2009.09.24
【改訂新版】盧山初雄と松井章圭/虚勢・アピール・逃亡…
私は虚勢を張ったり自己アピールをする人間が大嫌いです。
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
松井章圭と盧山初雄も同様です。まさに質実剛健、「漢」そのままの人物です。
現在、この2人が袂を分かってしまった事があまりに私には残念でなりません。ただ、この件はここでは触れません。「大山倍達の遺言」にてあくまで客観性に則り詳細に触れる予定です。
極真会館の分裂騒動以来、松井を<厚顔無恥><独裁者>などと揶揄する人間が腐るほどいます。結局、松井を否定・批判しながら実は松井に嫉妬し、彼の<強さ>に怯み、たじろいでいるだけなのです。
たしかに松井章圭の精神的な強さ・覚悟は現在の空手界随一と断言してもいいでしょう。松井に対抗出来る存在と言えば、唯一、盧山初雄しか私には思い浮かびません。
松井章圭といえば、選手時代は「極真空手の貴公子」と呼ばれ、クリーンなイメージが浸透していました。およそ「不良」などとは程遠い存在だったと言えます。しかし、それは自らの武勇伝を一切口にしなかったからに過ぎません。「素顔」の松井はガキの頃から「修羅場」を幾度も潜ってきた苦労人でした。
しかし、松井はそんな自分を決してアピールしてきませんでした。極真会館館長である現在、役職上<強いリーダー>を演じなくてはならない時もあるでしょう。執務中、頭の回転の早い松井の指示についていけず幾度も松井から罵声を浴びる職員や内弟子は後を絶ちません。そんな時の松井は<キツい上司>そのものです。しかし、それと同じ風景は我が夢現舎でも日常茶飯事です。
普段の松井の態度は常に自然体です。自然体ではあるものの、一切の隙がなく常に彼の周囲にはある種の<オーラ>が漂っています。私はあまりに彼と親しくしてきたからか、そんな<特別>な松井章圭を実感した事はありませんでした。ただ松井を知る殆どの人間がそう口を揃えます。
先日、私が主宰する某会の総会稽古・講習会に、あくまでプライベート、私人という立場ながら松井が臨席してくれました。普段は「悪友」としか見ていなかった松井の前で、合気柔術の組手を演じながら、私は初めて松井が放つ後光を感じました。彼の視線に晒されて、私は頭が真っ白に固まってしまった程でした。これがひとつの道を極めた者の強さかも知れないと痛感した次第です。
ある時、私は仕事に限界を感じ、ペライベートのイザコザやトラブルの連続に疲れ切り、つい松井に弱音を吐いてしまいました。すると松井は怒ったように私に言いました。
「僕は強くなんかない。弱い人間です。でも弱い自分が嫌だから、嫌で仕方がないから強くあろうと精一杯努力しているんです。自分が守らなければならないもの、愛する人であったり、命を懸けてでも守らなければならない。だから強くありたい、絶対、弱みを見せない。努力して強くあろうと頑張っているんです。逃げるのは誰でもできますよ、逃げないで踏ん張るしかないんです。僕は弱いコジマさんは嫌いです」
私は松井の言葉にとてつもない衝撃を受けました。たしかに最初から強い人間などいないのかもしれません。でも、松井章圭だけは別だと思っていました。
しかし松井も普通の人間だったのです。誰もがそうであるように、元々弱い人間だからこそ、強くあろうともがいて生きてきたのです。もがいてもがいて…だから絶対に松井は何に対しても逃げなかったのです。
ちなみに、あの醜いばかりの極真会館分裂騒動…。
圧倒的な数を擁する「反松井派」から見るに絶えない嫌悪感や不快感をぶつけられながら、松井は決して感情で応ぜず、冷静に対抗し続けました。
ただ唯一、苦境に立つ松井を体を張って守り抜いた真の空手家は盧山初雄だけでした。
本当に強い人間は虚勢を張る事を嫌います。アピールもしません。時には謙虚過ぎるほど、頭を低く垂れる事も厭いません。かといって、誰も舐めたりできない<威圧感>が周囲に漂っているものです。
ギスギスした威圧感ではなく眩しいほどに慈愛に溢れ…それを陳腐ないい方で表現すれば<オーラ>があるということになるのでしょう。
本当の強さとは、松井章圭や盧山初雄が持つ、そういうものだと私は信じています。
あの…芦原英幸もそんな強い男でした。
(了)
現在、この2人が袂を分かってしまった事があまりに私には残念でなりません。ただ、この件はここでは触れません。「大山倍達の遺言」にてあくまで客観性に則り詳細に触れる予定です。
極真会館の分裂騒動以来、松井を<厚顔無恥><独裁者>などと揶揄する人間が腐るほどいます。結局、松井を否定・批判しながら実は松井に嫉妬し、彼の<強さ>に怯み、たじろいでいるだけなのです。
たしかに松井章圭の精神的な強さ・覚悟は現在の空手界随一と断言してもいいでしょう。松井に対抗出来る存在と言えば、唯一、盧山初雄しか私には思い浮かびません。
松井章圭といえば、選手時代は「極真空手の貴公子」と呼ばれ、クリーンなイメージが浸透していました。およそ「不良」などとは程遠い存在だったと言えます。しかし、それは自らの武勇伝を一切口にしなかったからに過ぎません。「素顔」の松井はガキの頃から「修羅場」を幾度も潜ってきた苦労人でした。
しかし、松井はそんな自分を決してアピールしてきませんでした。極真会館館長である現在、役職上<強いリーダー>を演じなくてはならない時もあるでしょう。執務中、頭の回転の早い松井の指示についていけず幾度も松井から罵声を浴びる職員や内弟子は後を絶ちません。そんな時の松井は<キツい上司>そのものです。しかし、それと同じ風景は我が夢現舎でも日常茶飯事です。
普段の松井の態度は常に自然体です。自然体ではあるものの、一切の隙がなく常に彼の周囲にはある種の<オーラ>が漂っています。私はあまりに彼と親しくしてきたからか、そんな<特別>な松井章圭を実感した事はありませんでした。ただ松井を知る殆どの人間がそう口を揃えます。
先日、私が主宰する某会の総会稽古・講習会に、あくまでプライベート、私人という立場ながら松井が臨席してくれました。普段は「悪友」としか見ていなかった松井の前で、合気柔術の組手を演じながら、私は初めて松井が放つ後光を感じました。彼の視線に晒されて、私は頭が真っ白に固まってしまった程でした。これがひとつの道を極めた者の強さかも知れないと痛感した次第です。
ある時、私は仕事に限界を感じ、ペライベートのイザコザやトラブルの連続に疲れ切り、つい松井に弱音を吐いてしまいました。すると松井は怒ったように私に言いました。
「僕は強くなんかない。弱い人間です。でも弱い自分が嫌だから、嫌で仕方がないから強くあろうと精一杯努力しているんです。自分が守らなければならないもの、愛する人であったり、命を懸けてでも守らなければならない。だから強くありたい、絶対、弱みを見せない。努力して強くあろうと頑張っているんです。逃げるのは誰でもできますよ、逃げないで踏ん張るしかないんです。僕は弱いコジマさんは嫌いです」
私は松井の言葉にとてつもない衝撃を受けました。たしかに最初から強い人間などいないのかもしれません。でも、松井章圭だけは別だと思っていました。
しかし松井も普通の人間だったのです。誰もがそうであるように、元々弱い人間だからこそ、強くあろうともがいて生きてきたのです。もがいてもがいて…だから絶対に松井は何に対しても逃げなかったのです。
ちなみに、あの醜いばかりの極真会館分裂騒動…。
圧倒的な数を擁する「反松井派」から見るに絶えない嫌悪感や不快感をぶつけられながら、松井は決して感情で応ぜず、冷静に対抗し続けました。
ただ唯一、苦境に立つ松井を体を張って守り抜いた真の空手家は盧山初雄だけでした。
本当に強い人間は虚勢を張る事を嫌います。アピールもしません。時には謙虚過ぎるほど、頭を低く垂れる事も厭いません。かといって、誰も舐めたりできない<威圧感>が周囲に漂っているものです。
ギスギスした威圧感ではなく眩しいほどに慈愛に溢れ…それを陳腐ないい方で表現すれば<オーラ>があるということになるのでしょう。
本当の強さとは、松井章圭や盧山初雄が持つ、そういうものだと私は信じています。
あの…芦原英幸もそんな強い男でした。
(了)