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時代を駆ける:アグネス・チャン/1 大病2度、恩返しの人生誓う

=手塚耕一郎撮影
=手塚耕一郎撮影

 ◇AGNES CHAN

 <いつも元気な様子から「タフネス・チャン」とも呼ばれた。その体が乳がんにむしばまれていることが分かったのは07年9月。三男の協平君はまだ10歳だった>

 自宅で横になってテレビを見ている時に、右胸にしこりのような違和感があり病院に行きました。後日、電話で「早期の乳がんと思います」と検査結果を伝えられました。「なんで私なんだろう。3人の子供はおっぱいで育てたし、健康も気をつけてきた。協平が15歳になるまでは見届けたい」。そういう思いが込み上げ、涙が止まりませんでした。

 <乳房温存手術で4ミリのしこりを摘出した。転移はなかったが、コンサートはキャンセルし、がんの公表を決意した>

 手術後、5日間で仕事に戻るつもりでした。しかし、麻酔が切れると吐き気が続き、すぐに退院できる状況ではありませんでした。香港の姉からは「傷物と見られる」と公表に反対されました。「なんで」と思ったけど、そういう見方が人を苦しめるんです。自分は変わっていないことを示そうと、記者会見では派手な洋服で明るく振る舞いました。発表したら気持ちが楽になりましたね。

 <不安はあったが、10日間で仕事に復帰。日中友好35周年を記念した北京でのコンサートは成功した。しかし、放射線治療やホルモン療法の後遺症に苦しんだ>

 放射線治療で右胸が赤から茶、黒、灰色に変わっていくのを見て恐ろしくなりました。黒くなったところが見えないように普段着でも襟元は開けませんでした。体がだるくもなりましたが「私は疲れない」と暗示をかけました。

 放射線治療が終わってから始まったホルモン療法は5年続けないといけません。薬を飲んでいるのですが、顔に湿疹(しっしん)ができたり、パンパンに腫れることもありました。女性ホルモンを抑えるのは非常につらく、急速におばあちゃんになっていく感じです。でも夜明けの来ない夜はないと思って、くよくよ考えないようにしています。

 <手術は初めてではなかった。06年12月には香港で唾液(だえき)腺腫瘍(しゅよう)の手術を受けていた。すぐに仕事に復帰する予定だったが、顔の右半分の感覚がなくなる後遺症が残った>

 右耳の下を10センチぐらい切りました。良性だったけど、手術直後にコップの水をストローで吸えない。ああこれはまひしたなと分かりました。日本に帰ってきて、歯を磨いても水が口からこぼれる。しゃべるとよだれも垂れ、自然に笑えない。疲れで頭が痛くなる。手術前は1週間で治ると言われたけど、そうじゃなかったんです。

 <まひを隠したまま手術を公表したが、その後も治らず芸能界引退という考えも脳裏をよぎった>

 テレビに出ていたので、隠せないと思いました。3カ月たっても治らないようだったら仕事は続けられないかなと引退も覚悟しました。翌年の3月でした。ある日、歯を磨いたら水がこぼれなかった。今も完全ではないんですけど、希望は失ってはいけないということですよ。

 <先月のスケジュールは移動日の1日以外は毎日仕事。何かに駆り立てられるように平和やがんの早期発見の大切さなどを訴え続ける>

 乳がんで入院した時、以前知り合ったがん患者を支援する団体の人から「早期発見で良かったですね。(がんで亡くなった)仲間の魂があなたに乳がんを教えたのでしょう」というメールをもらいました。「きっとそうなんだ」と思い、もう号泣ですよ。この命は私だけのものではないと思いました。

 いつ死ぬか分からないから、「今日の自分は何ができるか」を考えるようになりました。病気を経験して、すべてに感謝する気持ちが強くなったと思います。残りの人生で恩返ししていきたいです。

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 聞き手・長谷川豊/「時代を駆ける」は月~水曜日掲載です。

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 ■人物略歴

 歌手、タレント、教育学博士。香港生まれ。72年に「ひなげしの花」で日本デビューし、トップアイドルに。翌年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞受賞。85年に結婚後、職場に子供を連れて行くことの是非を巡り「アグネス論争」を巻き起こす。日本ユニセフ協会大使として、世界の子供たちの支援を呼びかける活動を続ける。著書は「みんな地球に生きるひと」(PART1~3)など多数。54歳。

毎日新聞 2009年10月5日 東京朝刊

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