい過去なのでしょう。
きっと、当時知り合った人たちとは一切かかわりをもちたくないと思っているんでしょうね……」

今から40年ほど前の苦い℃vい出を振り返るのは田浦新一郎さん(72)である。

1960年、米国サンフランシスコで姉夫婦が日本料理店『蝶々』を開店する際、料理人として手伝うべく渡米。
以来、姉夫婦がリタイアして後も切り盛りし、98年に閉店した。

同店はハリウッド監督のフランシス・F・コッポラやジョージ・ルーカスらも贔屓にし、日本人ビジネスマンにも人気を博す。
平岩弓枝の小説『女の顔』にも、仮名ながら店が登場するほどだ。

その田浦さんの言う「幸」とは、言うまでもなくファーストレディ、鳩山幸夫人(66)のこと。


3 :週間新潮 9月24日号 A:2009/10/14(水) 13:37:24 ID:bO/ddsYi0
ご存じの通り、幸夫人は「若みゆき」の芸名で娘役として宝塚に6年ほど在籍し、パリ公演にも出演した経験をもつ。
そして67年に宝塚を退団し、渡米して田浦さんと結婚した。

「私に幸を紹介したのは、洋菓子店『アマンド』の滝原健之社長(故人)でした。
社長は宝塚を応援していて、冗談半分で私が誰か嫁を探してくださいよ≠ニ言ってたら本当に連れてきた。
それが24歳の幸でした。
幸は活発な女性でね。
やはり宝塚のような世界にいたのでハキハキしていたし、第一印象も綺麗だなあという感じ。
でも、私と暮らしている時はそんなに派手ではなかったですよ。
歌は上手く、英語の発音もよかったけど」

結婚直後から、幸夫人は田浦さんとともに『蝶々』で働き始める。

が、今でこそ料理本をものしたり料理番組にも出演するほどだが、当時は料理はダメ。
店ではもっぱらウェイトレス、というより客をテーブルに案内する係りだった。

「でもウェイトレス同士で仲が悪く、チップの多寡でよくトラブルを起こしていたと、後に姉や義兄から聞きました」

4 :週間新潮 9月24日号 B:2009/10/14(水) 13:38:30 ID:bO/ddsYi0
そんな結婚生活が3年ほど過ぎた70年、田浦さんはある人物と運命的な邂逅をすることになる。
他でもない、鳩山由紀夫新総理だ(62)。

「実は、私に由紀夫くんを紹介したのもアマンドの滝原さん。
たまたま私が日本に帰っていた時、今度アメリカに留学する青年がいるから、アメリカでの生活とか話して
やってくれと引き合わされまして。
第一印象は、世間知らずのお坊ちゃんという感じ。
その時はシスコに来たら連絡して≠ニいう程度で、その後、実際にシスコの我が家に来たんです。
その時は弟の邦夫くん(元総務相)も一緒でした。
邦夫くんとは気が合って後にゴルフにも行くようになりましたが、由紀夫くんは弟と違うタイプでね。
暗いというか、あまりしゃべらない大人しい人でした」

その23歳の世間知らずの暗い青年≠ェ、ほどなくして自らを不幸のどん底に突き落とす所業に及ぼうとは、
無論、この時の田浦さんは夢にも思っていなかった。


5 :週間新潮 9月24日号 C:2009/10/14(水) 13:39:11 ID:bO/ddsYi0
◆家を出ていきます◆

鳩山新総理は東大工学部を卒業後、スタンフォード大大学院に留学。当時は、そのまま学究の道を目指していた。

スタンフォードからサンフランシスコまではおよそ60キロ、車で1時間ほど。
が、由紀夫青年は、田浦さんの店に頻繁に通うようになる。

「我が家でご馳走することもありましたし、店にもとにかくよく食べに来てました。
でも姉によると、いつもお金は払わない。
鳩山家からもこれで食べさせてください≠ニかお金をもらったことなどありません。
彼の世話はだいたい姉夫婦がやってまして、日曜ごとに彼に弁当を作って届けていたほどなんです」

やがて、幸夫人は『蝶々』を辞めさせられる。
前述のようなトラブルが続き、経営者である田浦さんの義兄から家事に専念しろ≠ニ言われてのことだった。

それからしばらく後、ある事件≠ェ勃発する。

「義兄の家のポストに弟さんの留守中、男がこっそり出入りしている≠ニ書かれた手紙が入っていたのです。
後で知りましたが、それは我が家の目の前に住んでいた邦銀勤務のご主人が書いてくれたものでした。
それでも、私はまさか幸が不倫をしているとは思っていなかったし、その相手が由紀夫くんだなどとも、まったく
疑っていなかった。
だから、幸にもこういう手紙が来たから疑われるようなことはするな、気を付けろ≠ニ言っただけで、
追求するようなことも一切しなかったのです」


6 :週間新潮 9月24日号 D:2009/10/14(水) 13:39:58 ID:bO/ddsYi0
しかし、この頃すでに当地の邦人社会では、由紀夫青年と幸夫人の怪しい仲≠ェ心配されていたという。
そして実際、それから1年もしない間に、第2の事件≠ェ起きてしまう。
何と、幸夫人が田浦さんの家から出奔してしまったのだ。

「ある日、私が帰宅すると、家を出て行きます≠ニいう置手紙だけが残されていまして……。
その時初めて、ああ、2人はそうだったのかと知りました。
義兄はポストの手紙事件後、探偵を使って2人を尾行し、不貞の事実を確認していたそうです。
結局、幸からはそれっきり、今に至るまで一度も連絡はない。
もちろん、由紀夫くんも二度と店にも現れなくなりました」

結果、2年後の73年、田浦さん夫妻は正式に離婚する。
が、その手続きも、幸夫人の母親が突然、田浦さんのもとに現れ、一言協議離婚にしたい≠ニ言ったのみ。

慰謝料はもちろんのこと、謝罪の言葉すらまったくなかったという。

「私としては、何だかもういいや≠ニいう気持ちでね。
ドライというか、冷めた気持ちになっていました。
姉夫婦はかなり頭にきてました。
そりゃあ、あれだけ由紀夫くんの面倒を見ていたわけですから、裏切られた思いが余計に強かったのでしょう」

出奔後、幸夫人は由紀夫青年のもとに走り、そのまま同棲。そして2年後、結婚する。

当時、本誌『結婚』欄で報じた際、28歳の由紀夫青年はこう語っている。
<僕も彼女も、なるべく円満に事を運ぶために、忍耐強く、時間をかけました。幸い、ご主人が話の
よくわかった方で、3年前、協議離婚が成立したのです>

円満どころか、恩人の妻に手を出した挙句の紛れもない略奪婚≠セったのだ。
ちなみに結婚式直後、ゴッドマザーこと新総理の母、安子さんが『蝶々』を訪れているが、やはり、
田浦さんには会わず終いだった。


7 :週間新潮 9月24日号 E:2009/10/14(水) 13:40:44 ID:bO/ddsYi0
◆車でも用意してちょうだい◆

田浦さん実姉、坂田哲子(のりこ)さん(83)も、憤懣やるかたない思いを吐露する。

「主人が生きていたら、由紀夫が総理、幸がファーストレディと聞いてどれほど憤ったことか。
彼は私たちが世話したことを当たり前のように思っている。
幸の方は、いつも自分が一番でないと気がすまない性格。
2人とも常識がなさすぎます。
こんな人たちが庶民の気持ちなど分かるわけがないし、リーダーになるなんて信じられません」

幸夫人は『蝶々』を辞めさせられて後、まだ田浦さんと離婚する前から、知人の紹介でシスコ市内の
宝石店に勤め始める。

そのオーナーで、今もシスコ在住のレタ・ターナー女史の述懐。
「私自身も恋多き女でしたから、幸さんもそこに共感したのか徐々に仲良くなり、よくお寿司屋さんでご馳走しました。
新さんに興味が持てない、あまりセックスもないの≠ニご主人のことを憂鬱そうに話す一方で、
鳩山さんのことはとても気に入ってるの、運命の人かもしれない≠チて嬉しそうに言ってました。
彼女が鳩山さんに恋をしているのは一目瞭然でしたね」

駆け落ちの相談もされたという。

「ある夜、2人で自宅に訪ねてきて、新さんのところから出たい≠チていうの。
鳩山さんは後ろに立ってるだけで、幸さんが彼を従えているような印象でした。
彼女が鳩山さんのもとに走ったのは、どこかお金に惹かれたからじゃないかしら。
当時は日本人はほとんど永住権をもらえない時期で、そんな時代に日本料理店で成功していると聞けば、
誰でもそれなりの資産を持っていると思います。
それが実際に新さんと結婚してみると、ウェイトレスの手伝いばかり。
幸さんは、アテが外れたように感じていたのかもね」

後に女史は2人の結婚を風の便りで知るが、今に至るまで、夫妻からはクリスマスカード1枚すらないという。


8 :週間新潮 9月24日号 F:2009/10/14(水) 13:41:26 ID:bO/ddsYi0
田浦さんを古くから知る知人の実業家もこう憤る。
「恩人の奥さんを奪い、その尻拭いを母親にさせ、自らは未だに謝罪の一言もない。
政治家という以前に、品性が卑しくモラルも何もない人間としか思えない」

田浦さんは、政治家の妻となった幸夫人のある行状≠当地総領事館の友人から伝え聞き、酷く哀しい
思いをしたことがある。

再び、田浦さん本人が語る。
「時期は忘れましたが、幸は一度、1人でシスコに遊びにきたことがあるそうです。
その歳、シスコの総領事館の人に大きな顔をしていたらしい。
私は鳩山由紀夫のワイフよ、車でも用意してちょうだい、て調子でね。
ショックだったね。
何でそういう常識に外れたことをするのか……」

さらに、米国で医師と結婚していた幸夫人の実姉からかつて聞いたこんな言葉を、いま思い出すという。
「当時、お姉さんはよく私は金持ちとしか結婚しない≠ニ言ってました。
妹の幸も派手な世界の出身ですし、やはり私の収入では物足りなかったのかも……」

そして最後に、元妻へこんな苦言を呈す。
「由紀夫くんは友愛って言うけど、それなら、ワイフである幸も自分が目立とうとするのではなく、本当に
愛があるなら、ボランティアをやったり困っている人をヘルプしなくちゃ。
それでこそ愛が見えるしファーストレディでしょう」

35年の昔とはいえ、新総理夫妻の原罪=A決して軽いものではあるまい。

<終了>
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20090916/


9 :週間文春 9月24日号 @:2009/10/14(水) 13:42:36 ID:bO/ddsYi0
鳩山幸 元夫・田浦新一朗氏が実名告白 私を裏切った由紀夫くんと幸へ
週刊文春2009年9月24日号

小誌は9年前、鳩山幸夫人の前夫の義兄、ジェームス坂田氏の手記を掲載した。
そこには、義弟の妻を奪い、その家庭を壊した、およそ「友愛」とは程遠い由紀夫氏の行状が綴られていた。
そして今回、前夫の田浦新一朗氏本人が、ついに重い口を開いたのである――。

▲「お金がある人じゃないとダメなの」が口癖
▲昔から有名人好き
▲謝罪は母・安子さん任せ 

「九州にいる親戚から昨日電話がかかってきました。幸がファーストレディになるからテレビに
出まくっているけど、相変わらずチャラチャラしてるよ、やだねぇ≠ニ……」
こう話すのは田浦新一朗氏(72)。
サンフランシスコ郊外に在住する田浦氏は、鳩山由紀夫首相婦人・幸さん(66)の前夫だ。

彼女の略歴を『朝ズバッ!』(TBS系、9月7日放送)ではこう伝えている。

●1961年 宝塚歌劇団入団
●1967年 宝塚を退団。ダンスの勉強をするためアメリカへ留学
●1975年 アメリカ留学中の鳩山由紀夫氏と出会い結婚
運命的に出会い、熱愛のすえ結ばれたように見えるが、この結婚はそんなに美しい物語では決してなかった。
なぜなら二人の結婚は不道徳な略奪婚だったからである・・・・・・。


10 :週間文春 9月24日号 A:2009/10/14(水) 13:43:45 ID:bO/ddsYi0
実は小誌は9年前にも田浦氏に面会している。

田浦氏の義兄のジェームス坂田氏が
「総理を狙う男を告発!義弟の妻を奪った輩を許さない 初めて明かす鳩山由紀夫の不道徳な略奪婚=v
(2000年10月12日号)に手記を寄せた。

そのとき田浦氏は、
「今は幸も私もそれぞれ家庭がありますから、昔のことはお話しするつもりはありません。それに男と女のことですから」
と言っていた。

そしてこう続けた。
「義兄と姉は、由紀夫君が30年以上前サンフランシスコでしたこと≠現在も許せずにいます。
由紀夫君が市井(しせい)の人ならば、昔のことを公にする必要はありませんが、現在、由紀夫君は総理を
狙う政治家というではありませんか。ならば、過去のことを日本の方々に話したいという義兄の気持ちに、
反対する理由はありません」

当時、由紀夫氏は民主党代表。
森喜郎政権の支持率が低迷していたこともあり、次期総理の有力候補として名前が挙がっていた。
あれから9年の月日が流れ、いよいよ鳩山政権が誕生した。


11 :週間文春 9月24日号 B:2009/10/14(水) 13:47:40 ID:bO/ddsYi0
◆間男に総理は務まらない◆

9年前の取材の折に、坂田氏は憤りを露わにし、「間男をするような男、泥棒に総理大臣は務まらないでしょう」
と吐き捨てていた。

その坂田氏も5年前に他界した。
「義兄があのとき発言したことを鳩山夫婦が真摯に受け止めてくれることを願っていたのですが、最近の様子を
聞くと、どうやらそういうこともないようですね」(田浦氏)

坂田氏の手記を簡単に振り返ろう。
70年、東京大学卒業後、スタンフォード大学に留学することになった鳩山氏。
知人の紹介で、日系2世の坂田氏一家が、鳩山氏の慣れない外国暮らしのアテンドをすることになった。

当時坂田氏はサンフランシスコで日本料理店「蝶々」を経営。
そこで手伝っていたのが、田浦氏と嫁の幸さんだった。
翌年、由紀夫氏と幸さんの密会が目撃されるようになる。

◆食事代もチップも払わない◆

坂田氏の夫人・ノリコさんが証言する。
「主人のもとに、弟の家の近所に住む日本の会社の駐在員の奥さんから、弟の留守中に不審な男が
出入りしているという内容の手紙が送られてきたのです。
散々考えた挙げ句、主人が元CIC(米軍諜報部隊)の情報局にいたシュワルツさんにお願いし、2人を尾行してもらいました。
1週間後に届けられた報告書には、幸と由紀夫君が、彼のムスタングでホテルに行ったなど詳細が報告されていました」

その後、幸さんは計画的に田浦氏の家を出て、鳩山氏と同棲。
以来、今日に至るまで、詫びはおろか連絡も一切ない。


12 :週間文春 9月24日号 C:2009/10/14(水) 13:48:52 ID:bO/ddsYi0
坂田氏の手記より。
<昔から「添え膳食わぬは男の恥」という言い方もありますが、一宿一飯の世話になった男の嫁に関しては、
話は別というのが常識でしょう。(中略)由紀夫氏には、そういったモラルが完全に欠如している>

ノリコさんが続ける。
「当時お店の休みは日曜日だけでしたが、私たち夫婦は留学してきた由紀夫君のために車で一時間ほどかけて
スタンフォードのあるパロアルトまで行き、お弁当を届けていました。
ときどきは店にもみえてましたが、食事の代金もチップも一度も払うことはなかったです。
お金持ちのお坊ちゃまはそういうものなんでしょうか。
これでは庶民の気持ちなんてわからないでしょうね」

幸さんについては、
「店の従業員の女の子と、とにかくうまくいきませんでした。
いただいたチップの取り分が原因で揉めたことも一度や二度ではありません。
恐らく、いつでも自分が一番目立ちたいという性格が災いしたんでしょう。
店には有名人のお客様も多く、訪米時には空港まで迎えに行っていましたが、そういうときはいつも張り切っていましたね。
森繁久彌さんがいらしたときに、私の着物を貸しましたが、いまだに返してもらってません。
私お金がある人じゃないとダメなの≠ニ口癖のように言っていました」


13 :週間文春 9月24日号 D:2009/10/14(水) 13:49:53 ID:bO/ddsYi0
ノリコさんも最近、テレビの国際放送などで、幸さんを目にすることが増えた。

「相変わらずのようですね。
幸は人生には無駄がありません。前夫の家が料理屋で、そこでお料理を学んだおかげで、今お料理の本を出したりできた
と言ってましたが、彼女が厨房に入って料理をしたことは一度もありません。
彼女の仕事はいらしたお客様をテーブルまで案内するのがほとんどでした。
もともと幸は知人と一緒に突然シスコにやってきて、3日目から弟の部屋に入り浸ってしまったんです。
困った弟は別の部屋で寝ていました」

翌年、田浦氏は幸さんに押し切られる形で結婚する。
しかし、前述のように従業員とのいざこざが絶えず、坂田氏は幸さんに店を辞めさせた。

当時のことを幸さんはこう振り返っている。
「私は家を出ます、って言ったの。
(中略)贅沢な話だと言われるんですが、それまでの結婚は自由でしたが生活感がないというのか。
お金を手にしないでもサインとカードで暮らせるアメリカ生活に物足りなさを感じていたんです。
自分で給料をもらって、その中でやりくりをするようなことがしたかった」
(『週刊朝日』95年12月15日号)


14 :週間文春 9月24日号 E:2009/10/14(水) 13:50:42 ID:bO/ddsYi0
◆葬儀に花を贈った弟・邦夫氏◆

ノリコさんが続ける。
「当時のアメリカはまだカード社会ではありませんでした。
幸は昔から、自分をよく見せるために、ストーリーを作ることが多かったですね」

由紀夫氏との出会いについて、幸さんが語っていることにも、事実とは異なる点があるという。

幸さんの説明。
「今度この人がアメリカに行くからよろしくね、という感じで里帰りで初めて会ったのね。
あたし別に興味なかったんだけど。
世の中偶然がないからね、これが必然で赤い糸だったって思うのが、同じ飛行機で(シスコに)行ったのね。
1年くらいしてからダウンタウンを車で走っていたら彼を見かけて、これが2度目の出会いね。
それから毎週シスコに出てくるようになって、私が食事を作ってあげて・・・・・・」
(テレビ東京『美女放談』での発言より)

ノリコさんが言う。
「幸が初めて由紀夫君に会ったのは、私たちと一緒に由紀夫君を迎えに行った空港だったと思います」


15 :週間文春 9月24日号 F:2009/10/14(水) 13:51:44 ID:bO/ddsYi0
◆前夫から最後のメッセージ◆

田浦氏も、
「偶然っていうのはそんなに重なるものなんですかね(苦笑)。
私が最初に由紀夫君に会ったのは、たしかに知人の紹介で東京でしたが、その時は幸はいませんでした」

自身の都合のいいようにストーリーを展開するというのは幸さんのみならず、由紀夫氏も同様のようだ。
75年3月、鳩山夫妻は結婚。

当時のマスコミには鳩山家の御曹司がバツイチの女性と結婚するというので、随分書き立てられた。
不義理の末の駆け落ちと報じられたが、由紀夫氏は、
<それは間違いです。僕も彼女もなるべく円満に事を運ぶために、忍耐強く、時間をかけました>
(『週刊新潮』75年4月10日号)

しかし鳩山夫妻は、幸さんが田浦家を出てから一度も、田浦氏はもちろん坂田夫妻と話し合う機会も持とうとしなかった。

「由紀夫君のお母さまの安子さんが、二人の結婚式のときにお詫びにおいでになっただけです。
主人が亡くなったときに、弟の邦夫さんからはお花をいただきましたが、由紀夫さんからは連絡すらありませんでした」
(ノリコさん)

坂田氏は手記の最後に自身の思いをぶつけている。
<モラルのない人間が政治をやると、それはただの『政治屋』になってしまいます。
先の大戦で無辜の民を苦しめた日本の政治家は、依然として同じ体質なのでしょうか。
(中略)こんな男に国をまかせておいていいのか・・・・・・>

渡米して50余年が経つ田浦氏も、遠い異国で日本の行く末を憂えている。
困ったことが起きると雲隠れし、挙げ句母親に詫びを入れさせる。
そんな男が日本の首相の座につく。


16 :週間文春 9月24日号 G:2009/10/14(水) 13:53:22 ID:bO/ddsYi0
「最近読んだ『白州次郎 占領を背負った男』(講談社)という本に、こんな一節がありました。
主義主張を異にする自社両党が政権のために連立するのは政党政治の本領に反し、ひいては両党のためにもなるまい=B
昭和22年、吉田茂の自由党が片山哲率いる社会党に第一党の座を明け渡したとき、片山は単独で政権を担う自信が持てず、
自由党からも閣僚を送ってほしいと申し出たのですが、そのとき吉田茂は、こう言って申し出を断ったのです」

田浦氏は、男なら由紀夫氏も、このくらいの覚悟を持ってほしい、という。

一方、幸さんはアメリカの新聞「サンフランシスコクロニクル」に、<エキセントリック・ファーストレディー>
として取り上げられている。

田浦氏が言う。
「幸夫妻が以前、テレビ番組『料理の鉄人』に出ている姿がこちらの日本語放送でも流れましたが、ああいうことは
これからどうかと思います。
アメリカのファーストレディーはボランティア活動にも積極的に取り組んでおり、また夫の外遊にも同行ししっかりと
内助の功を果たしています。
きちんとしたファーストレディーになってください。それが今の私が唯一彼女に言いたいことですね」

民主党が第一党になった翌日、スポーツニッポンの手記に「家庭を守れない者に国は守れません」と、幸夫人は書いた。
かつて人を傷つけた自覚があれば、こんな言葉が軽々しくでてくるはずがない。

<終了>
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun090924.htm


17 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 15:29:40 ID:ZpDcHpG/0
>>1さん有難うございます。

>>2>>16じっくり読ませていただきました。

>ウェイトレス同士で仲が悪く
>チップの多寡でよくトラブルを起こしていた
>▲「お金がある人じゃないとダメなの」が口癖
>▲昔から有名人好き

自分が一番でないと気が済まないとか
ウソを平気でついて
自分の都合のいいようにストーリーを変えて人に話すとか

何でこんな糞女が首相夫人なのって憤りでワナワナです。

総理鳩山も
食事しても代金もチップすら払わない。
肝心なとこでは母親任せで自分は雲隠れとか
一度も謝礼も慰謝料もなし。
じっくり時間をかけて離婚したとか嘘だらけ

◆間男に総理は務まらない◆

9年前の取材の折に、坂田氏(幸の前夫)は憤りを露わにし、
「間男をするような男、泥棒に総理大臣は務まらないでしょう」
と吐き捨てていた。

なんでこんなウソツキが総理夫婦なの?
もう怒りで胸がいっぱいになりました。

日本人は、どうなってしまったんだろ・・・・

18 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 15:41:31 ID:ZpDcHpG/0
◆車でも用意してちょうだい◆

再び、田浦(幸の前夫)さん本人が語る。
「時期は忘れましたが、幸は一度、
1人でシスコに遊びにきたことがあるそうです。
その歳、シスコの総領事館の人に大きな顔をしていたらしい。
私は鳩山由紀夫のワイフよ、
車でも用意してちょうだい、て調子でね。
ショックだったね。
何でそういう常識に外れたことをするのか……」

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:

なんかね鳩山夫人の性格の最悪さが、この文章で良く解りました。

19 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 17:36:04 ID:O+ODzMW10
★民主党から日本を守る為に現実的活動をする奥様3
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255208450/l50

20 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 18:20:13 ID:NwWoq8E+0
>>18
うっはぁー
宝塚時代も、この調子で後輩にえばりまくってたんだと想像すると…。
おお嫌だ嫌だ

21 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 18:45:43 ID:kPLOyRZ3i
男の嫉妬醜いねぇw

22 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 19:01:26 ID:iYw+0M3j0
軽すぎる? 首相の夜日程 著名人との会合続々 夫人同伴も10回
2009.10.14 18:13
 ファッションショー出演、プロ野球選手との会食−。就任1カ月の鳩山由紀夫首相の執務終了後や休日の過ごし方をみると、
著名人や民間人との私的会合が目立つ。「官邸は息が詰まる」と度々こぼす首相にとってストレス解消法のようだが、
「軽すぎるのでは」と冷ややかな声も。

 「バー通い」で批判を受けた麻生太郎前首相は秘書官らと打ち合わせするケースが多く、
メディアに分からないよう与党幹部らと密会することも度々だった。

 対照的に、鳩山首相は政治家との会合はわずか。会談相手を隠す様子はなく、相手は著名人が目立つ。

 9月29日夜は松井孝治副長官らと外食中に、グルメ評論家で知られる大手広告代理店ディレクターから
会食の様子をインターネット上で実況中継したいとの申し出を受け、快諾。首相は「僕の目ってそんなに変かな」
などとつぶやきながら、実況の書き込みを楽しげに眺めていたという。

 巨人ファンで知られる首相は9月21日、元巨人軍の桑田真澄氏と首相官邸でキャッチボール。
今月6日は「韓流ファン」の幸夫人とともに韓国出身の巨人軍の李承ヨプ選手と会食した。
今月3日夜は夫人とともにファッションショーに出演、タレントの美川憲一さんらと熱唱した。

 夫人同伴の会合がこれほど多い首相も珍しい。計3回の外遊には常に同行し、
夫人同伴の外出は10回にのぼる。夫人の人脈で会合がセッティングされたケースもあるという。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091014/plc0910141814012-n1.htm

23 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 19:01:27 ID:7WjKN5Ya0
辛の旦那 
自称 日本の総理らしい

        ノ´⌒ヽ,,
    γ⌒´      ヽ,
   // ""⌒⌒\  )   
    i /   ⌒  ⌒ ヽ )  
    !゛   (. )` ´( .) i/  
    |     (__人_)  |  
   \    `ー'  / 働いたら負けかなと思ってる     
    ,r''"´l ̄´ ::ト、
    / r  `ー'''"  ヽ
    L_,l      、_,!
     | |       | l


24 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 20:53:21 ID:KsxkfaTD0
両親とも英語が出来ることが売り

英語が出来る=裕福=知的、みたいな連想をうながしている。

だが、昔の金持ちや秀才が、留学や洋行で英語を習得するパターンとは
違うんだよね。


父 移民
母 外国船員の宿の子
お金をかけずに英語を吸収


25 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 23:09:21 ID:VDiIac5B0
>>1
スレ立てありがとうございます。

毎日「鳩山幸をウォッチするスレ」をウォッチする鳩山関係者さんもご苦労様です。
これからも目離し出来ませんよ〜このスレ、頑張ってウォッチしてくださいね。

では初めに、先日死んだ愛犬アルフィーちゃんに関する小さな疑問。

「首相誕生」その日に… 鳩山家の愛犬死ぬ (09/18 08:15)北海道新聞
 
 鳩山由紀夫首相が誕生した16日、東京都内の自宅で飼っていた愛犬「アルフィー」が、
首相指名を見届けるように息を引き取った。

 関係者によると、アルフィーはゴールデンレトリバーの雄12歳。生まれた時から首相に
飼われてきたが、最近は体調を崩していた。幸(みゆき)夫人が16日午後1時からの
衆院本会議場での首相指名を見守り、その後自宅に帰ったところ、死んでいたという。

 首相は与党党首会談の前後に、夫人から電話で知らせを聞いた。「首相公邸に愛犬と
一緒に引っ越すのを楽しみにしていたので、夫妻は非常に悲しんでいる」(周辺)という。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/189523_all.html

「幸(みゆき)夫人が自宅に帰ったところ、死んでいた。」
アルフィーは、すでに死んでいたんですよね?
恐らく最期を看取ったのは、お手伝いさんか誰かでしょ?
鳩山関係者が道新の取材に幸夫人から聞いた話をそのまま伝えたのです。
「アテクシが家に帰ったら、アルフィーがすでに死んでいたのですわ。」

26 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 23:10:21 ID:VDiIac5B0
愛犬とは言え、やはりたかが犬なのでしょうか・・・。
夫妻の留守中にねぇ、と思っていたら、その後、話は微妙に変わっていました。

悲願見届け…政権誕生の夕方、首相愛犬逝く(2009年9月18日10時14分 読売新聞)

 鳩山首相が都内の自宅で飼っていた愛犬「アルフィー」が死んでいたことが分かった。

 首相周辺によると、16日午後4時ごろ、国会での首相指名を見て帰宅した幸夫人が
見守る中、息を引き取ったという。数日前から体調が悪かったといい、主人が悲願を
果たしたのを見届けるかのような最期だったという。アルフィーは、首相が旧民主党を
結党した1996年に生まれたゴールデンレトリバー。政権交代を目指して13年間、
ともに歩んできた。このため、首相のたっての希望で、首相夫妻が移り住む予定の
首相公邸でも飼えるよう、段取りが整ったばかりだった。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090917-OYT1T01136.htm
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090918-OYT9I00286.htm(幸さんの胸、何か変w)

「帰宅した幸夫人が見守る中、息を引き取ったという。」
ほら、幸夫人がちゃんと最期を看取っているじゃないですか。
鳩山首相の地元の道新、テキトーな記事書かないでね!と思いますか?
小さな嘘、繕う嘘・・・。
アルフィーは、もしかしたら孤独死だったのかも・・・。
死んだのが人間なら1週間は喪に服して家で弔うところですが、鳩山夫妻は悲しみを
堪え、次の日から外食やらショッピングやらお忙しくしていました。

27 :可愛い奥様:2009/10/14(水) 23:18:53 ID:VDiIac5B0
鳩山幸首相夫人 EXILEと犬、猫救済コラボ(2009年10月08日 スポニチ)

 環境省の動物愛護ポスターの完成会見が7日、東京・霞が関の同省で開かれ、
プロジェクトサポーターの鳩山幸首相夫人(66)らが出席した。毎年約30万匹の
イヌ、ネコが殺処分されている現状の周知を目的とした企画。

 幸夫人は鳩山首相が誕生した先月16日に、長年飼っていた愛犬アルフィーが
死んだことに「首相指名が終わって私が自宅に戻り、アルフィーに“もういいんだよ。
あちらの世界に行っても大丈夫だよ”と言うと、その言葉を聞いてスッと天国へ行って
くれた。今思い出しても胸が詰まります」と涙ぐんだ。

 鳩山首相も大のイヌ好きで知られ、「アルフィーの亡きがらの横で鳩山(首相)と
おいおいと泣きました」と振り返った。

 ポスターには趣旨に賛同したEXILEのMATSU(34)、TAKAHIRO(24)が
無償で出演。若者に大人気とあり、幸夫人は「(ポスター)とられちゃったらどうしましょう」と
心配。同席した音楽評論家の湯川れい子氏(70)は「どんどんとっていただいて広めてもらい
ましょう」と笑っていた。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/10/08/01.html

皆さんの周りにもこんな女性います?
「嘘」と言う虚飾の衣装を身に纏うのは、心の貧しい人がすることですよん。

28 :可愛い奥様:2009/10/15(木) 01:07:00 ID:sAQ1TMt10
愛犬が死んで悲しみに暮れているなんて微塵も感じさせないハシャぎっぷりに、ファーストレディーとしての誇りを感じ感動しました(棒読み)

29 :女性自身10月20号 @:2009/10/15(木) 01:10:32 ID:V6MlX6bf0
鳩山幸夫人の「開運の師」翠 真佑(みどりまゆ)さん独占告白
「10月運気下降の総理を救うのはピンク色を装った幸さんの最強パワーです!」
(女性自身2009年10月20号)                       

2016年のオリンピック東京招致を目指し、鳩山由紀夫首相(62)は2日、デンマークのコペンハーゲンで
開かれたIOC総会に出席していた。
そして、シカゴを推すオバマ大統領と、プレゼンテーションを熱く戦わせた。
果たして、どこに決まるのか。
結果が出る12時間前、日本でこう予言する女性がいた。
「東京招致になることはないと思います。おそらくダメでしょう」

予言は的中した。
日本時間の10月3日未明、開催地に選ばれたのは、南米初のオリンピック開催を目指したリオデジャネイロだった。
首相は帰りの政府専用機の中で東京落選を耳にしたはずだ。

「でも、落選したほうがいいんです。
 今、日本は大変な時期ですから。
 オリンピックだとかそんなことよりもまず、国内を落ち着かせることが先ですからね」

優しい声でそう語るのは開運アドバイザー・翠 真佑さんだ。
ぱっちりとした瞳をいきいきと輝かせ、小柄な体からは清々しい気≠ェ伝わってくるようだ。
鳩山夫妻から、限りない信頼を寄せられる翠さん。
先の外交デビューの際、話題になった首相の金色ネクタイも、彼女のアドバイスだ。
実は、夫妻にコペンハーゲン行きを勧めた張本人である。

30 :女性自身10月20号 A:2009/10/15(木) 01:11:34 ID:V6MlX6bf0
◆「白髪はおやめなさい」◆

「『コペンハーゲンはどうしたらいいかな?』という幸さんの相談だったので『行ったほうがいいですよ』と、お答えしました。
 それは、オリンピックを招致に導くためではありません。
 幸さんが行ったほうが、総理の人気が上がるから、ということなんです」

また、ともに落選したとはいえ、IOC委員による投票で、先に落選したのはシカゴ。
鳩山首相はオバマ大統領に勝利した印象が残った。
前回の訪米でも、今回のデンマーク入りでも意見を求めていたという事実に、鳩山夫妻の翠さんへの並々ならぬ
信頼が見てとれる。

しかし、彼女と夫妻の関係は、思いのほか新しいものだという。
「民主党の何人かの方々が以前から私に助言を求めていらっしゃいました。
 そして、今年5月の代表選前、政権を取るためにどうしたらいいのか、誰を代表に選んだらいいかという相談を受けたのです。
 私は迷わず『鳩山さんにしなさい』と、言いました。
 なぜなら、鳩山さんの運は今年が最高にいいんです。
 しかも5月から9月が最高潮。
 そこで『党首が鳩山さんなら、民主党は政権がとれますよ』と、お話ししました。
 ですから、鳩山さんとの関係は、代表選挙のときからのスタートですね。
 幸さんとも、これがきっかけになって、アドバイスをするようになりました」

翠さんの指南の基となっているのは、四柱推命のなかでも奇門遁甲≠ニいう運命学。
古代中国から伝わる風水や自然界のエネルギーの強弱を分析して吉方、凶方を知る。
三国志の諸葛孔明が得意とし、百戦百勝を得る戦法として知られている。
もともと占術に興味があった翠さんは、本物の奇門遁甲を学びたいと、20代半ばで中国に渡った。

「当時、私は吉方をとって東南アジアへ行き、そこで病気になってしまったんです。
 そのとき『日本への留学経験があって日本語のわかる先生がいますよ』と紹介された医者が、
 後に私の夫となった人です。
 いわば見始められたんですが、それも大吉方だからかなと思いました」

31 :女性自身10月20号 B:2009/10/15(木) 01:12:48 ID:V6MlX6bf0
裕福な医師だった夫は、奇門遁甲を学ぶための莫大な費用を出してくれたという。

「『研究のためなら、いくらでもスポンサーになってあげるよ』と、主人はよき理解者でした。
 ただ、最初は、プロになるつもりはなく、家庭の主婦として身近な人の相談にのっていたんです」

いまや民主党の大躍進と総理夫妻を陰でサポートする人物として一躍注目を集めた翠さん。
新規のお客は受け付けず、殺到する取材もすべて断っているという。
そんな翠さんが本誌インタビューを受けたのには理由があった。

「『女性自身』には恩があるんです。
 今から23年くらい前、息子のために『四柱推命』という専門書を出したんです。
 そのとき、声をかけてくださったのが『女性自身』。
 無名だった私を大きく取り上げて、本まで出してくれました。
 それが大評判になって、今につながっています。
 このときの恩返しの気持ちをこめて、取材を受けさせていただきました」

翠さんの著書で、1986年に刊行された『男と女の「宿命星」』(光文社刊)には、名優・高倉健(78)が
推薦文を寄せている。
彼女には芸能界の会員も多い。
実は女優の川島なお美(48)もその一人だ。

「川島さんはずっと見てあげていました。
 あの(1993年の)大ヒットしたヌード写真集も相談を受けましたし、結婚のときも、鎧塚さんを
 お薦めしたんですよ」

32 :女性自身10月20号 C:2009/10/15(木) 01:13:32 ID:V6MlX6bf0
各界の著名人から信頼を受ける翠さん。

その的中力と彼女のパワーに鳩山夫妻はすぐに魅せられたのだろう。
翠さんも夫妻の熱意にアドバイスで応えていった。

「民主党の皆さんは『勝利を得たい、政権交代したい』と切望していました。
 そこで、勝利を確実にするために、私がまず申し上げたのは、鳩山さんの風貌を変えることでした。
 トップにふさわしい、もっと重厚感のある立派な風貌に、と言ったのです。
 もともとハンサムで、上品で、今までにない政治家でしたから、私も力を貸したいと思ったんです。
 そして幸さんに、『ラッキーカラーはゴールド、シルバー、ブルー。とにかくこの3色を使ってください』と、
 お伝えしました」

さらに総理を傍らで支える、妻の幸さんにも、翠さんはこう伝えた。

「『あなたはファーストレディになるのだから、今までのファッション、たとえば白髪とか赤い服はおやめなさい』
 とアドバイスしました。
 幸さんは赤が大好きなんですね。
 だけど、幸夫人自身のパワーがものすごいので、赤い服を着ると、温厚な鳩山さんが目立たなくなってしまう、
 それで彼が総理になってからは自分が目立つより支えている姿を出すように伝えました」

33 :女性自身10月20号 D:2009/10/15(木) 01:14:23 ID:V6MlX6bf0
◆「幸夫人を20歳は若返らせることができた――」◆

大好きだという幸さんの人柄を翠さんは次のように語る。
「彼女に悪気はいっさいありません。
 ただ、目立ちすぎるから誤解されます。
 ですから、控えめにしたほうがいいのでは……。
 いろいろなメディアで彼女のことをカカア殿下などと言っていますが、そんなことはありません。
 本当に素直な方で、私のアドバイスもちゃんと聞く。
 それに非常に頭がいい。
 一を知って十を悟るし、すごいパワーの持ち主です。
 太陽みたいに素晴らしいんです。
 彼女は運も、パワーもある。
 それに美人。
 全部がそろっています。
 だからこそ、夫と一緒のときは、パワー全開にするより、控えめにさせなければならないんです。
 上品に見せるには、洋服はベージュ系。
 派手にしたかったらシャンパンゴールドや、赤はやめてピンクにしなさいと言いました。
 彼女、『ピンクはあまり好きじゃない』と言っていましたけどね。
 近いうち、ピンクを着るかもしれませんよ。
 白髪を染めることを勧めたときも、『私、これ、気にいってるんだけどなー』と言っていました。
 でも、『女学校の校長先生みたいでダメ。これからは、あなたのかわいらしさを出して、
 いつまでも童女のようでいたほうがいい』と、申し上げたんです」

アメリカでの幸さんのファッションは、首相同様、翠さんのアドバイスどおり。
各訪問先でも非常に好評だった。

「アメリカ訪問は大吉方でした。
 『これまでは控えめに控えめにと言ってきたけれど、外国は違うから、思う存分、持ち前の地でいっていいです』と、伝えました。  
 だから、彼女自体を20歳は若返らせることができたはずです。
 そのお手伝いもしましたから」

34 :女性自身10月20号 E:2009/10/15(木) 01:16:01 ID:V6MlX6bf0
鳩山総理と幸夫人は、ものすごくいい相性だと翠さんは言う。
「すごく仲よしだし、運気も最高です。 
 学術的にいうと三合金局≠ニいって、鳩山さんと幸さんに私が加わることによって、パワーが
 最大になる相性なんです。
 特に2人の相性は、結びつけば結びつくほど向上する。
 その相性+私の星が加わって、ものすごいことになったんです。  
 パワーが何百倍にもなって、幸運と財運、人生の喜びを呼び込むんですよ」

翠先生の開運<Aドバイスで現在、好調な滑り出しを見せている鳩山政権。
しかし10月はひとつの転機だという。

「鳩山さんは5月から9月が最強の運を持った、いちばん大事な時期でした。
 ただ、10月からはいろんなことが起きるでしょう。
 でも大丈夫です。
 幸夫人は今年の9月・10月の運勢が最高。
 ですから、幸さんの運で鳩山さんを守れるんです。
 幸さんは『夫が仕事で悪い方位にも行かなければならないときは、どうしよう』と、
 心配していました。
 でも幸さんの運気がものすごくいいので、方位の悪いときは、彼女は一緒に行かなければいいんです。
 鳩山さんが帰ってきたとき、お家で仲良く、食事を一緒にしているだけで悪い運気は拭えます。
 総理のパワーより幸さんのパワーのほうが強いんですからね。
 もし彼女が疲れたときは、私がうかがってパワーを入れてさしあげます。
 11月以降は、これから会って注意するんです。
 そのときはまたお食事して、お2人にパワーを入れてあげて。
 それで大丈夫だと思います」

そう翠さんはにっこり微笑んだ。
心強い開運の師≠持つ鳩山総理夫妻。
ピンクの服を着た幸さんが夫を支え、そして総理が日本全体にパワーを与えていく……そんな光景が
見られるのも遠くないかもしれない。
(了)

35 :可愛い奥様:2009/10/15(木) 01:28:52 ID:V6MlX6bf0
うろ覚えなので間違いがあるかもしれないが・・・

藤田小女姫は凄惨なリンチをされてから殺ろされた。
体中に無数の傷や、たしか焼かれたあともあったらしい。
犯人が一人捕まったんだけど、犯人は自分は殺してはいない真犯人を知っているが言わない。
言うと殺される。犯人を捕まえるのは警察がやることだと言い刑務所に入っていきました。
いろいろ予言し当てたけど霊感というより藤田小女姫の周りにいた権力者からの情報をから
予言したといわれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%B0%8F%E5%A5%B3%E5%A7%AB
http://hissi.org/read.php/ms/20090102/Q3RMamtDQmcw.html
http://s01.megalodon.jp/2009-1015-0118-20/hissi.org/read.php/ms/20090102/Q3RMamtDQmcw.html

36 :可愛い奥様:2009/10/15(木) 01:36:12 ID:V6MlX6bf0
藤田小女姫は殺される寸前は金に困ってた。
昔、付き合いのあった権力者たちからの裏情報をネタに金を作ろうとしたのが殺された
原因かともいわれている。
生い立ちが表と裏の境目あたりだったのかな










37 :週刊文春10月8日号 @:2009/10/15(木) 01:38:17 ID:V6MlX6bf0
総力特集
鳩山幸 語られざる「血脈」「父との別れ」 首相を支配≠キるファーストレディ
(週刊文春2009年10月8日号)

なぜか生い立ちは謎につつまれている。その原点は語られざる前半生とアメリカにあった。

▼外交デビュー「金色スーツ」の陰に“奇門遁甲”謎の指南役

▼隠された両親の離婚。「ペンタゴン勤務」アメリカ人異母弟がいた

▼オカルト原点は上海からの引き揚げ!? 親族が明かす少女時代の「流転」

▼宝塚時代のアダ名はなぜか「コンちゃん」

▼姑・安子さんの危惧「出しゃばり≠ェ鳩山家の伝統を壊すかも」

9月22日、ニューヨークで外交デビューを飾った鳩山由紀夫新首相。
胸元に映える金色と紺のストライプネクタイに目を留めた人はちょっとした鳩山ツウ≠ニ言えるだろう。

国連気候変動サミットの開会式で、鳩山首相は、
「2020年までに温室効果ガスの排出量を90年比で25%削減する――」と宣言した。

会場には万雷の拍手が轟き、サルコジ仏大統領や潘基文国連事務総長らが激賞。
翌日の日本の新聞一面は無論のこと、全世界に金のネクタイ映像が流れたのである。

実は、5月の民主党代表選や麻生首相(当時)との党首討論、帰国後の27日に大相撲で優勝した朝青龍に
内閣総理大臣杯を授与した時も、やはり金色が入ったネクタイだった。

38 :週刊文春10月8日号 A:2009/10/15(木) 01:39:54 ID:V6MlX6bf0
鳩山首相の知人が語る。
「民主党代表選の直前は、サイケ調のペイズリー柄のネクタイで評判が悪く、
 『テレビ映えしないから、ネクタイを変えませんか』と周囲がアドバイスしても、『これは女房が決めてるからなあ』
 と変えてくれなかった。
鳩山さんはパンツからスーツまですべて、奥さんが用意したものを着るだけなんです」

04年まで民主党の衆議院議員だった元側近の木下厚氏もこんな話をする。
「96年頃、鳩山さんの本を書こうと思い、田園調布のご自宅で計10数時間インタビューしましたが、
 いつも幸さんが横にいて、『あなた、それはこうよ』とか『それは違うわ。こうだったでしょ』と口を挟むのです。
 由紀夫さんは鷹揚な人だからニコニコ笑っているだけ。
 まさに、尻に敷かれているなと思いましたよ」

実は、ある時から急に鳩山首相がネクタイを金色に統一したのも、幸夫人の変化≠フためだった。

「幸夫人に指南役からのアドバイスがあったからです」と、別の知人は言う。
「民主党の議員やその妻たちが傾倒する、指南役の女性がいるのです。
 彼らは政権交代に向けて開運できるように邪気を祓ってもらい、あらゆる相談をしてきました。
 そのうち、議員の妻たちを通して『まずは鳩山さんの服装を変えた方がいい』というメッセージが幸夫人に伝えられたのです。
 これは指南役の奇門遁甲≠フ教えによるもの。
 人間は自分の力や運勢だけでは運を開けない。
 だから、古代中国から伝わる風水や、自然界のエネルギーの強弱を分析して吉方・凶方を知るのです」

奇門遁甲とは、三国志の諸葛孔明が得意とした、軍術として知られる方位占法だという。
「金色のネクタイの一部は鳩山氏の側近、松野頼久議員の妻からプレゼントされたものです」(民主党関係者)

39 :週刊文春10月8日号 B:2009/10/15(木) 01:40:55 ID:V6MlX6bf0
7月の都議選の3日前には、永田町の日枝神社に一部の民主党議員が集まり、この指南役女性とともに必勝祈願を行った。
北海道にいた鳩山代表は、参加できないことを悔やんだという。
都議選で圧勝するや、鳩山夫妻はますます指南役との面会を切望した。
後日、夫婦は指定された日枝神社にSP引き連れて出向き、初めて指南役と対面する。

「それ以来、幸夫人も服装を変えました。
 一時期、白髪のままにしていた前髪を黒く染めるように指導され、好みの赤い服をやめて、
 黒やベージュなどシックな色や、夫婦のラッキーカラーと言われたシャンパンゴールドを着るようになった。
 また、夫の三歩後ろを下がって歩くようにとも指導されています」(前出の知人)

幸夫人はメディアへの露出を控えるようになり、
「太陽をパクパク食べる」
「金星に行ったことがある」
「前世でトム・クルーズと会った」
などのトンデモ発言も激減した。

だが、鳩山代表のスタッフは、遊説の方位にこだわる幸夫人に泣かされっぱなしだったという。
「凶方の方位に応援演説に行くときは、幸夫人が心配して、指南役の先生に相談して対策方法を教えてもらっているそうです」
(同前)

外交デビューとなったニューヨーク訪問の前日も、幸夫人は陰の指南役と電話で話している。
アメリカで、鳩山首相のネクタイや、現地の日本人学校などを訪問した幸夫人のジャケットが金色だったのは、
こうした奇門遁甲への傾倒があったのだ――。

40 :週刊文春10月8日号 C:2009/10/15(木) 01:42:49 ID:V6MlX6bf0
◆アメリカから異母弟が来た◆

その熱心さからうかがえるのは、夫への献身ぶりである。

「一見、出しゃばりな女性のようで、実は違う」と指摘するのは政治評論家の小林吉弥氏だ。
「民主党議員の妻たちによる『伴侶の会』での幸さんの仕切りは上手い。
 ふつうは、当選回数で議員の序列が決まり、夫の序列に従って奥さんたちも上席から末席へ座るものです。
 しかし幸さんが『くじ引きで席順を決めましょう』と言い出した。
 みんな平等に楽しみましょう、という気配りです。
 だから議員の奥さんたちに慕われるのです。
 彼女の根底にある平等という意識は、複雑な幼少期が関係しているのかもしれませんね」

鳩山首相が「妻は僕の太陽」と言って憚らないファーストレディ。
どういう生い立ちの人物なのか。

これまでにメディアで報じられた経歴によれば、旧姓は「橋本幸」。
1943年に上海で生まれ、神戸で育つ。

中学卒業後に宝塚歌劇団に入団し、「若みゆき」として活躍。
24歳で渡米し、サンフランシスコで最初の結婚をした。

留学生だった鳩山家の長男・由紀夫と不倫の末に再婚したのは周知の事実だ。
だが、以外なほど語られていないのは、幼少期からの前半生と、父の存在である。

かつて由紀夫の母親・安子はポツリとこう漏らしたという。
「幸さんは昔は本当に苦労してきた」

41 :週刊文春10月8日号 D:2009/10/15(木) 01:44:06 ID:V6MlX6bf0
75年、由紀夫と幸は留学していたスタンフォード大学構内の教会で結婚式を挙げた。
長男の結婚式にもかかわらず、鳩山家から参列したのは母の安子だけ。

父親の威一郎は欠席している。
多忙が理由だったが、年上でバツイチの幸との結婚には大反対だった。

安子もまた、次男の邦夫がタレントの高見エミリーと結婚したのに続き、由紀夫の結婚を姑の薫に
報告するのは心苦しかったと語っている。

「好きな人と結婚するのが一番よ」という薫のとりなしで、ようやく2人の結婚は認められた。

しかし安子のいう苦労≠ヘこの結婚だけではないだろう。
幸夫人には名門・鳩山家とは異質の、流転の人生ともいえる知られざるルーツがあったのだ――。

今から10年ほど前のこと。
高知市の中心部から車で30分ほど離れた、春野町の山あいの集落に、一人のアメリカ人男性が訪ねてきた。

「ウディ・クッセ」と名乗るこの男性は、現在、アメリカ国防総省内のある警察部門に所属する。

彼は集落から離れた小さな墓地に向かい、「楠瀬家之墓」に手を合わせた。
日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれたウディは、実父の墓参りのため来日したのだ。

墓碑に刻まれた父の名は「楠瀬幸男(くすせさちお)」。

42 :週刊文春10月8日号 E:2009/10/15(木) 01:45:04 ID:V6MlX6bf0
この人物こそ、鳩山幸の実父である。
実は、メディアで伝えられてきた「橋本」姓ではなく、「楠瀬幸」として10代を過ごしてきたのだ。

つまり、ペンタゴンに勤務するウディは幸の異母弟にあたる。
ウディを泊めた楠瀬家の親族が振り返る。

◆父との別れの真相は両親の離婚だった◆

「ウディは日本語がまったく喋れませんでしたが、顔は幸雄さんにそっくり。
 幸雄さんは幸さんの母親と離婚した後に、アメリカで再婚しました。
 しかし、ウディが生まれる2ヶ月前に癌で亡くなったのです」

幸は父親について、
「小学校2年生の時に、仕事先のアメリカで、ガンで亡くなったんです。会えないまま、訃報だけが届きました」
(「週刊女性」07年3月13日号)と言ったり、別のインタビューでは、小学4年の時に他界したと語っている。

しかし、「父との別れ」の真相は、両親の離婚であり、父が亡くなったのは幸が15歳の時だった。

「幼かったから、両親の離婚を理解できなかったのではないでしょうか」
そう語るのは、ウディとともに来日した幸の叔母、米メリーランド州在住のパトリシア・多鶴・ロバーツだ(90)。

幸が小学生の時、父・幸雄はアメリカに渡った。
いや、帰ったという方が正しいかもしれない。

実は、幸のルーツはアメリカにあった。
鳩山幸の明るく、日本人離れしたオープンな性格は、アメリカナイズされたというよりも、アメリカ人そのものと
考えた方が理解しやすい。

43 :週刊文春10月8日号 F:2009/10/15(木) 01:46:12 ID:V6MlX6bf0
今回、小誌が訪ねた幸の叔母・多鶴は楠瀬幸男の妹にあたる。
ワシントンDCの海軍病院で医師として働き、すでに米国人の夫とは死別。
退職後の今でもパソコンを操り、洋書に囲まれた部屋で元気に余生を過ごす知的な女性だ。

多鶴の話は、1世紀前に遡る。
「高知県出身の私の父・楠瀬豊吉は20世紀初頭に渡米し、シアトルの製材所で親方として働き、日本人の
 母とのあいだに、兄の幸雄や私が生まれました。
 父は寄宿舎を建て、渡米してきた日本の若者たちを住まわせて職探しを手伝ったり、慈善事業のようなこともやってました。
 その父が亡くなったのは1931年(昭和6年)、私は13歳、4歳上の幸雄がアラスカにサーモン漁に出かけている時でした。
 高知にある遺産を相続するため、私たち家族は日本に戻ることになったのです」

春野町で「茶屋」という屋号をもつ楠瀬家は、土地やいくつもの蔵をもつ裕福な一族であった。
だが、シアトルでは家庭内の会話も英語だったため、日本語や、風習に苦労したという。

「兄は高知の工業高校を出た後、大阪の工業新聞で記者として働き始めました。
 戦争が始まると、私たちは、辛かったですね。
 毎月、家に憲兵隊がやってきて、『どちらが戦争に勝つか』と聞くのです。
 私は母親から『絶対にアメリカって言うんじゃありませんよ』と言われていました。
 それに、英語も禁止されたのです」

西宮に住むようになった兄の幸雄は、橋本秀子という女性と出会った。
幸の母親となる女性である。

44 :週刊文春10月8日号 G:2009/10/15(木) 01:46:56 ID:V6MlX6bf0
秀子が育った神戸の橋本家も、幸雄の家に似て、慈善活動を行う篤志家だった。
キリスト教信者であった秀子の父、橋本楠治(くすじ)は家に牧師を呼んで集会を行い、戦後は私財を投じて
戦災未亡人のための母子寮をつくった。
それが、神戸市の母子生活支援施設として現存する「離宮ハイツ」だ。

「幸さんの母方の祖父、橋本楠治さんはサンタクロースのような白い髭をたくわえた方で、クリスマスになると、
 赤い服を着て、大きな袋をもって施設にみえるんです。
 子供たちから髭のおじさん≠ニ慕われていました」(水野美禰子・離宮ハイツ理事長)

橋本楠治による石碑『汝の隣を愛せよ』は、今も離宮ハイツに残る。

楠治の三女で、母子寮の元理事長である橋本君子が話す。
「戦前、父は神戸の海岸通で船員さんに服を売るテーラーを営んでいました。
 そのうち、船員さんが泊まる所がなくて困っていると聞き、県庁近くの山本通で旅館を始めたのです」

旅館の名は「諏訪山ホテル」。
3ヶ所に拡張し、一部は外国人向けに洋風のしつらえにしていた。

「秀子さんは私より9歳上で、父の前妻の子供です。
 秀子さんは英語が抜群にうまく、小学校を卒業すると、いきなりパルモア英語専門学校に進みました。
 『ふつうは高校生の年齢から進学する学校や』と言われていたのに、成績優秀だったんです。
 旅館に泊まりに来る人たちが秀子さんの英語を耳にすると、『あの人の英語は違う。普通に習っても、
 あんなに綺麗に喋れない』と驚いていました」(同前)

45 :週刊文春10月8日号 H:2009/10/15(木) 01:47:58 ID:V6MlX6bf0
◆アメリカで妻と娘たちを待ち続けた父◆

両親が離婚してからも、秀子は諏訪山ホテルの一角に住んでいた。
背が高く美人だった秀子は、宝塚歌劇団を希望したが、「手に職を」という父の方針に従い英語を身につけたという。

そして、アメリカの市民権をもつ楠瀬幸雄と結婚すると、夫妻は上海に渡った。
「自由人だった」と言われるアメリカ育ちの幸雄にとって、日本は窮屈だったのかもしれない。

昭和18年、長女・清美につづき、二女の楠瀬幸が上海で生まれた。
だが、新天地での生活は長続きしなかった。
幸雄に日本の召集令状が届いたのだ。

多鶴が話す。
「彼はアメリカの市民権を剥奪されました。
 合衆国政府は、アメリカ市民が他国で兵役に就くことを認めていなかったからです」

戦況の悪化で、昭和19年、秀子と二人の娘は、幸雄を残して一足先に上海を脱出した。
だが、この引揚げ船で、幸たちは死の淵に追い込まれる。

深夜、上海から日本に向けて数隻の船団で航行中敵側から次々と魚雷の攻撃を受けたのだ。
月のない暗い空に炎が上がり、船が一隻、また一隻と音をたてて沈んでいく。

赤ん坊の幸を抱えた母親は、轟音に震えながら、ひたすら祈り続けたという。
そして、奇跡的に母娘をのせた一隻だけが日本に辿り着いたのだ。

46 :週刊文春10月8日号 I:2009/10/15(木) 01:49:27 ID:V6MlX6bf0
成長してこの話を聞かされた幸は、<人間の運命の不可思議さに思いを馳せるとともに、自分たちが神によって生かさ
れることを実感>したと綴るのだ(『魔法のつえ見つけた』鳩山幸・塩原洋子共著)

この体験こそ、その後の半生の特徴である、何ごともポジティブに肯定してしまう発想、スピリチュアルやオカルトへの
傾倒の原点だろう。
引揚げ後、一家は高知に疎開した。

近所の住民が回想する。
「みんな着物やモンペを着ていた時代に、お母さんの秀子さんはハイヒールを履いているからビックリしました。
 幸ちゃんも当時から華があり、フランス人形みたいにウエストがキュッとしまったワンピースを着ているんです。
 家には英語の本が山積みで、ご夫婦の会話が英語だったのをよく覚えています。
 台所をキッチンと言ってましたし、和式のトイレを洋式に改造して、座って用を足していました。
 私はそれが気に入って、便所を借りていたんです(笑)。
 こんな田舎に来るような人たちではないと言われていましたね」

一家は高知を1年あまりで離れている。
母・秀子の実家、神戸坂口通にあった「諏訪山ホテル東館」の脇に建てられた一軒家に移ったのだ。

両親を「ダディ、マミィ」と呼び、怒られる時は「スパンキー!」とお尻を叩かれる。
テーブルにはトーストやベーコンが並び、部屋は洋風で椅子に座りベッドに寝る。

戦後間もない中、楠瀬家のライフスタイルは、アメリカ人そのものだった。
間もなく、幸の父、幸雄は単身渡米することになる。

47 :週刊文春10月8日号 J:2009/10/15(木) 01:50:33 ID:V6MlX6bf0
多鶴が回想する。
「兄の幸雄は神戸で貿易会社を始めましたが、優しく親切な性格で、ガツガツした商売人には向いていなかった。
 戦後すぐにアメリカに戻った私も仕送りしましたが、結局、兄は貿易会社をたたみました。
 そして当時、私が住んでいたシカゴに単身でやってきたのです。
 シカゴでは工場勤務で2つのシフトを掛け持ちして働きづめでした。
 一時は、金属片で片腕に大けがを負ったこともありましたね」

シカゴで働く幸雄は、妻と二人の娘がアメリカに来るものだと思い、待ち続けたという。
再び一家四人で暮らせるように、家庭用の大きな鍋もキッチンに買いそろえた。

しかしテーブルを家族がそろって囲むことは2度となかった。
幸は「父がアメリカで亡くなったため、母は得意の英語を生かして外資系企業の秘書として働くようになった」
と語っているが、前述のとおり、両親は離婚したのである。

母秀子と幸姉妹は、神戸市の外れにある潮見台の狭い文化住宅へと越した。
幸はアメリカンスクールから、カトリック修道会が創立した私立の名門、神戸海星女子学院に移った。

小中の同級生が語る。
「小学校から外国人のシスターによる授業があり、英語で歌ったりしますが、幸は英語の発音がすごくよかったのです。
 中等部でもとにかく華やかで活発だったから、宝塚に入ったとき『幸だったら向いているし、よかったな』
 と思いました」

おてんばな幸は、お固いミッションスクールの羊の群れの中の「黒い羊」だったと、自ら回想している。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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