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【コラム】

筆洗

2009年9月28日

 硫黄島の玉砕が迫った一九四五(昭和二十)年三月、小笠原の父島で、剣道二段の腕前を買われた海軍の少尉候補生が、捕虜の斬首(ざんしゅ)を命じられた▼捕虜は対空砲火で撃墜された米機の若い搭乗員。ほぼ同年齢で親しみを感じていたが命令は絶対だ。「自分もすぐ戦死するから、怖いことなどない」と言い聞かせた▼前日、剣道四段を名乗る少尉が現れ、交代を命じられた。殺される直前、米兵が小声で言った言葉が耳に残る。「お母さん、さよなら」。処刑した少尉は戦後、戦犯に問われていることを知り自決した▼この時の少尉候補生が二十五日に八十六歳で亡くなった元日弁連会長の土屋公献さんだ。「私が死ぬ運命だったのに少尉は身代わりになった。一度、死んだものと思い勇気を奮って生きてきた」と土屋さんは本紙に語った▼従軍慰安婦問題の立法による解決に尽力、七三一部隊の細菌戦をめぐる国家賠償訴訟などで弁護団長を務めた。戦後補償問題に全力で取り組んだのは、自らの戦争体験に裏打ちされた加害責任の自覚からだったと思う▼公安調査庁の緒方重威元長官が詐欺罪で逮捕された在日本朝鮮人総連合会中央本部の不動産をめぐる問題で、総連側の代理人を務めた。「(本部を失えば)罪もない在日朝鮮人の幸福と生活が奪われる」と土屋さんは言った。組織の向こう側に民衆を見ていたのだろう。

 

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