2009.09.26
【NEW】 一瞬に過ぎ去った私の夏…(改訂版)
久々のブログになります。
この夏は一瞬で過ぎていったような気がします。
かといって決して私が多忙を極めたという訳ではありません。相変わらず(株)夢現の業務は副代表のYが何もかも仕切り実務まで彼女が乗り出して出版不況のトンネルから脱出すべく精一杯、頑張ってくれました。
新人スタッフは過去もそうですが、入社して暫くすると「出版」という今まで心に描いていた世界と異なる「現実」を知り、当惑と責任の重さの中で溺れそうになりながら一生懸命にもがいています。
今や中堅となったスタッフはスタッフで、更なるステップアップの前に立ちはだかる高い「壁」に呆然とし、時には身をすくませたり、また時には勇敢に挑んだり四苦八苦を繰り返しています。
そんなスタッフたちを統率しつつ(株)夢現の財務関係から一作家として原稿執筆までこなしてしまうYはやはり怪物かスーパーウーマンではありますが、そんな彼女に甘えきっている自分への恥ずかしさ、つまり自己嫌悪が日々募る毎日です。
いつかは彼女を高く広い、そして青く澄み通った大空に羽ばたかせてやらなければいけない。解放してやらなければならないのです。
一方でそんな日が永遠に来ない事を祈っている…。その矛盾が私を苦しめ続けています。
半世紀生きてきた事実に不思議な重圧を私は感じながら夏を過ごしてきたのもまた事実です。夢と諦念の狭間の中で、後何年私は走れるのだろうか!? 不安との闘いの中で身動きが取れない事もありました。
今年が最後の全国ツアーと謳って活動していた吉田拓郎は、結局最後の最後でゴールに辿り着けず、挫折感を残したままこの夏を終えました。
矢沢永吉は60歳を記念する東京ドーム公演に6万人近い観衆を集め、広いステージをダッシュしながら微塵も衰えぬパワーを見せつけました。
私は間違いなく矢沢さんのようには生きられません。ドームの観客に混じり声が枯れるまで2時間半、「永ちゃんコール」を続けました。これはある意味で私自身への鼓舞でもあったのですが、結果的に矢沢さんが遠くに感じる寂しさだけを私に残して終わりました。
(5万人を超える観衆を飲み込んだ矢沢永吉の東京ドームコンサート)
この夏は一瞬で過ぎていったような気がします。
かといって決して私が多忙を極めたという訳ではありません。相変わらず(株)夢現の業務は副代表のYが何もかも仕切り実務まで彼女が乗り出して出版不況のトンネルから脱出すべく精一杯、頑張ってくれました。
新人スタッフは過去もそうですが、入社して暫くすると「出版」という今まで心に描いていた世界と異なる「現実」を知り、当惑と責任の重さの中で溺れそうになりながら一生懸命にもがいています。
今や中堅となったスタッフはスタッフで、更なるステップアップの前に立ちはだかる高い「壁」に呆然とし、時には身をすくませたり、また時には勇敢に挑んだり四苦八苦を繰り返しています。
そんなスタッフたちを統率しつつ(株)夢現の財務関係から一作家として原稿執筆までこなしてしまうYはやはり怪物かスーパーウーマンではありますが、そんな彼女に甘えきっている自分への恥ずかしさ、つまり自己嫌悪が日々募る毎日です。
いつかは彼女を高く広い、そして青く澄み通った大空に羽ばたかせてやらなければいけない。解放してやらなければならないのです。
一方でそんな日が永遠に来ない事を祈っている…。その矛盾が私を苦しめ続けています。
半世紀生きてきた事実に不思議な重圧を私は感じながら夏を過ごしてきたのもまた事実です。夢と諦念の狭間の中で、後何年私は走れるのだろうか!? 不安との闘いの中で身動きが取れない事もありました。
今年が最後の全国ツアーと謳って活動していた吉田拓郎は、結局最後の最後でゴールに辿り着けず、挫折感を残したままこの夏を終えました。
矢沢永吉は60歳を記念する東京ドーム公演に6万人近い観衆を集め、広いステージをダッシュしながら微塵も衰えぬパワーを見せつけました。
私は間違いなく矢沢さんのようには生きられません。ドームの観客に混じり声が枯れるまで2時間半、「永ちゃんコール」を続けました。これはある意味で私自身への鼓舞でもあったのですが、結果的に矢沢さんが遠くに感じる寂しさだけを私に残して終わりました。
(5万人を超える観衆を飲み込んだ矢沢永吉の東京ドームコンサート)
某会もこの夏は大きな変革に見舞われました。
「闘えない」会員が続々と逃げるように離脱していきました。自らを糊塗し見栄を張る事で大きく強く見せてきた人間たちもさすがに2年3年のせめぎ合いの中でメッキも剥がれてきたのでしょう。
「空手」に負けたからではありません。「社会」に負けて彼らは逃げたのです。「空手」で闘う事など「社会の現実」と闘う事に比べたら遊びのようなものです。
「空手の先生、空手のチャンピオンなんて周囲におだてられ天狗になっていても、そんなヤツらは所詮社会の中ではヒヨッコに過ぎん。社会で生きる事がどれだけ苦しく辛いか!? 漁師さんやそこのラーメン屋さんの方が空手家なんかよりずっと社会と闘ってきた強者ばかりじゃけえ」
芦原英幸の言葉はまさに真を突いています。
その「社会」の中での闘いに負け、または闘う事すら放棄し、ひたすら言い訳と見栄だけで弱い弱い自分を偽ってきた数人の脱落者たち…。
苦しければ「苦しい」と言えばよかった。辛ければ「辛い!」と泣けばよかったのです。喜びも辛さも、更には怒りさえも分かち合う…それが本音の付き合いを重んじる某会の絆であり義兄弟ではないのか!?
しかし、「去る者あれば来る者あり…」とも言います。否、逃げる者あれば挑む者もいます。某会は予想以上に多くの新会員を迎え、「新生某会」として更なる結束力を持つ組織として動き出そうとしています。
「大山倍達の遺言」は基本的に殆ど完成状態にあります。
しかし、この夏はどうしても動けない事情がありました。また、可能なだけ「事実」の確証をより明らかにしたい…。
上を見たらキリがないのですが最後の最後まで私たちは「事実」の追求に足掻き続けていきたいと願いました。それ故に「動けない」事もあるのです。
「動けない」理由はそれだけではありません。ただ現在の出版不況の荒波を乗り越える為、(株)夢現の業務に副代表は専念し、私も隠居然としながらもYの采配を見守らなければならない緊張感故といった現実的な理由も小さくありませんでした。
しかし前記したように、(株)夢現はYの八面六臂の活躍で何とか昨年夏以来の危機を脱出しつつあります。
来年春、大山総裁の17回忌には「大山倍達の遺言」が全国の書店に並ぶでしょう。
約束します。
そして私たちは…、次の挑戦に旅立つのです。
恒例の沖縄滞在についても触れない訳にはいかないでしょう。
毎年夏の終わりは沖縄で送るのが私と倅の慣例です。普通は2週間なのですが、今年は事情があって9日間の滞在でした。
この数年、沖縄滞在は何故か縁起が悪く、必ず何かしらのトラブルに見舞われてきました。当然、バカンスどころかリラックスなんて出来る状況ではない深刻な空気の中で沖縄での時間を無聊に過ごす事が当たり前のようになっていたのです。
今年こそは!!
そんな想いで行った今年の沖縄でしたが…またつまらぬトラブルに悩まされてしまいました。
私は沖縄の風土、ウチナンチューと自称する沖縄の人たちが大好きなのですが、来年はゲン治しに沖縄を避け、最近行ってないハワイで晩夏を過ごそうかな!? 飛行機嫌いが治りかけている私は、そんな事を思ったりしています。
(何故か寂しさが漂う晩夏の那覇)
そんな私の夏でした。
(了)
「闘えない」会員が続々と逃げるように離脱していきました。自らを糊塗し見栄を張る事で大きく強く見せてきた人間たちもさすがに2年3年のせめぎ合いの中でメッキも剥がれてきたのでしょう。
「空手」に負けたからではありません。「社会」に負けて彼らは逃げたのです。「空手」で闘う事など「社会の現実」と闘う事に比べたら遊びのようなものです。
「空手の先生、空手のチャンピオンなんて周囲におだてられ天狗になっていても、そんなヤツらは所詮社会の中ではヒヨッコに過ぎん。社会で生きる事がどれだけ苦しく辛いか!? 漁師さんやそこのラーメン屋さんの方が空手家なんかよりずっと社会と闘ってきた強者ばかりじゃけえ」
芦原英幸の言葉はまさに真を突いています。
その「社会」の中での闘いに負け、または闘う事すら放棄し、ひたすら言い訳と見栄だけで弱い弱い自分を偽ってきた数人の脱落者たち…。
苦しければ「苦しい」と言えばよかった。辛ければ「辛い!」と泣けばよかったのです。喜びも辛さも、更には怒りさえも分かち合う…それが本音の付き合いを重んじる某会の絆であり義兄弟ではないのか!?
しかし、「去る者あれば来る者あり…」とも言います。否、逃げる者あれば挑む者もいます。某会は予想以上に多くの新会員を迎え、「新生某会」として更なる結束力を持つ組織として動き出そうとしています。
「大山倍達の遺言」は基本的に殆ど完成状態にあります。
しかし、この夏はどうしても動けない事情がありました。また、可能なだけ「事実」の確証をより明らかにしたい…。
上を見たらキリがないのですが最後の最後まで私たちは「事実」の追求に足掻き続けていきたいと願いました。それ故に「動けない」事もあるのです。
「動けない」理由はそれだけではありません。ただ現在の出版不況の荒波を乗り越える為、(株)夢現の業務に副代表は専念し、私も隠居然としながらもYの采配を見守らなければならない緊張感故といった現実的な理由も小さくありませんでした。
しかし前記したように、(株)夢現はYの八面六臂の活躍で何とか昨年夏以来の危機を脱出しつつあります。
来年春、大山総裁の17回忌には「大山倍達の遺言」が全国の書店に並ぶでしょう。
約束します。
そして私たちは…、次の挑戦に旅立つのです。
恒例の沖縄滞在についても触れない訳にはいかないでしょう。
毎年夏の終わりは沖縄で送るのが私と倅の慣例です。普通は2週間なのですが、今年は事情があって9日間の滞在でした。
この数年、沖縄滞在は何故か縁起が悪く、必ず何かしらのトラブルに見舞われてきました。当然、バカンスどころかリラックスなんて出来る状況ではない深刻な空気の中で沖縄での時間を無聊に過ごす事が当たり前のようになっていたのです。
今年こそは!!
そんな想いで行った今年の沖縄でしたが…またつまらぬトラブルに悩まされてしまいました。
私は沖縄の風土、ウチナンチューと自称する沖縄の人たちが大好きなのですが、来年はゲン治しに沖縄を避け、最近行ってないハワイで晩夏を過ごそうかな!? 飛行機嫌いが治りかけている私は、そんな事を思ったりしています。
(何故か寂しさが漂う晩夏の那覇)
そんな私の夏でした。
(了)