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【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 6

1 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 08:46:37 ID:nltBWzQ00
民主党鳩山由紀夫党首の妻、幸夫人に注目するスレです。
次スレは950で立ててもらえると友愛でなんたらかんたら。

過去スレ
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 5
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1254385095/
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 4
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1253809980/l50
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 3
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1253026097/l50

2 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 09:41:24 ID:lGc14DiY0
小浜先生と4人で
http://blog-imgs-24-origin.fc2.com/2/c/h/2channel2/3950135226_9833c1a27f_b.jpg


3 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 12:36:40 ID:PQgEuPfs0
1乙

4 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:02:17 ID:hSvo3S3+0
中川昭一元財務相の死の裏に見つけたもう一つの死

中川元財務相の突然の死は確かに衝撃的ではある。

それに、何といっても元自民党大物政治家の死だ。社会的影響力は大きい。

メディアがそれを一斉に取り上げるのは当然である。

しかし、外務官僚やそのOBたちにとっては、もっと衝撃的な死があった。

10月5日の各紙は中川元財務相の死について大きく取り上げている。

その陰にかき消されるように、一段の小さな死亡記事が各紙一斉に掲載されていた。

それは原口幸一宮内庁式部官長(68)が登山中に急逝心臓死したという記事である。

この死亡記事は私にとっては中川元財務相の死よりも衝撃的であった。

原口氏は、外務次官こそなれなかったが、官房長、外務審議官などの要職を歴任し、
国連大使、日朝国交化交渉担当大使などを経て宮内庁式部官長に天下りした外務官僚である。

私より5年先輩であった原口氏は、能力、人柄など、どれをとっても私が尊敬する数少ない外務官僚だった。
ともに仕事をしたことも何度かあった。

その立派な彼をしても、外務省という組織を守るために、機密費スキャンダル核密約などの外務省の恥部については、
国民を欺かざるを得なかった。
http://www.amakiblog.com/archives/2009/10/05/#001499
web魚拓
http://s04.megalodon.jp/2009-1009-1301-41/www.amakiblog.com/archives/2009/10/05/

5 :総理大臣の事務所顧問は韓国人の尹(ユン)星駿:2009/10/09(金) 13:08:14 ID:hSvo3S3+0

鳩山総理大臣の事務所顧問は韓国人の尹(ユン)星駿wwwwwwwwwwwwwwwwww日本オワタ

なぜか「韓国の経済通」を顧問にしていた「鳩山由紀夫」総理 (週刊新潮2009年10月8日号)
鳩山氏の韓国贔屓の背景には、単に文化面に留まることのない影≠ェちらつくのだ。
「10月9日に鳩山さんは訪韓予定ですが、彼は最近、尹星駿という40代の男性を事務所の顧問にし、
日韓関係のアドバイスを受けているんです」(民主党関係者)
要は鳩山氏による日韓外交が、韓国の人間に影響されている可能性があるというわけだ。
気になるその尹氏の経歴を見てみると、
「63年ソウル生まれで、日本の経団連にあたる全国経済人連合会の研究員を努めるなどの経済通。
一橋大学を卒業していて、同級生が民主党の議員にいるため、鳩山総理とも縁ができたそうです」
(韓国紙記者)
もちろん、尹氏が日本の国益に適う存在であれば、さして問題はないのかもしれない。
しかし、このほど彼が韓国のオピニオン誌『月刊朝鮮』(10月号)に寄せた論文には、
看過できぬ記述が見受けられるのだ。
<鳩山の登場は韓国にとって幸運>このタイトルが示すように尹氏の論文は、
全編韓国にとって″D都合のリーダーが日本に誕生したとのトーンで貫かれている。
その極め付きが、次の件。
<当時筆者は、鳩山幹事長に独島(注・竹島)問題に関する歴史的事実関係を理解させる必要があると判断し、
独島問題に精通する世宗大学の保坂祐二副教授を紹介した。
(中略)鳩山氏は(中略)保坂氏の独島に関する説明を 1時間30分も聴いていた。
鳩山氏は保坂氏の説明を受けた後「勉強になりました」と言いながら感謝の意を表した>
注視すべきは、尹氏が紹介した保坂氏≠ェ、日本に生まれながら現在、韓国の大学で副教授を努め、
竹島は韓国領≠ニ主張して止まない御仁であることだ。
京都大学大学院教授の中西輝政氏が警鐘を鳴らす。
「そもそも、現職の総理が外国の人を事務所の顧問に置くという話は聞いたことがありません。
しかもその顧問は、保坂なる学者を鳩山氏に紹介している。そういった人物を顧問にするのは、
日本国民を不安にさせ、総理として思慮不足」
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20091001/

6 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:09:51 ID:hSvo3S3+0
「鳩山邦夫」が兄と手打ち!?「日ロ協会」会長の座に就いた(週刊新潮2009年10月8日号)

「私は清潔な白い鳩。兄は政治資金収支報告書が嘘ばかりで黒い鳩」
「兄は器用だから、この世に存在しない人から政治資金を集めちゃう。犯罪だ」
故人献金≠ノ献金偽装≠ニ立て続けに疑惑が発覚してから、由紀夫氏を厳しく批判していた邦夫元総務相。
以来、兄弟の亀裂は深まるばかり――かと思っていたら、最近は、
「邦夫の由紀夫批判があまり聞こえなくなった。2人の関係に何か変化が起きたのではと、
憶測が流れている」(政治部デスク)
そんな折も折、「日本・ロシア協会」(日ロ協会)の会長が兄から弟に交替することが決定したという。
その結果囁かれているのが、兄弟の手打ち¥報なのである。
日ロ協会とは、前身の「日ソ親善協会」時代を含めると、創立44年の歴史を誇るNPO。
今年の5月にプーチン首相が来日した際には、「21世紀日露学長国際フォーラム」を開催するなど、日本とロシアの
交流促進に努めてきた団体である。
1956年の日ソ共同宣言により、両国の国交を回復した2人の祖父である故・一郎氏の代から、鳩山家とロシア(ソ連)
との縁は深い。そのため、由紀夫氏が同会の会長をつ努めていたのだが、総理就任に伴い辞任。
「ロシアでは、未だ鳩山ブランド≠フ影響力は大きい。由紀夫さんが会長のお陰で人脈面でも随分貢献して
いただいたし、資金集めの面でもサポートしてもらっていました」(日ロ協会関係者)
「9月21日頃、弟さんが後継会長となることが決まったんです。やはり、日ロ関係は鳩山家でリードしていくと
いうことでしょう。いずれにせよ邦夫さんであれば、同じ鳩山家ですから、これまで通りの支援が続けられるだろうと、
胸を撫で下ろしています」(日ロ協会関係者)
「兄弟仲が修復されていなければ、由紀夫氏が邦夫氏の後継会長就任を阻止したのではないか。
そこで、批判を止めさせるべく、会長職の禅譲≠巡って、由紀夫氏が邦夫氏に和解を持ちかけたのではないか、
との見立てが専らなされているというわけです」(外務省関係者)
兄弟仲良く日ロ関係者も一安心。つまり、これで一石二鳩≠ゥ?という政界怪情報なのだった――。
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20091001/

7 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:10:57 ID:hSvo3S3+0
週刊新潮2009年10月8日号
web魚拓
http://s02.megalodon.jp/2009-1009-1303-33/www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20091001/

8 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:12:10 ID:hSvo3S3+0
在米の元夫がぶちまける「鳩山新総理夫妻」が犯した35年前の原罪「略奪婚」
(週刊新潮2009年9月24日)

▼恩人の妻に手を出した留学生と流し目の年上人妻
▼「友愛精神」が発揮されなかった慰謝料ゼロの離婚劇
▼勤め先で漏らした欲求不満と「玉の輿コンプレックス」

「とうとう由紀夫くんが総理になりましたね。まあ、いつまで続きますか。
私としては、彼には一国のリーダーとしてまったく期待していません。
彼自身がどこまでやれるのか分かりませんが、ワイフである幸がちゃんとした内助の功で支えられればいいんですが。
彼女にとって、サンフランシスコでの出来事は忘れてしまいたい過去なのでしょう。
きっと、当時知り合った人たちとは一切かかわりをもちたくないと思っているんでしょうね……」

今から40年ほど前の苦い℃vい出を振り返るのは田浦新一郎さん(72)である。

1960年、米国サンフランシスコで姉夫婦が日本料理店『蝶々』を開店する際、料理人として手伝うべく渡米。
以来、姉夫婦がリタイアして後も切り盛りし、98年に閉店した。

同店はハリウッド監督のフランシス・F・コッポラやジョージ・ルーカスらも贔屓にし、日本人ビジネスマンにも人気を博す。
平岩弓枝の小説『女の顔』にも、仮名ながら店が登場するほどだ。

その田浦さんの言う「幸」とは、言うまでもなくファーストレディ、鳩山幸夫人(66)のこと。

9 :週刊新潮9月24日号 @:2009/10/09(金) 13:13:58 ID:hSvo3S3+0
在米の元夫がぶちまける「鳩山新総理夫妻」が犯した35年前の原罪「略奪婚」
(週刊新潮2009年9月24日号)

▼恩人の妻に手を出した留学生と流し目の年上人妻
▼「友愛精神」が発揮されなかった慰謝料ゼロの離婚劇
▼勤め先で漏らした欲求不満と「玉の輿コンプレックス」

「とうとう由紀夫くんが総理になりましたね。まあ、いつまで続きますか。
私としては、彼には一国のリーダーとしてまったく期待していません。
彼自身がどこまでやれるのか分かりませんが、ワイフである幸がちゃんとした内助の功で支えられればいいんですが。
彼女にとって、サンフランシスコでの出来事は忘れてしまいたい過去なのでしょう。
きっと、当時知り合った人たちとは一切かかわりをもちたくないと思っているんでしょうね……」

今から40年ほど前の苦い℃vい出を振り返るのは田浦新一郎さん(72)である。

1960年、米国サンフランシスコで姉夫婦が日本料理店『蝶々』を開店する際、料理人として手伝うべく渡米。
以来、姉夫婦がリタイアして後も切り盛りし、98年に閉店した。

同店はハリウッド監督のフランシス・F・コッポラやジョージ・ルーカスらも贔屓にし、日本人ビジネスマンにも人気を博す。
平岩弓枝の小説『女の顔』にも、仮名ながら店が登場するほどだ。

その田浦さんの言う「幸」とは、言うまでもなくファーストレディ、鳩山幸夫人(66)のこと。

10 :週刊新潮9月24日号 A:2009/10/09(金) 13:14:45 ID:hSvo3S3+0
ご存じの通り、幸夫人は「若みゆき」の芸名で娘役として宝塚に6年ほど在籍し、パリ公演にも出演した経験をもつ。
そして67年に宝塚を退団し、渡米して田浦さんと結婚した。

「私に幸を紹介したのは、洋菓子店『アマンド』の滝原健之社長(故人)でした。
社長は宝塚を応援していて、冗談半分で私が誰か嫁を探してくださいよ≠ニ言ってたら本当に連れてきた。
それが24歳の幸でした。
幸は活発な女性でね。
やはり宝塚のような世界にいたのでハキハキしていたし、第一印象も綺麗だなあという感じ。
でも、私と暮らしている時はそんなに派手ではなかったですよ。
歌は上手く、英語の発音もよかったけど」

結婚直後から、幸夫人は田浦さんとともに『蝶々』で働き始める。

が、今でこそ料理本をものしたり料理番組にも出演するほどだが、当時は料理はダメ。
店ではもっぱらウェイトレス、というより客をテーブルに案内する係りだった。

「でもウェイトレス同士で仲が悪く、チップの多寡でよくトラブルを起こしていたと、後に姉や義兄から聞きました」

11 :週刊新潮9月24日号 B:2009/10/09(金) 13:15:32 ID:hSvo3S3+0
そんな結婚生活が3年ほど過ぎた70年、田浦さんはある人物と運命的な邂逅をすることになる。
他でもない、鳩山由紀夫新総理だ(62)。

「実は、私に由紀夫くんを紹介したのもアマンドの滝原さん。
たまたま私が日本に帰っていた時、今度アメリカに留学する青年がいるから、アメリカでの生活とか話して
やってくれと引き合わされまして。
第一印象は、世間知らずのお坊ちゃんという感じ。
その時はシスコに来たら連絡して≠ニいう程度で、その後、実際にシスコの我が家に来たんです。
その時は弟の邦夫くん(元総務相)も一緒でした。
邦夫くんとは気が合って後にゴルフにも行くようになりましたが、由紀夫くんは弟と違うタイプでね。
暗いというか、あまりしゃべらない大人しい人でした」

その23歳の世間知らずの暗い青年≠ェ、ほどなくして自らを不幸のどん底に突き落とす所業に及ぼうとは、
無論、この時の田浦さんは夢にも思っていなかった。

12 :週刊新潮9月24日号 C:2009/10/09(金) 13:16:25 ID:hSvo3S3+0
◆家を出ていきます◆

鳩山新総理は東大工学部を卒業後、スタンフォード大大学院に留学。当時は、そのまま学究の道を目指していた。

スタンフォードからサンフランシスコまではおよそ60キロ、車で1時間ほど。
が、由紀夫青年は、田浦さんの店に頻繁に通うようになる。

「我が家でご馳走することもありましたし、店にもとにかくよく食べに来てました。
でも姉によると、いつもお金は払わない。
鳩山家からもこれで食べさせてください≠ニかお金をもらったことなどありません。
彼の世話はだいたい姉夫婦がやってまして、日曜ごとに彼に弁当を作って届けていたほどなんです」

やがて、幸夫人は『蝶々』を辞めさせられる。
前述のようなトラブルが続き、経営者である田浦さんの義兄から家事に専念しろ≠ニ言われてのことだった。

それからしばらく後、ある事件≠ェ勃発する。

「義兄の家のポストに弟さんの留守中、男がこっそり出入りしている≠ニ書かれた手紙が入っていたのです。
後で知りましたが、それは我が家の目の前に住んでいた邦銀勤務のご主人が書いてくれたものでした。
それでも、私はまさか幸が不倫をしているとは思っていなかったし、その相手が由紀夫くんだなどとも、まったく
疑っていなかった。
だから、幸にもこういう手紙が来たから疑われるようなことはするな、気を付けろ≠ニ言っただけで、
追求するようなことも一切しなかったのです」

13 :週刊新潮9月24日号 D:2009/10/09(金) 13:17:15 ID:hSvo3S3+0
しかし、この頃すでに当地の邦人社会では、由紀夫青年と幸夫人の怪しい仲≠ェ心配されていたという。
そして実際、それから1年もしない間に、第2の事件≠ェ起きてしまう。
何と、幸夫人が田浦さんの家から出奔してしまったのだ。

「ある日、私が帰宅すると、家を出て行きます≠ニいう置手紙だけが残されていまして……。
その時初めて、ああ、2人はそうだったのかと知りました。
義兄はポストの手紙事件後、探偵を使って2人を尾行し、不貞の事実を確認していたそうです。
結局、幸からはそれっきり、今に至るまで一度も連絡はない。
もちろん、由紀夫くんも二度と店にも現れなくなりました」

結果、2年後の73年、田浦さん夫妻は正式に離婚する。
が、その手続きも、幸夫人の母親が突然、田浦さんのもとに現れ、一言協議離婚にしたい≠ニ言ったのみ。

慰謝料はもちろんのこと、謝罪の言葉すらまったくなかったという。

「私としては、何だかもういいや≠ニいう気持ちでね。
ドライというか、冷めた気持ちになっていました。
姉夫婦はかなり頭にきてました。
そりゃあ、あれだけ由紀夫くんの面倒を見ていたわけですから、裏切られた思いが余計に強かったのでしょう」

出奔後、幸夫人は由紀夫青年のもとに走り、そのまま同棲。そして2年後、結婚する。

当時、本誌『結婚』欄で報じた際、28歳の由紀夫青年はこう語っている。
<僕も彼女も、なるべく円満に事を運ぶために、忍耐強く、時間をかけました。幸い、ご主人が話の
よくわかった方で、3年前、協議離婚が成立したのです>

円満どころか、恩人の妻に手を出した挙句の紛れもない略奪婚≠セったのだ。
ちなみに結婚式直後、ゴッドマザーこと新総理の母、安子さんが『蝶々』を訪れているが、やはり、
田浦さんには会わず終いだった。

14 :週刊新潮9月24日号 E:2009/10/09(金) 13:18:18 ID:hSvo3S3+0
◆車でも用意してちょうだい◆

田浦さん実姉、坂田哲子(のりこ)さん(83)も、憤懣やるかたない思いを吐露する。

「主人が生きていたら、由紀夫が総理、幸がファーストレディと聞いてどれほど憤ったことか。
彼は私たちが世話したことを当たり前のように思っている。
幸の方は、いつも自分が一番でないと気がすまない性格。
2人とも常識がなさすぎます。
こんな人たちが庶民の気持ちなど分かるわけがないし、リーダーになるなんて信じられません」

幸夫人は『蝶々』を辞めさせられて後、まだ田浦さんと離婚する前から、知人の紹介でシスコ市内の
宝石店に勤め始める。

そのオーナーで、今もシスコ在住のレタ・ターナー女史の述懐。
「私自身も恋多き女でしたから、幸さんもそこに共感したのか徐々に仲良くなり、よくお寿司屋さんでご馳走しました。
新さんに興味が持てない、あまりセックスもないの≠ニご主人のことを憂鬱そうに話す一方で、
鳩山さんのことはとても気に入ってるの、運命の人かもしれない≠チて嬉しそうに言ってました。
彼女が鳩山さんに恋をしているのは一目瞭然でしたね」

駆け落ちの相談もされたという。

「ある夜、2人で自宅に訪ねてきて、新さんのところから出たい≠チていうの。
鳩山さんは後ろに立ってるだけで、幸さんが彼を従えているような印象でした。
彼女が鳩山さんのもとに走ったのは、どこかお金に惹かれたからじゃないかしら。
当時は日本人はほとんど永住権をもらえない時期で、そんな時代に日本料理店で成功していると聞けば、
誰でもそれなりの資産を持っていると思います。
それが実際に新さんと結婚してみると、ウェイトレスの手伝いばかり。
幸さんは、アテが外れたように感じていたのかもね」

後に女史は2人の結婚を風の便りで知るが、今に至るまで、夫妻からはクリスマスカード1枚すらないという。

15 :週刊新潮9月24日号 F:2009/10/09(金) 13:20:40 ID:hSvo3S3+0
田浦さんを古くから知る知人の実業家もこう憤る。
「恩人の奥さんを奪い、その尻拭いを母親にさせ、自らは未だに謝罪の一言もない。
政治家という以前に、品性が卑しくモラルも何もない人間としか思えない」

田浦さんは、政治家の妻となった幸夫人のある行状≠当地総領事館の友人から伝え聞き、酷く哀しい
思いをしたことがある。

再び、田浦さん本人が語る。
「時期は忘れましたが、幸は一度、1人でシスコに遊びにきたことがあるそうです。
その歳、シスコの総領事館の人に大きな顔をしていたらしい。
私は鳩山由紀夫のワイフよ、車でも用意してちょうだい、て調子でね。
ショックだったね。
何でそういう常識に外れたことをするのか……」

さらに、米国で医師と結婚していた幸夫人の実姉からかつて聞いたこんな言葉を、いま思い出すという。
「当時、お姉さんはよく私は金持ちとしか結婚しない≠ニ言ってました。
妹の幸も派手な世界の出身ですし、やはり私の収入では物足りなかったのかも……」

そして最後に、元妻へこんな苦言を呈す。
「由紀夫くんは友愛って言うけど、それなら、ワイフである幸も自分が目立とうとするのではなく、本当に
愛があるなら、ボランティアをやったり困っている人をヘルプしなくちゃ。
それでこそ愛が見えるしファーストレディでしょう」

35年の昔とはいえ、新総理夫妻の原罪=A決して軽いものではあるまい。

<終了>
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20090916/

16 :週刊文春9月24日号 @:2009/10/09(金) 13:22:21 ID:hSvo3S3+0
鳩山幸 元夫・田浦新一朗氏が実名告白 私を裏切った由紀夫くんと幸へ
週刊文春2009年9月24日号

小誌は9年前、鳩山幸夫人の前夫の義兄、ジェームス坂田氏の手記を掲載した。
そこには、義弟の妻を奪い、その家庭を壊した、およそ「友愛」とは程遠い由紀夫氏の行状が綴られていた。
そして今回、前夫の田浦新一朗氏本人が、ついに重い口を開いたのである――。

▲「お金がある人じゃないとダメなの」が口癖
▲昔から有名人好き
▲謝罪は母・安子さん任せ 

「九州にいる親戚から昨日電話がかかってきました。幸がファーストレディになるからテレビに
出まくっているけど、相変わらずチャラチャラしてるよ、やだねぇ≠ニ……」
こう話すのは田浦新一朗氏(72)。
サンフランシスコ郊外に在住する田浦氏は、鳩山由紀夫首相婦人・幸さん(66)の前夫だ。

彼女の略歴を『朝ズバッ!』(TBS系、9月7日放送)ではこう伝えている。

●1961年 宝塚歌劇団入団
●1967年 宝塚を退団。ダンスの勉強をするためアメリカへ留学
●1975年 アメリカ留学中の鳩山由紀夫氏と出会い結婚
運命的に出会い、熱愛のすえ結ばれたように見えるが、この結婚はそんなに美しい物語では決してなかった。
なぜなら二人の結婚は不道徳な略奪婚だったからである・・・・・・。

17 :週刊文春9月24日号 A:2009/10/09(金) 13:23:27 ID:hSvo3S3+0
実は小誌は9年前にも田浦氏に面会している。

田浦氏の義兄のジェームス坂田氏が
「総理を狙う男を告発!義弟の妻を奪った輩を許さない 初めて明かす鳩山由紀夫の不道徳な略奪婚=v
(2000年10月12日号)に手記を寄せた。

そのとき田浦氏は、
「今は幸も私もそれぞれ家庭がありますから、昔のことはお話しするつもりはありません。それに男と女のことですから」
と言っていた。

そしてこう続けた。
「義兄と姉は、由紀夫君が30年以上前サンフランシスコでしたこと≠現在も許せずにいます。
由紀夫君が市井(しせい)の人ならば、昔のことを公にする必要はありませんが、現在、由紀夫君は総理を
狙う政治家というではありませんか。ならば、過去のことを日本の方々に話したいという義兄の気持ちに、
反対する理由はありません」

当時、由紀夫氏は民主党代表。
森喜郎政権の支持率が低迷していたこともあり、次期総理の有力候補として名前が挙がっていた。
あれから9年の月日が流れ、いよいよ鳩山政権が誕生した。

18 :週刊文春9月24日号 B:2009/10/09(金) 13:24:14 ID:hSvo3S3+0
◆間男に総理は務まらない◆

9年前の取材の折に、坂田氏は憤りを露わにし、「間男をするような男、泥棒に総理大臣は務まらないでしょう」
と吐き捨てていた。

その坂田氏も5年前に他界した。
「義兄があのとき発言したことを鳩山夫婦が真摯に受け止めてくれることを願っていたのですが、最近の様子を
聞くと、どうやらそういうこともないようですね」(田浦氏)

坂田氏の手記を簡単に振り返ろう。
70年、東京大学卒業後、スタンフォード大学に留学することになった鳩山氏。
知人の紹介で、日系2世の坂田氏一家が、鳩山氏の慣れない外国暮らしのアテンドをすることになった。

当時坂田氏はサンフランシスコで日本料理店「蝶々」を経営。
そこで手伝っていたのが、田浦氏と嫁の幸さんだった。
翌年、由紀夫氏と幸さんの密会が目撃されるようになる。

◆食事代もチップも払わない◆

坂田氏の夫人・ノリコさんが証言する。
「主人のもとに、弟の家の近所に住む日本の会社の駐在員の奥さんから、弟の留守中に不審な男が
出入りしているという内容の手紙が送られてきたのです。
散々考えた挙げ句、主人が元CIC(米軍諜報部隊)の情報局にいたシュワルツさんにお願いし、2人を尾行してもらいました。
1週間後に届けられた報告書には、幸と由紀夫君が、彼のムスタングでホテルに行ったなど詳細が報告されていました」

その後、幸さんは計画的に田浦氏の家を出て、鳩山氏と同棲。
以来、今日に至るまで、詫びはおろか連絡も一切ない。

19 :週刊文春9月24日号 C:2009/10/09(金) 13:25:10 ID:hSvo3S3+0
坂田氏の手記より。
<昔から「添え膳食わぬは男の恥」という言い方もありますが、一宿一飯の世話になった男の嫁に関しては、
話は別というのが常識でしょう。(中略)由紀夫氏には、そういったモラルが完全に欠如している>

ノリコさんが続ける。
「当時お店の休みは日曜日だけでしたが、私たち夫婦は留学してきた由紀夫君のために車で一時間ほどかけて
スタンフォードのあるパロアルトまで行き、お弁当を届けていました。
ときどきは店にもみえてましたが、食事の代金もチップも一度も払うことはなかったです。
お金持ちのお坊ちゃまはそういうものなんでしょうか。
これでは庶民の気持ちなんてわからないでしょうね」

幸さんについては、
「店の従業員の女の子と、とにかくうまくいきませんでした。
いただいたチップの取り分が原因で揉めたことも一度や二度ではありません。
恐らく、いつでも自分が一番目立ちたいという性格が災いしたんでしょう。
店には有名人のお客様も多く、訪米時には空港まで迎えに行っていましたが、そういうときはいつも張り切っていましたね。
森繁久彌さんがいらしたときに、私の着物を貸しましたが、いまだに返してもらってません。
私お金がある人じゃないとダメなの≠ニ口癖のように言っていました」

20 :週刊文春9月24日号 D:2009/10/09(金) 13:25:58 ID:hSvo3S3+0
ノリコさんも最近、テレビの国際放送などで、幸さんを目にすることが増えた。

「相変わらずのようですね。
幸は人生には無駄がありません。前夫の家が料理屋で、そこでお料理を学んだおかげで、今お料理の本を出したりできた
と言ってましたが、彼女が厨房に入って料理をしたことは一度もありません。
彼女の仕事はいらしたお客様をテーブルまで案内するのがほとんどでした。
もともと幸は知人と一緒に突然シスコにやってきて、3日目から弟の部屋に入り浸ってしまったんです。
困った弟は別の部屋で寝ていました」

翌年、田浦氏は幸さんに押し切られる形で結婚する。
しかし、前述のように従業員とのいざこざが絶えず、坂田氏は幸さんに店を辞めさせた。

当時のことを幸さんはこう振り返っている。
「私は家を出ます、って言ったの。
(中略)贅沢な話だと言われるんですが、それまでの結婚は自由でしたが生活感がないというのか。
お金を手にしないでもサインとカードで暮らせるアメリカ生活に物足りなさを感じていたんです。
自分で給料をもらって、その中でやりくりをするようなことがしたかった」
(『週刊朝日』95年12月15日号)

21 :週刊文春9月24日号 E:2009/10/09(金) 13:26:44 ID:hSvo3S3+0
◆葬儀に花を贈った弟・邦夫氏◆

ノリコさんが続ける。
「当時のアメリカはまだカード社会ではありませんでした。
幸は昔から、自分をよく見せるために、ストーリーを作ることが多かったですね」

由紀夫氏との出会いについて、幸さんが語っていることにも、事実とは異なる点があるという。

幸さんの説明。
「今度この人がアメリカに行くからよろしくね、という感じで里帰りで初めて会ったのね。
あたし別に興味なかったんだけど。
世の中偶然がないからね、これが必然で赤い糸だったって思うのが、同じ飛行機で(シスコに)行ったのね。
1年くらいしてからダウンタウンを車で走っていたら彼を見かけて、これが2度目の出会いね。
それから毎週シスコに出てくるようになって、私が食事を作ってあげて・・・・・・」
(テレビ東京『美女放談』での発言より)

ノリコさんが言う。
「幸が初めて由紀夫君に会ったのは、私たちと一緒に由紀夫君を迎えに行った空港だったと思います」

22 :週刊文春9月24日号 F:2009/10/09(金) 13:27:48 ID:hSvo3S3+0
◆前夫から最後のメッセージ◆

田浦氏も、
「偶然っていうのはそんなに重なるものなんですかね(苦笑)。
私が最初に由紀夫君に会ったのは、たしかに知人の紹介で東京でしたが、その時は幸はいませんでした」

自身の都合のいいようにストーリーを展開するというのは幸さんのみならず、由紀夫氏も同様のようだ。
75年3月、鳩山夫妻は結婚。

当時のマスコミには鳩山家の御曹司がバツイチの女性と結婚するというので、随分書き立てられた。
不義理の末の駆け落ちと報じられたが、由紀夫氏は、
<それは間違いです。僕も彼女もなるべく円満に事を運ぶために、忍耐強く、時間をかけました>
(『週刊新潮』75年4月10日号)

しかし鳩山夫妻は、幸さんが田浦家を出てから一度も、田浦氏はもちろん坂田夫妻と話し合う機会も持とうとしなかった。

「由紀夫君のお母さまの安子さんが、二人の結婚式のときにお詫びにおいでになっただけです。
主人が亡くなったときに、弟の邦夫さんからはお花をいただきましたが、由紀夫さんからは連絡すらありませんでした」
(ノリコさん)

坂田氏は手記の最後に自身の思いをぶつけている。
<モラルのない人間が政治をやると、それはただの『政治屋』になってしまいます。
先の大戦で無辜の民を苦しめた日本の政治家は、依然として同じ体質なのでしょうか。
(中略)こんな男に国をまかせておいていいのか・・・・・・>

渡米して50余年が経つ田浦氏も、遠い異国で日本の行く末を憂えている。
困ったことが起きると雲隠れし、挙げ句母親に詫びを入れさせる。
そんな男が日本の首相の座につく。

23 :週刊文春9月24日号 G:2009/10/09(金) 13:29:57 ID:hSvo3S3+0
「最近読んだ『白州次郎 占領を背負った男』(講談社)という本に、こんな一節がありました。
主義主張を異にする自社両党が政権のために連立するのは政党政治の本領に反し、ひいては両党のためにもなるまい=B
昭和22年、吉田茂の自由党が片山哲率いる社会党に第一党の座を明け渡したとき、片山は単独で政権を担う自信が持てず、
自由党からも閣僚を送ってほしいと申し出たのですが、そのとき吉田茂は、こう言って申し出を断ったのです」

田浦氏は、男なら由紀夫氏も、このくらいの覚悟を持ってほしい、という。

一方、幸さんはアメリカの新聞「サンフランシスコクロニクル」に、<エキセントリック・ファーストレディー>
として取り上げられている。

田浦氏が言う。
「幸夫妻が以前、テレビ番組『料理の鉄人』に出ている姿がこちらの日本語放送でも流れましたが、ああいうことは
これからどうかと思います。
アメリカのファーストレディーはボランティア活動にも積極的に取り組んでおり、また夫の外遊にも同行ししっかりと
内助の功を果たしています。
きちんとしたファーストレディーになってください。それが今の私が唯一彼女に言いたいことですね」

民主党が第一党になった翌日、スポーツニッポンの手記に「家庭を守れない者に国は守れません」と、幸夫人は書いた。
かつて人を傷つけた自覚があれば、こんな言葉が軽々しくでてくるはずがない。

<終了>
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun090924.htm

24 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:31:29 ID:hSvo3S3+0
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376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 01:48:56 ID:sg9zsB22

売国奴白州次郎と現在の日本

白州はセール・フレイザー商会取締役を経て、
日本食糧工業(日本水産の前身)取締役となり、
仕事先の英国で駐英大使時代の吉田茂と出会い親交を深めた。

白州は51年5月に東北電力会長に就任、
以後、大洋漁業、日本テレビの役員、そして
当時英国を代表するユダヤ系投資銀行であったS・G・ウォーバーグの顧問になっている。

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/02(金) 00:23:20 ID:1TVFYUNz

次郎のもう一つの顔があります。
それは外資系企業の代理人としての顔です。

日本の電力会社が9分割されたときに次郎は、東北電力の会長に就任します。
このときに英国系商社のジャーディン・マセソンのために福島の只見川の水力発電所建設計画を流しています。

次に日本製鉄が八幡製鉄、富士製鉄など四社に分割されたときに動いています。
月産1000トンの高炉2基を持つ最新鋭の広畑製鉄所は、富士製鉄に返還されると見られていました。
それを次郎は、ジャーディン・マセソンと合併させようとしました。
次郎は吉田首相にも根回しし、話を進めました。

これに激怒したのが、富士製鉄社長の永野重雄でした。
永野は「広畑を取れなければ腹を切る。将来の日本の経済のため、製鉄業を外国資本に任せられるか」と工作し、
ぎりぎりで阻止することに成功しました。

25 :可愛い奥様:2009/10/09(金) 13:36:59 ID:hSvo3S3+0
「女性セブン」9月17日号(VOL.33) 
■「あの人が首相になるのは問題がある」と―― 幸夫人の前夫激白!「あの夫婦 仮面の下の忘恩と不実」■
http://josei7.com/img/cover09-33.gif
http://josei7.com/img/mokuji09-33b.gif
http://s03.megalodon.jp/2009-0908-0136-35/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1251389373/732-734

幸夫人の前夫<激白!>「あの夫婦、仮面の下の忘恩と不実」
誌名 : 女性セブン [ 2009年09月17日号]
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG96/20090903/16/
http://entameblog.seesaa.net/article/127129427.html

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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