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【土曜訪問】

『虜囚の記憶』で戦後責任問う 過ち直視し“叫び”を知る 野田正彰さん(精神科医)

2009年10月3日

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 ページをめくり、読み進むのが恐ろしい。精神科医の野田正彰さん(65)の近著『虜囚の記憶』(みすず書房)は、胸が苦しくなるほど重い。第二次世界大戦中、日本がアジアの人びとを虐げた事実を告発し、今なお被害に苦しむ人の叫びを二十一世紀の日本に伝える渾身(こんしん)の一冊だ。それを世に問う思いを聞きに、京都市内の自宅を訪ねた。

「少しでも多くの人に読んでほしいけれど、読まれませんね。日本は結局、過去をそのまま引きずっている社会なんですね。《戦争で何をしたか、それをどう受け継いでいるか》を考えることは、私たちの社会が変わっていくための重要な財産だと思いますが」

 野田さんが語る。悲憤慷慨(こうがい)せず、淡々とした話し方に、かえってこの著作に寄せる思いがにじむ。

 二〇〇六年秋から二年をかけて、中国や台湾の各地を訪ねた。かつて日本に拉致され労働を強いられた人や、日本軍から性的暴力を受けた人から、その人生全体を聞き取るためだった。老いた生存者が打ち明けたのは、暗澹(あんたん)とさせられる体験談である。

 本書によれば、日本軍は中国の農民を奴隷のように狩り集めた。また「従軍慰安婦」ではない女性を拉致し、性欲のはけ口にした。日本に送られた農民は劣悪な環境で働かせられ、虐殺さえされた。記者も日本の戦争犯罪について少しは学んできたつもりだったが、こうした証言には、祖父や父の世代が本当にしたのか−と驚いた。被害者たちが心と体に深い傷を負い、何の謝罪も補償も受けられないまま、それでも生きてきた歩みには胸がうずく。

「日本の社会全体が、過去を見つめるというのがどういうことか分かっていないですね。個人のことに置き換えれば、自分がなぜ失敗をしたのかを考えることは大事だとみんなが言います。でもそれが社会のことになると、なぜ“否認”の方が価値があるのか」

 否認。そう、この国では過去の過ちを直視することは避けられてきた。戦争体験世代は「われわれも戦争の被害者」と言い、子や孫の世代は「なぜ私たちに、父や祖父の行為の責任があるのか」と言う。それを野田さんはたしなめる。《侵略戦争についての無反省だけでなく、戦後の六十数年間の無反省、無責任、無教育、歴史の作話に対しても、私たちは振り返らねばならない。戦後世代は、先の日本人が苦しめた人びとの今日に続く不幸を知ろうとしなかったことにおいて、戦後責任がある》と。

 戦後責任とは重い言葉だ。もちろん、日本国内でも戦争犯罪と向き合う人たちがいたし、二〇〇〇年に和解をみた「鹿島花岡裁判」をはじめ強制連行の被害者への補償をめぐる訴訟なども起こされてきた。

 だが本書には驚くべき記述がある。日本国内で「画期的」などと大きく報じられた鹿島花岡裁判の結果に対して、原告団長の耿諄(こうじゅん)さんが「すべて裁判は失敗した。私たちは裏切られた」とまで嘆いている点だ。

「“和解”の直後から、原告側から抗議文が出されているわけですよ。彼らは、人間の尊厳をかけて、これほどひどいことをしたのを謝ってほしいというのが軸にある。それが一貫してお金の問題にされたと言っています。日本国内向きの勝手な救済をしただけなのに、それを日本のマスコミはまったく検証しない」

 報道する者の一員として叱責(しっせき)された気持ちになりつつ、一方で感謝したくなった。この本を読むまでは、被害者の思いに対してまるで無知であったからだ。《出来ることから始めよう。今苦しんでいる老人がいる。その人を理解し、思いを込めて手を握ることから、遅ればせの戦後補償が始まる。そして私たちは、歩きつづけていくのだ》というあとがきが、心にすっとしみこむ。

 一九四四年、高知県生まれ。北大医学部を経て精神病理学者となったが、診察室から足を踏み出して、社会のあり方と人間の精神とのつながりを考え続けてきた。「戦争で何をしたか、それをどう受け継いでいるか」は、この人にとって過去をいたずらにほじくり返すことではなく、極めて同時代的な問い。

「社会というのは広い意味で文化を継承していますから、文化を変えていくにはよほどの努力をしないといけない。自分の生きている社会が行ってきたこと、しかもそれを反省せずにいるのに連綿とつながって、自分もまたその中で教育を受けて生きている。それに気付かないかぎり、平和の問題を自覚するのは難しいというのが、私の経験に基づく一定の結論です」

  (三品信)

 

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