「左の胸に手を置いてごらん」。小2の理科の授業で、女の先生が言う。「トクトクするろう。心臓です」。ところが、戸惑う1人の男児がいた。僕はトクトクしていない。でも皆の前では言い出せなかった。
19歳の時、腹痛で胃の透視をして、疑問が解けた。担当医師がなぜか多めにX線撮影をした。「君は珍しい。10万人に1人の内臓逆位だ」。心臓をはじめ、すべての臓器が左右反対なのだ。「私が診察した患者では君で5人目だ」。各臓器の機能に問題はない。彼はガッツポーズをして喜んだ。「めったにないなんて、ラッキー」
それ以来、得をしたことも損をしたこともない。認識票みたいなものは携帯していない。健康診断で心電図をとったら、看護師が「あれ? あれ?」。最近は事前に伝えるが、不慣れなせいか倍の時間がかかる。高知市梅ノ辻、寺尾石材店代表の寺尾晴邦さん(44)がにこやかに話す。
おもちゃの聴診器で小1の娘に心音を聞かせる。「パパは左の音がないろう」。自分にひげがあるのと同じ。「いろんな人がいるんだと、いつかわかるでしょう」
先月、今は退職した恩師と偶然再会し、例の授業の話を伝えた。元担任は「びっくりしました」。40年足らずを掛けて、宿題をやり終えた気分だ。【大澤重人】
毎日新聞 2009年10月3日 地方版