このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
・
mixiやってる方限定
小生の元マイミク「猫遊軒猫八」さんが、唐沢俊一検証コミュニテイを立ち上げました。
興味ある方は、是非参加して下さい。
・
スネーク!
以前、プレステ3を買ったので、12月にFF13が出るまでは、暇つぶしにメタルギアでもやろうかと書きました。実はとっくにクリアしていて、mixiには感想も書いたのですが、連休中に2周目をやり、最初に感じたことが再確認出来たので、それについて書いてみます。
Wikipediaによれば、このゲームの評価は異常に高くて、
日本の『ファミ通』のクロスレビューでは史上8作目の40点満点を獲得、海外の大手ゲーム雑誌のGame Informer、大手ゲームサイトのIGN、GameSpotでも満点を獲得。 ゲーム機関の1UP、GameSpot、PALGNで最優秀賞であるGame of the Yearを獲得、Joystiqでも2008年のナンバーワンゲームに選ばれるなど数々の賞を受賞した。2009年時点で、週刊ファミ通で合計で94部門受賞したと発表された。また当誌で、エンターブレイン社長浜村弘一は、「ゲーマーなら、このゲームをプレイしなければ必ず後悔する。」と称賛している。
なのです。これは期待は高まろうというもの。
結論から述べる。
ナニコレ?
冗長、かつ複雑で悲惨なストーリーを精巧なCGムービーで延々と見せ付けられる。ビッグ・ボス、ビッグ・ママ、ソリダス・スネーク、リキッド・オセロット(リボルバー・オセロットにリキッド・スネークが乗移った)、ゼロ、大佐、愛国者達、アウター・ヘブン、アウター・ヘイブン(ああ、ややこし)といった登場人物、登場組織もムービーで詳細に説明されるのだが、なんだかよく分からない、というか分かった所で「はいはい、だからなんなのよ」といったものなのだ。小島秀夫は律儀な人間で、ユーザーに対し、たとえ1%でも不明の点を残しては申し訳ないと思ったのか、この説明のしつこく面倒なこと。かといってSkipしたりすると、もう本当に分からなくなってくる(一応説明すると、ビッグ・ボスは“メタルギア・ソリッド3”のネイキッド・スネーク、同じくビッグ・ママはEVA(!)のなれの果て)。
こうした構成なので、我慢してムービーにお付き合いすると、ご褒美に5分間程度のミニゲームをやらせてもらえるという印象になってしまう。ミニゲームはいいから、はやく本来のゲームがやりたいよう、と思っているうちに、実はもう半分以上進んでいることに気付く。この喪失感は大きいなあ。
市街戦で、歩行戦車“月光”が歩きまわっている世界。こんなところで、律儀にCQCを使ったり、隠れたりなんかしていられない。走って迂回して、邪魔な敵は撃ち殺す。そもそも隠れようにも、オクトカムという迷彩装置がなんとも中途半端で意味がないよな。だって、ステルス迷彩ってものがあるのにさ。
途中から、「武器洗浄屋」ドレビンなる黒人が登場する。いわゆる武器屋(ドレビンショップ)ね。こいつが野原ヒロシの声で、延々とショップの仕組みを紹介するムービーが、また長いこと長いこと。しかも、これ以降、常にドレビンショップにアクセスが可能なので弾薬の補給は「戦闘中でも可能」という緊張感のなさ(ノーマルレベルでやっとりました)。
で、あのメリルが登場するのだ。目鼻がちゃんとあるメリル。これがイメージと大分違うんだが、これは個人的な問題。メリルが出てきたというので、これに合せるかのように、ラフィング・オクトパス、レイジング・レイヴン、クライング・ウルフ、スクリーミング・マンティスといったかつての“メタルギア”の敵役を思わせる面々が登場するのだが、こいつらは全員女で、しかも戦いに敗れた後にも、戦闘服を脱ぎ捨ててゾンビのように(ビューティというのだと)襲い掛かってくる。こいつらを殺さずに自然死させると、フェイスカムという、変装用のツールが手に入るのだが……。こんなもん装着しても気持ち悪いだけでなんの役にも立たない。
そして、後半のクライマックス、リキッドの潜水艦に乗り込み、スクリーミング・マンティスを倒した後(サイコ・マンティスが登場し、予想した通りの寒いギャグをかましてくれるが)、いきなりラブストーリーは展開するわ、スネークは気力だけで生き延びるわ、最後の戦いは爺同士の殴り合いかよ、だわ。アンチクライマックスの総動員。それから、それから延々とムービーが続き、出演者のタイトルが出た後、さらに長い長いムービーが……。
この話が、最後まですっきりしないのは、主人公のスネークが、ホックスダイのウィルスのせいで、老化がどんどん進んで爺になってしまい、老衰死まで後数ヶ月という設定であることなのだ。スネークがヨレヨレでは見ていて痛ましいし、オセロットも爺、ビッグ・ママ(EVA)も八十過ぎ、ビッグ・ボスも瀕死の老人、ゼロは100歳越えで車椅子。では見ていて暗鬱な気分になってしまう。
ラストは、爺3人が墓地で延々と人生の悲哀を語り、オシマイ。
はやく、FF13やりてー!
『メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』KONAMI 2008
・
話題沸騰中ですよね
唐沢俊一検証blogで盛り上がっている話題なんで、皆様既にご存知かと思いますが、コメント欄に地方ではなかなか手に入れにくい雑誌云々とお書きになっていた方もいたので、ここに全文を引用いたします。
『映画秘宝 11月号』(洋泉社)
オタク文化人の化けの皮をはがす執念の調査
『唐沢俊一検証本 VOL.1 盗用編』
執筆・編集 kensyouhan
1000円(税込み)タコシェ店頭&ウエブショップで絶賛発売中
世間的には『トリビア泉』のスーパーバイザーとして成功を収めた人、もしくは岡田斗司夫とのオタク漫才や村崎百郎との鬼畜漫才でブイブイ言っている文化人として認知されている唐沢俊一が、新書『新・UFO入門』の中で山川惣治の絵物語を紹介したくだりで、他人のブログの内容をパクッていたことが判明、騒ぎになったことは記憶に新しい。事件はそれだけにとどまらず、他の雑誌連載にもウェブ上の記事のパクリがあったことが発見され、ライターとして如何なものかという論議にまで発展している。その中でも熱心に唐沢俊一の言動をチェックし、その真偽を確かめ、過去にまで遡ってその行動を検証しまくる圧倒的なブログ「唐沢俊一検証blog」(http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/)が自らの活動をまとめたのがこの本。内容としては、『新・UFO入門』騒動の研究、トリビア本にもあったパクリと、容赦なしの調査の記録。その熱意たるや、世の中にこれ以上の唐沢俊一研究者は他にいないと断言して間違いない。中野の特殊書店タコシェでは『IQ84』を抑えてベストセラー驀進中なのだ! (田)(P.103)
『映画秘宝』 11月号 洋泉社
・
なにがカルトかよ
唐沢俊一検証blogのコメント欄に凄いことが書いてあると聞いて早速覗いてみた。2009-8-10の「唐沢俊一の処分および処分撤回問題」・その4に宛てた、SerpentiNagaというblog主催者のからのものだった。正確を期すために原本(横田順彌『古本探偵の冒険』学陽文庫)の解説から引用する。
(註:横田順彌の著作を読んだ唐沢は)古書集めはこんなに知的な作業だったのか、と僕は興奮し、胸をときめかせた。同じころ、同じようにこのエッセイを読み、胸をときめかせた人物にと学会の藤倉珊がいる。後年僕と彼が出会って、「と学会」を旗揚げするのは、高校生の頃、同じく横田さんの文章を読んでいたことが縁だったのだ(太字は引用者による)。(P.306)
唐沢は文庫化する際に、知的財産権をかっぱらうという性癖があるのだが、これまで何度も語られている、「と学会」創設のいきさつまで改竄して、志水一夫や山本弘の功績まで横取りしようとしたようだ。と学会の創設は、唐沢本人が、志水一夫の訃報に接してこう書いているのに。
彼(註:志水一夫)が山本弘と藤倉珊の2人の、それぞれの同人誌を読んで引き合わせたことで歴史的な化学反応が起り、と学会の創設につながったというのは本人もあちこちで書いていて有名なエピソードです
『古本探偵の冒険』は1992年本の雑誌社から上梓された『探書記』の文庫版で1998年初版。うーん、10年以上もこの大嘘を見逃していたのか。唐沢のような輩がのさばるのも分らんでもない。
いやね。久しぶりに『探書記』に手を伸ばしたのがきっかけで、横田順彌の本を読み直してみたんだが。『明治ワンダー科学館』『明治ふしぎ写真館』『古書ワンダーランド 1』『古書ワンダーランド 2』『快男児押川春浪 日本SFの祖』『明治バンカラ快人伝』そして、嗚呼懐かしや『日本SFこてん古典 1〜3』……。
読んだ感想を正直に申し上げる。面白くない。いや、著者が一冊の本を読んで感じた疑問を解決するためまた別の本を漁り、全く関係がないと思われていた事象が一本の線で結ばれ、新たな地平を築いていく件は非常に面白いのだ。問題は、そうして集めてきた貴重な資料をもとに、一つのストーリーが書かれてもいいと思うのだが、横田は資料を集めたことに満足して、思考を停止させてしまうのだ。本来SF作家である横田は、その資料を基に小説を書いているのだから、文句を言われる筋合いはないのかも知れないが、「古書を探索する」という行為が突然ぶった斬られて、後は小説でお読み下さいというのは、いかにも残念なのだなあ。それに、これは全く個人的な好き嫌いの問題なのだが、おれは横田の明治ネタ小説が全く駄目なのだ。古書探索から滲み出てくる面白さが全然活きていない。はっきりいってつまらない。
横順のエッセイを総て(蔵書の)読み終えると、おれの書棚では出久根達郎の著作が並んでいる。で、これを読み返しているんだけど、こいつはすこぶるつきに面白い。書籍に対する教養が桁外れに物凄いのだ。
例えば"饅頭本"に対して。"饅頭本"とは葬式で葬式饅頭代わりに配られる、故人の文章や俳句、詩、友人による追悼文などを纏めた本のこと。市井の無名人のそれは古本屋の店頭で100円均一で売られている。しかし、それを購った出久根は、その中に登場する人物名の中に、有名人、著名人を見つけ、故人との関係を探求していくのだ。この過程は極めれスリリングだが、これも総て、著者の恐るべき教養を以ってから可能な業なんだろう。
そうした、出久根達郎の著作の一つ。『人は地上にあり』の中の一節。
唐沢俊一『カルトな本棚』(同文書院)は、「平成の世のカルトな人々をチョイスして、その人々の本棚をのぞかせてもらい、また、本集め、読書法、そして読書遍歴のことなどを、語ってもらったものである」。
従って特殊な本棚ばかりだが、「カルトな人々」とは次の通り。肩書きは本書による。
山本弘(「と学会」会長)、睦月影郎(ポルノ作家)、串間努(日曜研究家)、立川談之助(落語家)、佐川一政(作家)、奥平広康(危険物コレクター)、唐沢なをき(漫画家)、竹熊健太郎(編集家。注・編集者ではなく、編集家とある)、唐沢俊一(カルト評論家)。以上九人の書棚が、カラーとモノクロ写真で紹介されている。
古本屋の私から見ると、別に面白いとも奇妙とも感じないが、普通の読者はどうなのだろう。(P.73「本棚公開」)
唐沢にしてみれば、身内を掻き集めて、どうだと見栄を切ったつもりなんだろうが、プロから見れば児戯に等しいということなんだろうね。
「カルトな人々」の本棚は、しかし、ごく普通である。当たり前の本であり、当たり前の並べ方である。持ちぬしの独持の体系は、頭の中にある、ということらしい。(P.74「本棚公開」)
唐沢は「精神的に破産しかかった」とか「完全に病気だ」と大はしゃぎしているのだが、出久根達郎から見たら、馬鹿など素人がなに言ってやがんだってところなんだろうなあ。
『人は地上にあり』 出久根達郎 文春文庫 2002
・
西部劇!!
やっと見てきましたよ。一部では大好評の西部劇、『3時10分、決断のとき』。おれはラッセル・クロウという俳優の良さが全然分からない人間でね。『グラディエーター』という暗~い映画でアカデミー賞獲ったときだって、全然感動しなかったしね。でも、今回は良かったなあ。童顔のデブが、あれほど冷酷で恐ろしいギャングを演じてしまうのだから、演技力という魔法は確かに存在するのだな。
すかっと明るい西部劇って奴は、もう二度と作れないんじゃないかと思ったのは、イーストウッドの『許されざる者』を見たときのことだが(作品的には大傑作だと思うけど)、今回もすかっと明るいお話ではなかった。本作は、1957年制作のデルマー・デイビス監督『決断の3時10分』のリメイクなんだとか。無知なもんでオリジナルを知らなかった。原作は、あの、エルモア・レナード。だから、ストーリーとすればよくあるお話。ギャングのボスを3時10分発、刑務所行きの列車に乗せられるか否かという定番だ。護送する側とボスを取り戻そうとする側の、激突を描いている。ボスのベン・ウッドは当然、ラッセル・クロウ、護送側についた義足の牧場主ダンがクリスチャン・ベイルという渋いキャスティング。しかも、脇役が凄い。ベンを討伐しようと執拗に追跡するピンカートン探偵社の追っ手、バイロン・マッケルロイ、演じるはピーター・フォンダ。アパッチの村を襲い、女子供年寄り、見境なく32人を皆殺しにした非情な男。これがまさに適役で、他者のキャスティングはちょっと考えられない。さらに、ベンの一の子分、冷酷無比なチャーリー・プリンスを演じるベン・フォスターがいい。なまっちろい優男なのに、発せられるビリビリとした殺気は見ていて肌が痛くなりそうなほど。余談だが、この役、日本でリメイクされたなら、是非中居正広に演じてもらいたいなあ。
久々に西部劇を堪能しました。本年の洋画、『グラントリノ』に次ぐ感動です。
それにしても、なんだって新宿ピカデリーでしか上映されていないのかね(明日から、ユナイテッド・シネマ豊洲でも公開されるそうだが)。
熟年の皆様にお薦めです。
・
ここに集う人は幸せだ
年に何回かのお愉しみ。新刊書となると、「と学会」の糞本とは訣別したし、VOWは往年のパワーがない。大藪春彦の新刊書など望むべくも非ず、筒井康隆、島田荘司を待ちわびるのみ。
マンガだと、『リアル』『バガボンド』『ちはやふる』『酒のほそ道』ときて、本書『深夜食堂』となるんであります。
作者、安倍夜郎さんはマイミクであるとともに、実は同業者。以前何回か書いたけど、仕事の現場ではなんどもすれ違っている。いや、ご一緒しなかったのが奇跡、というくらいすぐ傍にいたのです。共通の友人も数多いし。
『深夜食堂』はビックコミックオリジナルに連載中のマンガで、なんかグルメ物とかほのぼの物(癒し系)って感じだけど、リアルな現実に翻弄される等身大の登場人物を描いていて、なかなかしたたかな(嫌な言葉?)作品に仕上がっている。
前歴不明のマスター(アウトローの雰囲気漂っているが)が、説教がましいことも言わず、薀蓄垂れることもなく、それでもビーフストロガノフなんて注文には、料理書を見ながら作成するなんてやる気を見せるあたりが、昨今鬱陶しいグルメマンガとは一線を画しているところなんだが。この第④巻には気になる描写があるんですよねえ。
結婚相手3人にいずれも先立たれている美人の歯科医五月女先生。殺しても死なないような格闘家と4度目の結婚をしたのだが……
「私、一生結婚しないことにしたの……
もうこんなこと耐えられないもん…
ねえ、マスター………なんで結婚しないの?」
「………
五月女先生と同じ理由かなぁ」
常日頃、客とは積極的にからまなかったマスターが…。
ヲイヲイ、そりゃないだろ、とちょっと羨ましがってしまう私なのでありました。
チクショー!
『深夜食堂 ④』 安倍夜郎 小学館 2009
・
オールタイム・ベストワン
すべてのオタクは作家になれるだとか、ベストセラーの書き方とか、糞のようなハウツー本数多あるなか、これを超えるものはまだ出ない、というか未来永劫出ないだろうな。
著者は百々由紀男(どどゆきお):1929生れ。地上文学賞(家の光)、小説クラブ新人賞入賞(受賞ではないようだ)。経済ビジネス評論分野で大活躍の方であるらしい。
その著作がコレだ。
自分でとれ!
そういう突込みが一斉に入ったと思う。
『芥川直木賞のとり方』 百々由紀男 ブック・クラブ 1993
・
唐沢ネタは“パクリ”に絞ると宣言したが、あんまり面白いので。
唐沢は16日のコミケを途中で抜け出して、大阪トリイホールで開催された、快楽亭ブラックが主催する「カルト寄席2」に出演した。その模様は16日の裏モノ日記で自画自賛されているのだが。
その後が私で、トンデモ本大賞でもやったネタの拡大バージョン。 いやあ、心配していたが受けた受けた。お客さん、いちいち解説のたびに大爆笑。マイミクえべーさん、ブルちゃんさん。えふてぃーえるさん、ピカード艦長さんなどがいたが、この濃いメンツの出演者のトリに出るという大役にちょっとドキドキしていたのだが、無事、務められてホッとする。~中略~ブルちゃんさんら、お客さんたちもみな“いや、凄いネタだった”と言ってくれ、嬉しかった。もっとも、他の会じゃ出来ない。
「受けた受けた」お客さん、いちいち解説のたびに「大爆笑」だったそうだ。さて、この日の状況を、当事者である快楽亭ブラックは、快楽亭ブラックの出直しブログでこう描写している。
トリは唐沢俊一先生のオナニーの噺。前回のカルト寄席に比べるとまるで盛り上がらず、おまけに赤字で持ち出しなのが腹立たしい。お客さんが満足してくれれば赤字でも良いのだが…
まるで盛り上がらず、おまけに赤字で持ち出しなのが腹立たしい。
ははははははは、唐沢先生、大嘘を書いているわけですね。どうせばれやしないだろうと、びくびくしながらの自画自賛、微笑ましいですなあ。ブラック師匠は、ギャラを払うのも忌々しいって感じですねえ。
裏モノ日記にはこんな記述も。
Kさんから思いもよらぬプレゼントいただく。ギャラいただいたよりも、いや、ギャラをいただくのは嬉しいがそれとはまた別の(笑)大喜び。
ギャラ払うのやめたら?
・
知りもしない人のことを語る
「現代生活のバイブル」季節風書房1958年8月号『薫風に誘われたグラマーガール』という記事の中の22ページに書かれている文章を全文引用してみる。
実は筆者(唐沢)の知人の父親が、やはりヘリコプター事故で亡くなっている。彼は取材カメラマンだったが、ヘリコプターで取材に行き、もちろん機内にいはしたのだが、地上の撮影にあまりに熱中して身を乗り出しすぎて、そのまま地上へと落下した。このときのヘリコプターは4人乗りで、もう一人乗っていたカメラマンがあわててシャッターを切ったため、彼の人生最後の写真(頭を下にして落下していく写真)が棺の上に飾られたという。いや、笑いごとではない、このモデルもそうなっておかしくない状況だったのだ。
ところで、撮影した山田照夫氏は本職はヌードではなく、まっとうな航空写真家としてその後、日本有数の人となる。昭和54年には中公新書から『空飛ぶカメラマン/わたしの仕事史』という本を出している。あるとき古書市で見つけてさっそく購入、期待して読んでみたが、氏にとってこの撮影はキャリアから消したい仕事だったらしく
「私はかつて空中ヌード撮影だって決行した男だ」
という一文だけで、そのときの状況は何も記してくれていなかった、残念。
やはりヘリコプター事故で亡くなっていると書かれているが、この文章の前には事故で亡くなった人のことは全く書かれていない。いや、説明不足でちょっと分りにくいかも知れないな。唐沢が指摘しているのは、カメラマンの山田氏は、機が二人乗りの小型だったため、ヘリの外に掴って撮影を挙行し、モデルの神代マリは命綱もつけずに機外に身を乗り出すという、危険な撮影だったということなのだ。二人とも着陸後はついにご両人病臥、という涙ぐましきエピローグとはあいなったのですと書かれている。
唐沢は多分、『空飛ぶカメラマン/わたしの仕事史』を読んで、山田氏を航空写真の第一人者と書いたのだろう。しかし、それ以上のことはご存じないようだ。
1981年、山田照夫氏はヘリコプターでの撮影中、墜死している。享年73.