クローズアップ現代 「"助けて”と言えない」 - 社会科教育の責任
一昨日（10/7）、クローズアップ現代で『“助けて”と言えない』の放送があった。ホームレスになる失業者の中で、最近、３０代の若者が特に増えていて、彼らに特有の傾向として、自分一人で悩みを抱え込んでしまい、周囲に救助を求める信号を発信できない問題が取り上げられていた。構成もよく、取材映像も解説も内容が深く、秀逸で完成度の高いドキュメンタリー番組に仕上がっていた。ＮＨＫは素晴らしい。今回の番組では、特にゲストの平野啓一郎のコメントが印象的で、一言一句、聞き洩らせない重要なメッセージが提示されていて、触発され、感動を覚えさせられた。平野啓一郎は最後にこう言った。「社会の中で抱え込まされたトラブルを自分の人格のせいだと考えるのではなく、客観的に捉えて家族や友人と関係することが大事だ」。要点を衝いている。私が思ったことは、この若者たちに学校で社会科を教えた教師は、一体何を教えたのかということだった。生き方を教えるのは社会科の教師の任務だ。倫理を教えるのは社会科の教師の仕事だ。生徒たちが将来こういう状況に追い込まれたとき、生きる知恵や立ち向かう勇気を呼び起こさせるようにすることが、社会科を教育するということではないか。個人が社会の中で問題を抱え込まされたとき、それをどこまで客観的に捉えられるかは、まさにその者の社会認識の何如に関わっている。この問題は社会科の教師の責任だとは言えないか。
「人の生き方」とか「人の生き方を教える」ということ。こうした言葉を並べると、現在の日本人は、脊髄反射的に、それを古臭くてダサい過去のものとして拒絶し唾棄しようとする衝動を持つ。倫理が学校で教えられておらず、生徒に身につけさせられていない。８０年代以降、日本の学校現場で倫理教育がスポイルされ、教師がサボタージュしていて、最低限の基礎能力が備わっていないのだ。これは、脱構築主義の影響だと私は考えている。アカデミーの研究者が戦後社会科学から転向して、脱構築主義でメシを食うようになったのを見て、高校や中学の社会科の教師も右倣えで転向したのである。脱構築主義は倫理の意義を否定する。社会倫理を積極的に教育する必要性を認めない。これまで先哲が積み上げてきた思想の堆積を（難癖をつけて）否定するのが脱構築主義だ。ジェンダーだのマイノリティーだのポストコロニアルだのと言いつつ、結局、脱構築主義には真の社会性がない。「皆で助け合って生産的な共同体を作ろう」とする思想がなく、個人はバラバラのままで繋がれない。鍛え合わない。所与の社会権力を肯定し是認する方向に靡く。社会にコミットする端緒が失われ、社会を経営する意思がない。だから、社会の経営のメインストリームは新自由主義に委ねられたのだ。脱構築主義者にとっての「社会」は、趣味であり、蘊蓄であり、無責任で身勝手なパフォーマンスをして自己実現するステージなのだ。エリートが欲望を対象化する手段。
マルクスは、「社会の支配的な思想はすべて支配階級の思想である」と言った。番組で出てきた貧困の現場の３０代の若者の内面は、まさに新自由主義のイデオロギーである「自己責任」の思想で固められている。「自分が悪い」で完結する。支配は、物理的な暴力による恐怖や統制によって行うのではなく、それは最後の手段であり、こうして人間の頭を洗脳し感化することによって行うのである。自ら新自由主義のロボットとなって資本に身を捧げ、奉仕できなくなったら自殺する若者が大量生産されている。資本に奉仕できなくなったら自分でスイッチを切るロボットは、「負け組」の側の新自由主義者であり、「負け組」の側のリバタリアンである。彼らはリバタリアニズムで社会認識している。だから、「自己責任」の思考回路しかなく、「社会責任」の思考回路がない。抱え込まされた問題の原因も解決も、社会へ向かずに自分に向かう。自助と共助と公助のバランスに思い至れない。思想が同じだから、彼らは竹中平蔵を助けて、自分の命を犠牲にする。支配のイデオロギーが被支配者の側に内面化されていて、不幸を押しつけられて苦しむ側が、自分を破滅に追い込む支配の構造を積極的に支える要素となっている。奉仕できなくなったら自らスイッチを切ってスクラップになるロボット。番組を見ながら、平野啓一郎の説明を聞きながら、手塚治虫の『火の鳥』に登場するチヒロを思い出した。生徒たちを竹中平蔵のロボットの運命から救うべきだったのは、中学と高校の社会科の教師ではなかったのか。
「一人は皆のために、皆は一人のために」などという言葉がある。この言葉も、目にしただけで現代人はアレルギー反応を起こして卒倒しそうな予感がする。ところが、”One for All All for One”と英語にしてやれば、拒絶反応を起こしたはずの同じ日本人が、今度は途端に嬉しい気分になって、この言葉に積極的に反応しそうな雰囲気もある。新自由主義に毒されているとはこういうことだ。私は、前に、ＮＨＫの『ワーキングプア』を評した記事で、中学３年の公民の教師は、他の知識は何も教えなくていいから、この番組を教材で見せて、それに感動する生徒を作ればいいと極論を述べたことがあった。そういう教育をしていれば、自分で自分を追い詰めて諦めるという選択ではなく、生きる勇気を持って社会に立ち向かう精神が育まれるのではないか。自助と共助と公助のバランスで最適な方向を見つけ出し、仲間と連帯する努力と模索に向かうことができるのではないか。２５条の思想は、古代奴隷制の昔から人類の夢としてあったものだ。そして、名もない無数の人間が、現代も含めて、この思想の制度的恩恵に報われることなく、救済されずに無念のうちに息絶えて死んでいる。だが、そうして屍になった一人一人の無念や犠牲が、憲法の条文となり、国家の目標となり、裁判で争われ、政府と国民に理念の実現を要請していることを、一人一人が意識できているか意識できていないかは、きっと大きな問題に違いないのだ。多くの貧困者の無念と希望を知り、その上に自分が生きていて、彼らの礎の上に権利を持っていることを自覚できるかどうか、それが教育の問題だ。
この番組で思い知らされたもう一つの地獄は、有効求人倍率０．４２倍の社会のリアルな現実という問題だった、３０代前半の若くて健康な男性が職に就けない。番組に出てきた入江幸平（仮名）という男性は、顔立ちもよく、常識も品性も身につけていて、路上生活者であるという境遇以外に、普通の労働者として企業が採用する上で何の欠点もない人間に見えた。こういう若い世代の採用によって、４０代や５０代の中高年が締め出されるのが労働市場である。１０年ほど前は、企業が中途で募集する求人は３０代前半を希望という物件が最も多かった。２０代だと即戦力にならないし、教育に手間がかかり、途中で辞められるリスクもある。だが、３０代前半だと前の会社で基本的な技能を体得できていて、また、ちょうど人生の重要時期でもあり、転職先にコミットするモラールも期待できる。将来の幹部候補生としても育てられる。３０代前半の年齢というのは、転職市場で最もニーズの高い労働力商品だった。その彼らが、今はまともに就職できない。採用する企業がない。企業の中に膨大な失業者予備軍（６００万人）が抱えられている。番組に出た北九州の映像では、支援団体の炊き出しに並ぶホームレスの数が半年前から倍増していて、これまで見られなかった３０代の若者が増えている事実が指摘されていた。来るところまで来た感じがする。これは、市場経済の自然な需給調整に任せていては絶対に元の均衡には戻らないだろう。政府が計画的に労働需要を創出するニューディール政策の手法を採る以外に脱出できない。
この番組を見ながら、少し引っかかりを覚えた部分もある。それは、「助けて」と言えないのは、３０代の若者の心構えのせいなのかという問題だった。「“助けて”と言えない」という構図で視点を固めてしまうことで、新たな自己責任の責めを弱者である彼らに押しつける結果に導かれるのではないかという危惧を感じたのである。それでは、尊厳も何もかも捨てて、誰に向かってでも「助けて」と泣きつけばよいのか。本当は、彼らはすでに「助けて」と叫んでいるのではないのか。例えば、３９歳で餓死した青年は、生活保護の申請に市の窓口を一度訪れている。この行動こそが、まさに「助けて」の悲鳴ではないのか。北九州市は、生活保護申請者を水際作戦で追い返して死に至らせるノウハウで有名な自治体だが、続けざまに貧困餓死者を出し、ギネスブックに載せようという崇高な目標でも持っているのだろうか。市長も市民も自らを羞恥する意識はないのだろうか。厚労省が福祉事務所に配っている水際作戦のマニュアルでは、高齢者でも重病人でもなく、公明党議員の口利きがない人間には生活保護は認めず追い返す「基準」になっている。それを知ってか知らずか、３９歳で生活保護の窓口を訪れることは、本人には大変な勇気と屈辱だったことだろう。ここまで「助けて」と正直に叫んだ人間に、それ以上、何を社会が倫理的に要求することができるだろうか。本人には何の落ち度もない。ハローワークへ行くことが、生活保護の窓口に駆け込むことが、日本国民にとっての「助けて」の意思表示なのであり、それ以上「助けて」を言わなければならない自己責任は何もない。
もし番組が、そして社会が、もっと自尊心を捨てて「助けて」と言えと若者に要求するのであれば、それではここに助けを求めよという窓口を具体的に提示すべきではないのか。番組と平野啓一郎は、ホームレスを救済する窓口がすでに行政に設置されているのに、ホームレスの若者が自尊心のためにミエを張って、敢えてその救済機会を逸しているというような説明をしていた。それは正確な事実認識と言えるだろうか。7/31の湯浅誠の報告では、ホームレスを収容する都の施設は常に満杯で、空きがなく、実際には、自治体は自分のところが積極的にそうした施設を用意すると、噂が広まって全国のホームレスが押し寄せてくるため、どの自治体も二の足を踏み、横並びの閉め出し作戦で対応しているのだと言う。リアルな話だ。支援団体のボランティアの救済についても同じだろう。番組では何も紹介しなかったが、例えば、自分がホームレスの身になったとして、路上で横になっているところに、「兄ちゃん、年いくつ？ ここにテレフォンカードと連絡先が入っているから、その気になったら相談して」と誰かに声をかけられたとして、その人間の言葉を本物の支援団体の活動と判断できるだろうか。貧困ビジネスはこうして街で精力的に営業していて、路上の人間に猫撫で声で接近して食い物にしているのである。罠は二重三重に張られている。そうした自己防衛の警戒心は路上生活者も当然持っている。支援団体が広く認知された存在でなければ、簡単に信用して飛びつくことはできない。「助けて」の声を上げろと言っても、現状ではそれは容易ではなく、本人の態度や心性の問題にスリカエることはできないと私は思う。３０代の前半の人間の体力や気力というのは、まさに社会の弱者を救ったり支えたりする能力であり資源だと看做されて当然なのである。その彼らが、人に頼らなければいけない自分を納得するのは大変なことだろう。コンタクトして説得に導ける人間は哲学者でなければならない。本当に、どれだけ倒錯した社会なのか。
