2009.09.26
【ファイト!!】力なき正義は無能なり=ブログのメインテーマ・コラム
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…
中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」
いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。
「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。
不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。
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ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…
中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」
いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。
「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。
不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。
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2009.09.24
【改訂新版】盧山初雄と松井章圭/強さや個性が敵を作る矛盾
盧山初雄という人間を改めて「武道家」として、また「組織の長」として好きになりました。というより敬愛したというのが正しい感情かもしれません。
正直言って極真会館時代(大山倍達の存命中から)の盧山には「破天荒」というか気儘な印象が強くありました。決して悪い意味ではありません。組織という鎖に縛られず自らの信念や正論に自由に従うおおらかさと言ってもいいでしょう。しかし時にそれは組織内に於て異端と見なされる事にもなり兼ねません。
私はここで、盧山が松井極真体制から離れた背景に触れるつもりなどありません。あくまでも「人間」としての盧山初雄に対して抱いた印象を私は語っているのです。
ただ自由奔放は時に正義にも悪にもなる事を忘れてはならないでしょう。
人間の「個性」とはそんなものだと私は思っています。
例えば私が「好む」松井章圭の個性が、別な視点から見る人間には「好まざる」ものになるように…。私の立場から見れば松井の個性も好きだし、異種ながら盧山の個性も好きだという事に過ぎません。同時に逆の評価もあるという事なのです。
先日も私は松井にたしなめられました。もう何度目か分かりません。
「コジマさんの影響力は大きいからこそコジマさんを支持する人間だけじゃなくコジマさんが嫌いだという敵もいる事を忘れてはいけないですよ」
私は松井に「館長も同じでしょう」と減らず口を叩きはしましたが、松井の言葉はまさに真理です。
同じ人間に対しても、その個性が強ければ強い程、味方も敵も増える。否、敵の方が圧倒的に多くなるのが現実なのです。
私は盧山初雄の潔さが好きです。
繰り返しますが、長い間、私は盧山に対して、気楽さ、奔放さ、豪胆さのイメージしか持ってきませんでした。あくまで「組織」というシガラミの中にあっての盧山に対する印象です。武道家としての盧山には良くも悪くも「古式」に恭順な、また自らの信念に忠実かつストイックな求道者として憧れてきた事は言うまでもありません。
あくまで「組織人」としての盧山が有する奔放さや豪胆さが、ある面から我儘さ、無責任に映る事も少なくなかったと感じます。しかし、盧山は自らが主宰する極真館の長(館長)に就いて以来、大きく変わったと私は思いました。四苦八苦しながらも…。
思えば1995年前後に勃発した極真会館分裂騒動は筆舌に尽くせない程に酷いものでした。人間の持つ欲望、嫉妬、打算…全ての醜さが渦を巻いて嵐になって吹き荒れました。
その渦中にあって松井章圭は一歩も退かず、決して逃げませんでした。そんな「強さ」に私は惹かれたのです。また盧山もまた、身を棄てて松井の盾になり続けました。
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正直言って極真会館時代(大山倍達の存命中から)の盧山には「破天荒」というか気儘な印象が強くありました。決して悪い意味ではありません。組織という鎖に縛られず自らの信念や正論に自由に従うおおらかさと言ってもいいでしょう。しかし時にそれは組織内に於て異端と見なされる事にもなり兼ねません。
私はここで、盧山が松井極真体制から離れた背景に触れるつもりなどありません。あくまでも「人間」としての盧山初雄に対して抱いた印象を私は語っているのです。
ただ自由奔放は時に正義にも悪にもなる事を忘れてはならないでしょう。
人間の「個性」とはそんなものだと私は思っています。
例えば私が「好む」松井章圭の個性が、別な視点から見る人間には「好まざる」ものになるように…。私の立場から見れば松井の個性も好きだし、異種ながら盧山の個性も好きだという事に過ぎません。同時に逆の評価もあるという事なのです。
先日も私は松井にたしなめられました。もう何度目か分かりません。
「コジマさんの影響力は大きいからこそコジマさんを支持する人間だけじゃなくコジマさんが嫌いだという敵もいる事を忘れてはいけないですよ」
私は松井に「館長も同じでしょう」と減らず口を叩きはしましたが、松井の言葉はまさに真理です。
同じ人間に対しても、その個性が強ければ強い程、味方も敵も増える。否、敵の方が圧倒的に多くなるのが現実なのです。
私は盧山初雄の潔さが好きです。
繰り返しますが、長い間、私は盧山に対して、気楽さ、奔放さ、豪胆さのイメージしか持ってきませんでした。あくまで「組織」というシガラミの中にあっての盧山に対する印象です。武道家としての盧山には良くも悪くも「古式」に恭順な、また自らの信念に忠実かつストイックな求道者として憧れてきた事は言うまでもありません。
あくまで「組織人」としての盧山が有する奔放さや豪胆さが、ある面から我儘さ、無責任に映る事も少なくなかったと感じます。しかし、盧山は自らが主宰する極真館の長(館長)に就いて以来、大きく変わったと私は思いました。四苦八苦しながらも…。
思えば1995年前後に勃発した極真会館分裂騒動は筆舌に尽くせない程に酷いものでした。人間の持つ欲望、嫉妬、打算…全ての醜さが渦を巻いて嵐になって吹き荒れました。
その渦中にあって松井章圭は一歩も退かず、決して逃げませんでした。そんな「強さ」に私は惹かれたのです。また盧山もまた、身を棄てて松井の盾になり続けました。
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【改訂新版】盧山初雄と松井章圭/虚勢・アピール・逃亡…
私は虚勢を張ったり自己アピールをする人間が大嫌いです。
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
続きを読む
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
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2009.09.23
【新版】吉田拓郎が教えてくれた…
あの日の君はとても
コワイ顔をしていました
だけど僕も一歩だって
引き下がるつもりはありません
時間ばかりが沈黙の中で
進んでいくような
それでも結局お互いに
納得は出来ないままで
女と男とは
違う生きものなんだと言いきかせて
黙り込んだままそっぽを向いて
寝るしかなかったのです
深夜になって僕は
そっと起きて水割りを作ってみました
一人で色々考えてみたけど
やっぱり結論は出ないままで
君はその頃寝たふりをしながら
くやしさいっぱいの気持ちで
「どうしてこの男と一緒にいるんだろう」と
考えていた事でしょう
あれからずいぶん時も過ぎ
考え方も変わってきたようだけど
君には君の 僕には僕の
越えられないものがある
昔と何が違うんだろう
年を重ねるって何だろう
人はそんなに変わらないだろう
僕は君の事が好きだから
君とこのままがいいんです
君も僕以外の男は無理でしょう
二人とも欠点が多くて
誇れるものは少ないけれど
お互いの事は二人が
一番良く知っているわけだから
いっぱいの問題を抱えながら
僕たちはこれからもずっと
危なっかしいけどそれなりの
人生を続けて行きましょう
(作詞・作曲/吉田拓郎・「今は恋とは言わない」)
吉田拓郎は今年、60歳を幾つか越えました。たしか63でしょうか…。その生き方は破天荒そのままでした。
1970年代初期、私が中学に入ってまもない頃です。彗星の如く音楽sceneに現れて、しかしTV嫌いでTVには殆ど出ず、AMラジオが彼らフォークシンガーの砦でした。なのに突然、当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」に登場したかと思えば、他の歌手が1曲それも1コーラスを省いた持ち時間しか貰えない中で拓郎だけノウノウと48分枠のうち何と15分も番組を占拠してフルコーラスで3曲(2曲という説もありますが私の記憶では3曲です)も唄い続けるという無茶苦茶ぶり。それも折角の番組専属バックバンドを無視して持参したギターとブルースハープだけでガナるように唄っては、愛想笑い1つ見せないまま不機嫌そうに姿を消していったものでした。
童顔と長髪の優男にも拘わらず、常に世間や業界に対して挑戦的に憎まれ口を叩き、「俺はLoveーSongしか唄わない」と啖呵を切りつつも、その歌は実に身近な人生の悲しみや寂しさ、強がりや弱さを秘めた繊細な情緒に溢れていたものです。
私生活では毎日のように殴り合いのケンカ沙汰が絶えませんでした。生来のケンカ好きで相手が何人いようと自分からケンカを売ってはタックルを仕掛けてガムシャラにパンチの連打連打がお決まりのパターンだったとか。当然、全戦全勝とはいかず勝率6割程度。四角佳子との結婚の引き金になったケンカでは、他人のケンカの仲裁に入る振りをして暴れたものの、運悪く相手が極真空手の使い手で顔面に回し蹴りを入れられて鼻骨と頬骨を骨折しオマケに眼底出血で病院に運ばれたとか。
そんな拓郎を献身的に看病した四角と電撃結婚したものの、あっという間に電撃離婚。仲人役の小室等から呆れられ絶縁の憂き目に遭ったりもしました。
とにかく異常なケンカ好き、ボコボコにやられて血だらけになるのも日常茶飯事でした。それでも業界関係者相手のケンカでは泉谷しげるに判定勝ち(一説には引き分け)、長渕剛には瞬殺KO、桑田佳祐は途中で桑田が泣いてTKO…こんな武勇伝が語り継がれています。だから幾度も警察の厄介になり、名が世間に売れてからは何度も「吉田拓郎、また暴行傷害の現行犯で逮捕」なんてmediaには叩かれ続け、業界やmedia関係者からは疎んじられてきたのです。酒癖は勿論悪いですがシラフでもケンカ上等で、何と口ゲンカならば負け知らずだったとか。矢沢さんもタジタジでした。
当然、女性関係の激しさも並みではなく、四角佳子との離婚から程なく、当時清純派アイドルとして人気絶頂だった浅田美代子と入籍。略奪婚だったとか!? 浅田美代子には腹が立つやら悔しいやら。でもまた数年で離婚、拓郎は世間から「女癖が悪いヤツ」と集中攻撃され、良識派の若者からは強烈な顰蹙を買ったものです。
そんな無茶苦茶な無頼派振りは20代から40歳頃まで殆ど変わる事もなく、拓郎を嫌いな人間に言わせれば「礼儀知らずのまま天狗になった生意気なガキ」でしかなく、ショーケンこと萩原健一と並んで要は鼻つまみ者、手に追えない「暴力ミュージシャン」の象徴でした。口を開けば嘘か誠か周りを煙りに撒くような話しかしないヘソ曲がりか皮肉屋か!? 掴み処のないひねくれ者でもありました。その癖、ツッコミは半端でなく過去幾多の芸能人のスキャンダルを暴露しまくりました。桑田佳祐と原由子の関係も拓郎がラジオで暴いた事は知る人ぞ知る秘密です。桑田はその後ずっと拓郎を恨んでいたようです。
拓郎が劇性胃潰瘍で入院。歌手生命は終わったと言われた頃、拓郎を貶めた「吉田拓郎の唄」を作り桑田は大物振りをアピール、「これで拓郎を葬った!」とまで公言しましたが、拓郎は奇跡的に復活、焦った桑田は見舞いに大切にしてきたギター・テレキャスターを贈ったら目の前でメチャメチャに壊され殴られて、その後非公式に歌詞を大幅に書き換えさせられ、コンサートではこの楽曲を封印したというのは業界内では有名な話です。ちなみに似たような楽曲を桑田に作られた矢沢さんは、「いい曲ですね。頑張りなさい」と書いた手紙と薔薇の花束を桑田に贈ったそうです。桑田は今も矢沢さんの前では直立不動との事。
話が脇道にそれました。
本業の音楽活動ではいち早くプロ意識に目覚めセルフプロデュースに乗り出しました。自ら業界と対立しながら身に付けたノウハウで矢沢永吉の独立に貢献し、かぐや姫をプロデュース、ビートボーイズと名乗りビートルズのコピーバンドだったアルフィーを売り出したのも拓郎でした。拓郎のバックバンドで長年ドラムスを担当していた浜田省吾は拓郎と師弟関係ですが、浜田のデビュー時には拓郎がバックバンドを務めた事もありました。
最後には自分らのレーベルまて設立するという異彩を放ち、型破りな行動力で音楽sceneを駆け抜けていきました…。
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コワイ顔をしていました
だけど僕も一歩だって
引き下がるつもりはありません
時間ばかりが沈黙の中で
進んでいくような
それでも結局お互いに
納得は出来ないままで
女と男とは
違う生きものなんだと言いきかせて
黙り込んだままそっぽを向いて
寝るしかなかったのです
深夜になって僕は
そっと起きて水割りを作ってみました
一人で色々考えてみたけど
やっぱり結論は出ないままで
君はその頃寝たふりをしながら
くやしさいっぱいの気持ちで
「どうしてこの男と一緒にいるんだろう」と
考えていた事でしょう
あれからずいぶん時も過ぎ
考え方も変わってきたようだけど
君には君の 僕には僕の
越えられないものがある
昔と何が違うんだろう
年を重ねるって何だろう
人はそんなに変わらないだろう
僕は君の事が好きだから
君とこのままがいいんです
君も僕以外の男は無理でしょう
二人とも欠点が多くて
誇れるものは少ないけれど
お互いの事は二人が
一番良く知っているわけだから
いっぱいの問題を抱えながら
僕たちはこれからもずっと
危なっかしいけどそれなりの
人生を続けて行きましょう
(作詞・作曲/吉田拓郎・「今は恋とは言わない」)
吉田拓郎は今年、60歳を幾つか越えました。たしか63でしょうか…。その生き方は破天荒そのままでした。
1970年代初期、私が中学に入ってまもない頃です。彗星の如く音楽sceneに現れて、しかしTV嫌いでTVには殆ど出ず、AMラジオが彼らフォークシンガーの砦でした。なのに突然、当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」に登場したかと思えば、他の歌手が1曲それも1コーラスを省いた持ち時間しか貰えない中で拓郎だけノウノウと48分枠のうち何と15分も番組を占拠してフルコーラスで3曲(2曲という説もありますが私の記憶では3曲です)も唄い続けるという無茶苦茶ぶり。それも折角の番組専属バックバンドを無視して持参したギターとブルースハープだけでガナるように唄っては、愛想笑い1つ見せないまま不機嫌そうに姿を消していったものでした。
童顔と長髪の優男にも拘わらず、常に世間や業界に対して挑戦的に憎まれ口を叩き、「俺はLoveーSongしか唄わない」と啖呵を切りつつも、その歌は実に身近な人生の悲しみや寂しさ、強がりや弱さを秘めた繊細な情緒に溢れていたものです。
私生活では毎日のように殴り合いのケンカ沙汰が絶えませんでした。生来のケンカ好きで相手が何人いようと自分からケンカを売ってはタックルを仕掛けてガムシャラにパンチの連打連打がお決まりのパターンだったとか。当然、全戦全勝とはいかず勝率6割程度。四角佳子との結婚の引き金になったケンカでは、他人のケンカの仲裁に入る振りをして暴れたものの、運悪く相手が極真空手の使い手で顔面に回し蹴りを入れられて鼻骨と頬骨を骨折しオマケに眼底出血で病院に運ばれたとか。
そんな拓郎を献身的に看病した四角と電撃結婚したものの、あっという間に電撃離婚。仲人役の小室等から呆れられ絶縁の憂き目に遭ったりもしました。
とにかく異常なケンカ好き、ボコボコにやられて血だらけになるのも日常茶飯事でした。それでも業界関係者相手のケンカでは泉谷しげるに判定勝ち(一説には引き分け)、長渕剛には瞬殺KO、桑田佳祐は途中で桑田が泣いてTKO…こんな武勇伝が語り継がれています。だから幾度も警察の厄介になり、名が世間に売れてからは何度も「吉田拓郎、また暴行傷害の現行犯で逮捕」なんてmediaには叩かれ続け、業界やmedia関係者からは疎んじられてきたのです。酒癖は勿論悪いですがシラフでもケンカ上等で、何と口ゲンカならば負け知らずだったとか。矢沢さんもタジタジでした。
当然、女性関係の激しさも並みではなく、四角佳子との離婚から程なく、当時清純派アイドルとして人気絶頂だった浅田美代子と入籍。略奪婚だったとか!? 浅田美代子には腹が立つやら悔しいやら。でもまた数年で離婚、拓郎は世間から「女癖が悪いヤツ」と集中攻撃され、良識派の若者からは強烈な顰蹙を買ったものです。
そんな無茶苦茶な無頼派振りは20代から40歳頃まで殆ど変わる事もなく、拓郎を嫌いな人間に言わせれば「礼儀知らずのまま天狗になった生意気なガキ」でしかなく、ショーケンこと萩原健一と並んで要は鼻つまみ者、手に追えない「暴力ミュージシャン」の象徴でした。口を開けば嘘か誠か周りを煙りに撒くような話しかしないヘソ曲がりか皮肉屋か!? 掴み処のないひねくれ者でもありました。その癖、ツッコミは半端でなく過去幾多の芸能人のスキャンダルを暴露しまくりました。桑田佳祐と原由子の関係も拓郎がラジオで暴いた事は知る人ぞ知る秘密です。桑田はその後ずっと拓郎を恨んでいたようです。
拓郎が劇性胃潰瘍で入院。歌手生命は終わったと言われた頃、拓郎を貶めた「吉田拓郎の唄」を作り桑田は大物振りをアピール、「これで拓郎を葬った!」とまで公言しましたが、拓郎は奇跡的に復活、焦った桑田は見舞いに大切にしてきたギター・テレキャスターを贈ったら目の前でメチャメチャに壊され殴られて、その後非公式に歌詞を大幅に書き換えさせられ、コンサートではこの楽曲を封印したというのは業界内では有名な話です。ちなみに似たような楽曲を桑田に作られた矢沢さんは、「いい曲ですね。頑張りなさい」と書いた手紙と薔薇の花束を桑田に贈ったそうです。桑田は今も矢沢さんの前では直立不動との事。
話が脇道にそれました。
本業の音楽活動ではいち早くプロ意識に目覚めセルフプロデュースに乗り出しました。自ら業界と対立しながら身に付けたノウハウで矢沢永吉の独立に貢献し、かぐや姫をプロデュース、ビートボーイズと名乗りビートルズのコピーバンドだったアルフィーを売り出したのも拓郎でした。拓郎のバックバンドで長年ドラムスを担当していた浜田省吾は拓郎と師弟関係ですが、浜田のデビュー時には拓郎がバックバンドを務めた事もありました。
最後には自分らのレーベルまて設立するという異彩を放ち、型破りな行動力で音楽sceneを駆け抜けていきました…。
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2009.08.17
[駄文8/16]回転寿司屋で目にした異常な光景…闘えないクズが闘う人間を嘲う!
最近、私は驚くべきというか想像の範囲を超えた光景を目にした。
田舎に帰った時の事だ。
近くに新しい回転寿司の店が出来たというので昼下がりというか夕暮れ、倅とプラプラ歩きながら行ってみた。時間のせいか思ったより客は少なかった。私たちはカウンターに向かい、流れてくる寿司の皿を一瞥した。どれもこれも干からびた寿司ばかりだった。
倅が慣れた口調でカウンター内にいる2人の職人に向かって注文した。
「コハダ2皿と、アジ。アジあればアジも2皿ね」
…返事がない。
倅は少し大きな声で繰り返した。すると若い方の職人が不快そうにコッチを見ただけで答えない。年嵩の職人が面倒そうに「お客さん、流れてるのから取ってくれない!? コハダもアジも流れてまーす」と言い放った。
本来ならばこの時点で「何だこの野郎!!」とケンカになるのが普通だ。確実にケンカになり最悪の場合、職人を外に連れ出す。回転寿司職人にはロクなヤツがいない(例外はあるだろうが)。どこかの寿司屋や料理屋でモノにならずに堕ちてきた連中、最後の行き場が回転寿司屋…つい10年前までは、そう相場が決まっていた。もっとも現在の回転寿司屋の殆どは「ロボット職人」が寿司を握っているのだが…。だから回転寿司屋の「職人」は間違いだ。彼らは職人ではなく単なる「店員」に過ぎない。
だが、そんな職人モドキと客のトラブルを考慮した関西系回転寿司屋チェーンがボタンで注文するという新方式を導入、客が緊張する「対面注文」から解放した。関西の新興勢力「くら寿司」が最初にこの革命とも言える方式を発明した。「かっぱ寿司」「寿司音頭」などの大規模店が続々と「くら寿司方式」を採用していった。
私たちが行った回転寿司屋は時勢に乗り遅れた店なのか、あえて「威勢のいい職人と客とのやり取りを大切にする主義」からの対面注文をウリにしているのかもしれない。だが理由が後者だとしたら完全に経営者の意図は外れた事になる。というより経営者の従業員に対する教育がなってない、つまり経営者の責任だ。
話しは現場に戻る。
私も倅も同時にケンカの体勢に入った。しかし私は倅を止めた。そして目で我慢しろと説得した。
私たちの席から約3m離れたところにカウンターに隣席した大きなボックス席がある。そこに中高年(50代後半から60代)のオバサン4人グループがヒソヒソ話をしていた。そして耳を澄ますと私たちの事を話していた。
「ホーラあのお客にまで注文断って何度回ったか分からないような古いお寿司を突き出してるのよ、ここ最低ね!!」
「社員教育がなってないんじゃない? このチラシ取っておいて後で本店にクレームつけようかしら」
「何か次の注文するの怖いわ。お茶のお湯もぬるいし、文句言おうかしら」
「そうよねえ、文句言おうか!!」
流れる皿をチェックし終えたと思えるオバサングループの1人がオドオドしながら職人、否「店員」に注文した。
「あのう、アナゴとサバお願いします」
すると今度は若い方の「店員」が「サバは終わり、アナゴ何皿?」とぶっきらぼう丸出しの対応だ。オバサンは震える口調で「1皿で…すみません」。驚く事にその店員は「3皿以上で注文下さい」とそっけない。
私は倅と目を合わせた。何なのだ、この店の店員は!!
オバサングループも文句タラタラである。声を潜めた内緒話のつもりが、響くは響く。
「もうガマンできないわ。店長とか呼んでもらいましょうよ」
「ねえ、お友だちに協力してもらってアンケート葉書でクレーム沢山書いて送りましょうよ」
「怖いわ、この店。職人さんヤクザじゃない。嫌よ怖くてもう注文出来ない」
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田舎に帰った時の事だ。
近くに新しい回転寿司の店が出来たというので昼下がりというか夕暮れ、倅とプラプラ歩きながら行ってみた。時間のせいか思ったより客は少なかった。私たちはカウンターに向かい、流れてくる寿司の皿を一瞥した。どれもこれも干からびた寿司ばかりだった。
倅が慣れた口調でカウンター内にいる2人の職人に向かって注文した。
「コハダ2皿と、アジ。アジあればアジも2皿ね」
…返事がない。
倅は少し大きな声で繰り返した。すると若い方の職人が不快そうにコッチを見ただけで答えない。年嵩の職人が面倒そうに「お客さん、流れてるのから取ってくれない!? コハダもアジも流れてまーす」と言い放った。
本来ならばこの時点で「何だこの野郎!!」とケンカになるのが普通だ。確実にケンカになり最悪の場合、職人を外に連れ出す。回転寿司職人にはロクなヤツがいない(例外はあるだろうが)。どこかの寿司屋や料理屋でモノにならずに堕ちてきた連中、最後の行き場が回転寿司屋…つい10年前までは、そう相場が決まっていた。もっとも現在の回転寿司屋の殆どは「ロボット職人」が寿司を握っているのだが…。だから回転寿司屋の「職人」は間違いだ。彼らは職人ではなく単なる「店員」に過ぎない。
だが、そんな職人モドキと客のトラブルを考慮した関西系回転寿司屋チェーンがボタンで注文するという新方式を導入、客が緊張する「対面注文」から解放した。関西の新興勢力「くら寿司」が最初にこの革命とも言える方式を発明した。「かっぱ寿司」「寿司音頭」などの大規模店が続々と「くら寿司方式」を採用していった。
私たちが行った回転寿司屋は時勢に乗り遅れた店なのか、あえて「威勢のいい職人と客とのやり取りを大切にする主義」からの対面注文をウリにしているのかもしれない。だが理由が後者だとしたら完全に経営者の意図は外れた事になる。というより経営者の従業員に対する教育がなってない、つまり経営者の責任だ。
話しは現場に戻る。
私も倅も同時にケンカの体勢に入った。しかし私は倅を止めた。そして目で我慢しろと説得した。
私たちの席から約3m離れたところにカウンターに隣席した大きなボックス席がある。そこに中高年(50代後半から60代)のオバサン4人グループがヒソヒソ話をしていた。そして耳を澄ますと私たちの事を話していた。
「ホーラあのお客にまで注文断って何度回ったか分からないような古いお寿司を突き出してるのよ、ここ最低ね!!」
「社員教育がなってないんじゃない? このチラシ取っておいて後で本店にクレームつけようかしら」
「何か次の注文するの怖いわ。お茶のお湯もぬるいし、文句言おうかしら」
「そうよねえ、文句言おうか!!」
流れる皿をチェックし終えたと思えるオバサングループの1人がオドオドしながら職人、否「店員」に注文した。
「あのう、アナゴとサバお願いします」
すると今度は若い方の「店員」が「サバは終わり、アナゴ何皿?」とぶっきらぼう丸出しの対応だ。オバサンは震える口調で「1皿で…すみません」。驚く事にその店員は「3皿以上で注文下さい」とそっけない。
私は倅と目を合わせた。何なのだ、この店の店員は!!
オバサングループも文句タラタラである。声を潜めた内緒話のつもりが、響くは響く。
「もうガマンできないわ。店長とか呼んでもらいましょうよ」
「ねえ、お友だちに協力してもらってアンケート葉書でクレーム沢山書いて送りましょうよ」
「怖いわ、この店。職人さんヤクザじゃない。嫌よ怖くてもう注文出来ない」
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2009.08.02
【告知】2代目芦原会館、新極真会、大道塾会員・道場生へのメッセージ(修正版)
※現在、私(夢現舎)と断絶または良好ではない格技団体・流派に所属する方々へのメッセージ
9ー10月予定の某会準会員選考会に参加したいという芦原会館所属の道場生が意外に多く若干戸惑っております…。
ちなみに私は、先代亡き後の現団体を、先代時代とは稽古内容から技術まで異なる全く別な流派と捉えています。ですから今後「2代目芦原会」などと呼ぶ事もありますのでご容赦願います。
また現在も2代目芦原会館に形式上所属している西山道場ですが、最近極真系の一派に接近していると聞いています。もはや西山道場にサバキはなく極真亜流または擬似極真系と私は認識しています。つまり2代目芦原と西山道場が同じとはさすがに呼べない段階にあるといえます。
もっとも2代目館長の英典氏自身も極真亜流(極真会館の曾孫団体!?)であるMac云々という、PCメーカーと間違いそうな団体と試合・ルールに於いて協調路線を歩んでいると聞いています。
ここも魑魅魍魎デタラメ何でも可の紛い物の世界です。
閑話休題。
既に現在の2代目芦原を離れている方々(自流を興している方またはその会員・道場生)は正道会館も含め、某会準会員審査に臨むに於いて極真系の方々とは一切の区別・差別をいたしません。
問題は前述した現在の2代目芦原会道場生の人たちです。ある意味では大道塾や新極真会所属の方々も同様と言えるでしょう(既に某会には過去、新極真会・支部長協議会派に所属していた黒帯や選手、元指導員がいます)。
現時点ではKojimaと2代目芦原会館は決して友好的関係にあるとは言えません。むしろ現・館長である英典氏とKojimaは絶縁状態にあるのが実情です。
しかし、私は互いが歩み寄る意志さえあれば関係改善は決して困難ではないと思っています。
古くは大道塾。
過去、幾人もの有力者が私と大道塾代表・東孝氏の関係改善に向けた努力を尽くしてくれました。それらの交渉の中で、私は自らが東氏に謝罪し許しを乞うという「形式」を取る事さえ承諾しました。
しかし、東氏は「この前、Kojimaは1人でやって来て土下座したが許さなかった」と事実と異なる否、妄想的発言を繰り返すのみで全く埒が開かず仲介者も皆、呆れて身を退いていきました。
もはや東氏は精神異常者であると私は断言します。私を嘘つき呼ばわりして誹謗するならば、妄言を吐く前に、また酒乱に堕ちる前に堂々と「公」の形で私との会談を受けたら如何でしょうか!?
新極真会こそが魑魅魍魎の世界か!?
はたまた愚民の住み処か?
やる事なす事、全てが茶番の連続でした。もう何を言う事もありません。「大山倍達の遺言」に全ての理由が記されています。是非とも読んで欲しいものです。
ただ唯一、関係改善に向けて一生懸命に努力してくれると共に多くのアドバイスを下さった事務局長・小井泰三氏には深く感謝しております。
2代目芦原会に話を戻します。
私は8月1日付けで英典氏に簡単なメールを送りました。あくまで非公式なものではありますが、これを機会に再び同じテーブルに就いて今後の関係について話し合う決意を英典氏に迫るメールです。
英典氏からの返答は未だありません。
当然と言えば当然でしょう。前回のトラブルでは某会が感知しないところではありながら、英典氏にとって耐え難い恥もかき、噂では何カ月も引き籠っていたと聞いています。敢えて何があったかは書きませんが…。また私が「2代目芦原会」などと呼んでいる以上、和解の道などないのかもしれません。
しかし2代目芦原会の会員の皆さんも私も、「芦原英幸を敬愛する」という一点に於いては同様だと信じています。そう書くと、私を嫌う輩たちから、「オマエに先代の事を口にして欲しくない」なんて罵声が聞こえてきそうです。ならば言っておきます。
「オマエら、あの野獣の如き強さを秘めた天才的な空手家、そして人情味豊かだった生身の芦原英幸を知ってるのか!? 何度、生きた会話を交わしたのか!! 必殺の技を目の当たりにした事があるのか!? 劇画の世界か嘘八百のメディアを通してしか知らない人間に言われる筋合いはない」
しかし、このような激情を抑えて将来を鑑みた付き合いを模索する事の重要さを私は深刻に受け止めているつもりです。
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9ー10月予定の某会準会員選考会に参加したいという芦原会館所属の道場生が意外に多く若干戸惑っております…。
ちなみに私は、先代亡き後の現団体を、先代時代とは稽古内容から技術まで異なる全く別な流派と捉えています。ですから今後「2代目芦原会」などと呼ぶ事もありますのでご容赦願います。
また現在も2代目芦原会館に形式上所属している西山道場ですが、最近極真系の一派に接近していると聞いています。もはや西山道場にサバキはなく極真亜流または擬似極真系と私は認識しています。つまり2代目芦原と西山道場が同じとはさすがに呼べない段階にあるといえます。
もっとも2代目館長の英典氏自身も極真亜流(極真会館の曾孫団体!?)であるMac云々という、PCメーカーと間違いそうな団体と試合・ルールに於いて協調路線を歩んでいると聞いています。
ここも魑魅魍魎デタラメ何でも可の紛い物の世界です。
閑話休題。
既に現在の2代目芦原を離れている方々(自流を興している方またはその会員・道場生)は正道会館も含め、某会準会員審査に臨むに於いて極真系の方々とは一切の区別・差別をいたしません。
問題は前述した現在の2代目芦原会道場生の人たちです。ある意味では大道塾や新極真会所属の方々も同様と言えるでしょう(既に某会には過去、新極真会・支部長協議会派に所属していた黒帯や選手、元指導員がいます)。
現時点ではKojimaと2代目芦原会館は決して友好的関係にあるとは言えません。むしろ現・館長である英典氏とKojimaは絶縁状態にあるのが実情です。
しかし、私は互いが歩み寄る意志さえあれば関係改善は決して困難ではないと思っています。
古くは大道塾。
過去、幾人もの有力者が私と大道塾代表・東孝氏の関係改善に向けた努力を尽くしてくれました。それらの交渉の中で、私は自らが東氏に謝罪し許しを乞うという「形式」を取る事さえ承諾しました。
しかし、東氏は「この前、Kojimaは1人でやって来て土下座したが許さなかった」と事実と異なる否、妄想的発言を繰り返すのみで全く埒が開かず仲介者も皆、呆れて身を退いていきました。
もはや東氏は精神異常者であると私は断言します。私を嘘つき呼ばわりして誹謗するならば、妄言を吐く前に、また酒乱に堕ちる前に堂々と「公」の形で私との会談を受けたら如何でしょうか!?
新極真会こそが魑魅魍魎の世界か!?
はたまた愚民の住み処か?
やる事なす事、全てが茶番の連続でした。もう何を言う事もありません。「大山倍達の遺言」に全ての理由が記されています。是非とも読んで欲しいものです。
ただ唯一、関係改善に向けて一生懸命に努力してくれると共に多くのアドバイスを下さった事務局長・小井泰三氏には深く感謝しております。
2代目芦原会に話を戻します。
私は8月1日付けで英典氏に簡単なメールを送りました。あくまで非公式なものではありますが、これを機会に再び同じテーブルに就いて今後の関係について話し合う決意を英典氏に迫るメールです。
英典氏からの返答は未だありません。
当然と言えば当然でしょう。前回のトラブルでは某会が感知しないところではありながら、英典氏にとって耐え難い恥もかき、噂では何カ月も引き籠っていたと聞いています。敢えて何があったかは書きませんが…。また私が「2代目芦原会」などと呼んでいる以上、和解の道などないのかもしれません。
しかし2代目芦原会の会員の皆さんも私も、「芦原英幸を敬愛する」という一点に於いては同様だと信じています。そう書くと、私を嫌う輩たちから、「オマエに先代の事を口にして欲しくない」なんて罵声が聞こえてきそうです。ならば言っておきます。
「オマエら、あの野獣の如き強さを秘めた天才的な空手家、そして人情味豊かだった生身の芦原英幸を知ってるのか!? 何度、生きた会話を交わしたのか!! 必殺の技を目の当たりにした事があるのか!? 劇画の世界か嘘八百のメディアを通してしか知らない人間に言われる筋合いはない」
しかし、このような激情を抑えて将来を鑑みた付き合いを模索する事の重要さを私は深刻に受け止めているつもりです。
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2009.07.24
【駄文7/24】コジマの舎弟、某会の人間を騙る偽者に注意!!(加筆修正版)
最近、急激にKojimaの知人を騙る「偽者」「インチキ」な連中が横行しているようだ。曰く、
「俺はKojimaの舎弟だ」
「俺は某会の人間だ」
「昔よくKojimaの面倒をみてやった」
「以前、某会のメンバーだったが下らないので辞めた」
「Kojimaにサバキを教えたのは芦原英幸じゃなく俺だ」
「Kojimaはいつも俺にやられてた」
云々…。
初めはこれも一種の「有名税」だと気にもしなかった。それに学生時代、大学の同好会や総本部道場の先輩たちにメチャクチャ傷めつけられたのは事実だ。大道塾にも長田賢一を筆頭に化物みたいに強い先輩たちが目白押しだった。そんな先輩たちの言葉ならば信じるに足るだろう。だが、それは例外である。
矢沢永吉さんの言葉にもある。
「今さ、広島には矢沢の親戚とかマブダチってヤツが100人も200人もいるんだってさ。誰も彼もが僕の縁者でさ、いつしか矢沢はチョーセン人だから同胞だって触れ回る連中もいるらしいけど、あのさ、僕が以前矢沢じゃない名前だったとか、そんなデマが四流新聞や雑誌に出回るわけよ。だったら証拠を出せっちゅうの。そういう事を吹聴しているヤツで本当に僕の知り合いは皆無ですから」
私も物書きとして30.000人の固定読者を持つ身だ。つまり統計学的には300.000ー500.000人がKojimaを知っている事になる。それが敵だろうが味方だろうが、「ある事ない事」触れ回るバカがいてもおかしくないと笑い飛ばしていた。矢沢さんのようにである。
ところが、それが直接私自身に火の粉として降り掛かってきたのでは堪らない。この2カ月の間に私は自称ヤクザ・暴力団員を名乗るチンピラから2度脅された(1つはブログのコラムでも書いているが)。それは全く関係のない地域から、皆目謂れのない理由でである。
1度目の相手は長野の人間だ。このケースは、たしかに自称ヤクザに「Kojima潰し」を依頼した人間の知り合いという人物は私と面識がある。しかし、知人の知人の知人というややこしい関係だから、当然私には関係ない人間である。勿論、何ひとつそんなゴロツキを敵にするような事をした覚えもない。
ただ私と面識ある人間がどういう話の流れかわからないが私の話題になり、その親族の跳ねっ返り者が「Kojimaを脅そう」と息巻いてツレのチンピラ連中と動いたというのが真相のようだ。だが、彼らは私の事など全く知らない。私も知らない。
もう1つの事件は、極めて単純な構図だ。私のファン(私は面識などないが)が自分の務める会社でトラブルを起こし、社員全員を敵に回し、また彼らの1人が暴力団員に知人がいるという事で、色々な嫌がらせを受ける事になった。
既にコラムで書いた「A君」である。
窮地に陥ったA君は「俺はKojimaの舎弟であり、某会の人間だ。俺に手を出すとオマエら生きてられないぞ!!」と反撃してしまった。申し訳ないが、私はA君など会った事もないしA君が某会の会員でない事は言うまでもない。また、そのトラブルというやらがどんなモノか? A君が正義かどうかも私には分からない。
だがA君の啖呵を真に受けたチンピラヤクザが私に脅しをかけてきた…。
某会がかなり怖い組織だという噂が深海魚の世界だけでなく水面上でも広がっている話はよく聞く。実際、某会の結束力は強く、絆は鉄の如しである。時にはまさに「仕掛け人」如き活動も辞さない集団でもある。
しかし以前のコラムに書いたように、某会はドラマや映画のようなプロの「仕掛け人」「仕置き人」などではない。第1、そんな集団などフィクションに過ぎない。
仮にあるとするならば、暴対法で身動きが取り難くなっている暴力団が不法在留アジア人愚連隊に非合法行為を依頼する程度である。その意味では、日本の暴力団にとって不法在留愚連隊は「プロの仕置き人」と呼んでも近からず遠からずだろう。とはいえ、どうもイメージに合わないが…。
我々某会はあくまでも身内を守る為に、そしてそれが明白な「正義」である場合に限り、合法的手段の範囲内で「仕掛け」はするし、それは過去も何度かあった。
勘違いしないで欲しい。
某会の「仕掛け」は合法的手段に限る。アルキメデスは手を汚さない…これが某会の不文律である。
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「俺はKojimaの舎弟だ」
「俺は某会の人間だ」
「昔よくKojimaの面倒をみてやった」
「以前、某会のメンバーだったが下らないので辞めた」
「Kojimaにサバキを教えたのは芦原英幸じゃなく俺だ」
「Kojimaはいつも俺にやられてた」
云々…。
初めはこれも一種の「有名税」だと気にもしなかった。それに学生時代、大学の同好会や総本部道場の先輩たちにメチャクチャ傷めつけられたのは事実だ。大道塾にも長田賢一を筆頭に化物みたいに強い先輩たちが目白押しだった。そんな先輩たちの言葉ならば信じるに足るだろう。だが、それは例外である。
矢沢永吉さんの言葉にもある。
「今さ、広島には矢沢の親戚とかマブダチってヤツが100人も200人もいるんだってさ。誰も彼もが僕の縁者でさ、いつしか矢沢はチョーセン人だから同胞だって触れ回る連中もいるらしいけど、あのさ、僕が以前矢沢じゃない名前だったとか、そんなデマが四流新聞や雑誌に出回るわけよ。だったら証拠を出せっちゅうの。そういう事を吹聴しているヤツで本当に僕の知り合いは皆無ですから」
私も物書きとして30.000人の固定読者を持つ身だ。つまり統計学的には300.000ー500.000人がKojimaを知っている事になる。それが敵だろうが味方だろうが、「ある事ない事」触れ回るバカがいてもおかしくないと笑い飛ばしていた。矢沢さんのようにである。
ところが、それが直接私自身に火の粉として降り掛かってきたのでは堪らない。この2カ月の間に私は自称ヤクザ・暴力団員を名乗るチンピラから2度脅された(1つはブログのコラムでも書いているが)。それは全く関係のない地域から、皆目謂れのない理由でである。
1度目の相手は長野の人間だ。このケースは、たしかに自称ヤクザに「Kojima潰し」を依頼した人間の知り合いという人物は私と面識がある。しかし、知人の知人の知人というややこしい関係だから、当然私には関係ない人間である。勿論、何ひとつそんなゴロツキを敵にするような事をした覚えもない。
ただ私と面識ある人間がどういう話の流れかわからないが私の話題になり、その親族の跳ねっ返り者が「Kojimaを脅そう」と息巻いてツレのチンピラ連中と動いたというのが真相のようだ。だが、彼らは私の事など全く知らない。私も知らない。
もう1つの事件は、極めて単純な構図だ。私のファン(私は面識などないが)が自分の務める会社でトラブルを起こし、社員全員を敵に回し、また彼らの1人が暴力団員に知人がいるという事で、色々な嫌がらせを受ける事になった。
既にコラムで書いた「A君」である。
窮地に陥ったA君は「俺はKojimaの舎弟であり、某会の人間だ。俺に手を出すとオマエら生きてられないぞ!!」と反撃してしまった。申し訳ないが、私はA君など会った事もないしA君が某会の会員でない事は言うまでもない。また、そのトラブルというやらがどんなモノか? A君が正義かどうかも私には分からない。
だがA君の啖呵を真に受けたチンピラヤクザが私に脅しをかけてきた…。
某会がかなり怖い組織だという噂が深海魚の世界だけでなく水面上でも広がっている話はよく聞く。実際、某会の結束力は強く、絆は鉄の如しである。時にはまさに「仕掛け人」如き活動も辞さない集団でもある。
しかし以前のコラムに書いたように、某会はドラマや映画のようなプロの「仕掛け人」「仕置き人」などではない。第1、そんな集団などフィクションに過ぎない。
仮にあるとするならば、暴対法で身動きが取り難くなっている暴力団が不法在留アジア人愚連隊に非合法行為を依頼する程度である。その意味では、日本の暴力団にとって不法在留愚連隊は「プロの仕置き人」と呼んでも近からず遠からずだろう。とはいえ、どうもイメージに合わないが…。
我々某会はあくまでも身内を守る為に、そしてそれが明白な「正義」である場合に限り、合法的手段の範囲内で「仕掛け」はするし、それは過去も何度かあった。
勘違いしないで欲しい。
某会の「仕掛け」は合法的手段に限る。アルキメデスは手を汚さない…これが某会の不文律である。
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2009.07.13
【ショートコラム7/13】頑張れないけどいいでしょう!?
最近、とみに感じるようになりました。
「何故」という疑問を。
何故、何故、何故、何故、何故…。
少しずつ少しずつ自分の心を蝕んで、僕の心はガイコツみたいになってしまったようです。
いったい僕は何故、こんなに頑張ってきたのでしょう?
何を求めて今まで走ってきたのだろう?
何を探して頑張ろうとしたのだろう?
何の為にバカみたく強がってきたのだろう?
頑張る「何か」がなければ頑張れないよね。
頑張りたくても頑張れないでしょう。
ごめんなさい…。
誤解しないで下さいね。
決して自惚れや天狗になっての言葉じゃない事を。
人生に必要な分の銭はそれなりに稼ぎました。
遠縁のババアが死ねば遺産が1億僕のモノになるでしょう。
倅も成人したから後は何とかなるだろうし…。
精一杯、頑張ってきたんです。
闘い続けてきたんです。
弱味を見せずにツッパってきたんです。
「何故」なんて自分に問い掛けもせず。
弱音を吐いているわけじゃありません。
愚痴を溢しているつもりもありません。
でも…。
そろそろいいんじゃないかなって思うのです。
闘うべき時には闘ってました。
頑張るべき時には頑張ってきました。
ケンカ上等の毎日を繰り返してきました。
でも、もう疲れてしまったのかもしれません。
頑張る目標も消えちゃった。
頑張る怒りもなくなった。
闘う意味も見失い、今さら頑張ったってしょうがない。
「何故」という言葉に体中蝕まれてしまいました。
この年になってまたまた一旗挙げようなんて、僕は矢沢永吉になんかなれません。
だから頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
逃げてるんだって言われても、そうかもしれませんねって答えるしかないよね。
今までは仕事が生き甲斐だった時もあったし、物書きの自分に誇りを持っていたけれど…。
別に仕事なんてしなくても本なんて書かなくても、気楽に生きていければそれでいい…なんて。
強くて頼れる倅もいるし、倅に遺せるものはそれなりに築いたつもりです。
生きる張り合いを見失い、恋する気分も忘れてしまいました。
頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
眠い時に眠れるのが今は一番の幸せ。
眠い時に眠れない今はとっても不幸。
頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
(吉田拓郎/アルバム「午前中に…」を参考にしました)
「何故」という疑問を。
何故、何故、何故、何故、何故…。
少しずつ少しずつ自分の心を蝕んで、僕の心はガイコツみたいになってしまったようです。
いったい僕は何故、こんなに頑張ってきたのでしょう?
何を求めて今まで走ってきたのだろう?
何を探して頑張ろうとしたのだろう?
何の為にバカみたく強がってきたのだろう?
頑張る「何か」がなければ頑張れないよね。
頑張りたくても頑張れないでしょう。
ごめんなさい…。
誤解しないで下さいね。
決して自惚れや天狗になっての言葉じゃない事を。
人生に必要な分の銭はそれなりに稼ぎました。
遠縁のババアが死ねば遺産が1億僕のモノになるでしょう。
倅も成人したから後は何とかなるだろうし…。
精一杯、頑張ってきたんです。
闘い続けてきたんです。
弱味を見せずにツッパってきたんです。
「何故」なんて自分に問い掛けもせず。
弱音を吐いているわけじゃありません。
愚痴を溢しているつもりもありません。
でも…。
そろそろいいんじゃないかなって思うのです。
闘うべき時には闘ってました。
頑張るべき時には頑張ってきました。
ケンカ上等の毎日を繰り返してきました。
でも、もう疲れてしまったのかもしれません。
頑張る目標も消えちゃった。
頑張る怒りもなくなった。
闘う意味も見失い、今さら頑張ったってしょうがない。
「何故」という言葉に体中蝕まれてしまいました。
この年になってまたまた一旗挙げようなんて、僕は矢沢永吉になんかなれません。
だから頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
逃げてるんだって言われても、そうかもしれませんねって答えるしかないよね。
今までは仕事が生き甲斐だった時もあったし、物書きの自分に誇りを持っていたけれど…。
別に仕事なんてしなくても本なんて書かなくても、気楽に生きていければそれでいい…なんて。
強くて頼れる倅もいるし、倅に遺せるものはそれなりに築いたつもりです。
生きる張り合いを見失い、恋する気分も忘れてしまいました。
頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
眠い時に眠れるのが今は一番の幸せ。
眠い時に眠れない今はとっても不幸。
頑張らなくてもいいでしょう。
頑張れなくてもいいでしょう。
(吉田拓郎/アルバム「午前中に…」を参考にしました)
2009.07.12
【駄文7/12】30年のツケが自分の体を虐めるのです…
人間の体はつくづく因果なモノだと情けないやら辛いやら…。
この1カ月の間、風邪だと医師に言われつつ精神的疲労から肝機能が著しく衰えていると脅され、かと思えば突然、ガンの疑いがあると通告されて緊急検査入院。
3日間、死の恐怖に怯え、体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、一時は80%ガンだと告知されて諦めました。ところが結局ガンではなく、カビによる真菌症候群の一種、アレルギー性気管支肺アスペル云々という老人が主に罹患するという病気だと分かり、肝機能衰弱から免疫力が低下したのが原因だと…。
呉々も静養し、余計なストレスを抱え込まないように医師から忠告されたけれど、かといって仕事がトラブル続きの中、ストレス云々と言われても所詮無理な話であり、腹立つ事も多い中で原稿書いたり騙りヤクザにケジメをつけたり…頭の中はストレスで飽和状態、否、飽和どころか臨界状態です!
唯一、夢現舎副代表Tの超人的な八面六臂の活躍とスタッフたちの頑張りと、倅の献身的な世話で何とかストレスはともかく体だけは安静に可能な限りベッドに横たわり、愛猫のミルに癒してもらいつつこの数週間、原稿書きと週に1度の出社で凌いできました。
ところが日を追う毎に体中の筋肉の痛みが増し、普通は2錠の鎮痛剤を何と6錠も飲まなくては苦痛が収まらない事態に! 金曜日、検査入院した病院までタクシーで行き真菌症の治療のついでに体中の筋肉の痛みを訴えました。
整形外科に回されて診察を受けると、医師のアホは何をほざくのかと疑う事を言い放ちました。
「アナタの筋肉、特に肩から背筋と大腿筋は長年筋力トレーニングをしてきたのでしょう。少なくとも20年、30年は続けてきたようで、たまに筋肉を刺激する運動を軽くてもいいからしないと筋肉全体が硬化して痛むんです。少し運動をしたらいかがですか?」
でも、自分の腰の筋肉は炎症を起こして剥離状態と言われ、出来れば手術した方がいいとアドバイスされた程なんですけど!? しかしアノ藪医者は平気な顔で「腰に負担のない運動をすればいいのです」。
どんな運動も少なからず腰に負担が掛かるんですけど!?
「軽い運動でいいんです。腰の筋肉も全く使わないと逆によくないですよ」
だから医師はアテにならないのだ!
そんな訳で土曜日、倅がヘビーウェイトトレーニングの日なので、自分も指導だけでなく少し付き合う事にしました。ところが今や倅が挙げるバーベルもダンベルも私にはあまりにも重過ぎます…。最盛期の私でも到底敵わない重量を倅は挙げているのです。
私は軽く腹筋運動とスクワット、カーフレイズをフリーハンドで行い、ベンチプレスはバーベルで、カールやスタンディングロー、フロントプレスは腰に注意してダンベルで行う事にしました。
腹筋、スクワット、カーフレイズを私がやっている間、倅はウォーミングアップの立禅や縄跳びをしていました。立禅が15分、縄跳びは連続30分。私は久々にベンチプレスをやろうとしたらセットしてあるのが100キロ! 倅にわざわざ70キロに落としてもらいました。
ところが意外や意外、70キロを軽く10回もクリアしてしまいました。80キロも10回、90キロも10回!! 調子に乗った私は100キロに挑戦しようと…。するとストレッチをしていた倅が「無理は禁物!」と私を制止するのです。ウム、たしかにそうだと私も諦めてダンベルに移りました。全ての種目を10回2セット。
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この1カ月の間、風邪だと医師に言われつつ精神的疲労から肝機能が著しく衰えていると脅され、かと思えば突然、ガンの疑いがあると通告されて緊急検査入院。
3日間、死の恐怖に怯え、体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、一時は80%ガンだと告知されて諦めました。ところが結局ガンではなく、カビによる真菌症候群の一種、アレルギー性気管支肺アスペル云々という老人が主に罹患するという病気だと分かり、肝機能衰弱から免疫力が低下したのが原因だと…。
呉々も静養し、余計なストレスを抱え込まないように医師から忠告されたけれど、かといって仕事がトラブル続きの中、ストレス云々と言われても所詮無理な話であり、腹立つ事も多い中で原稿書いたり騙りヤクザにケジメをつけたり…頭の中はストレスで飽和状態、否、飽和どころか臨界状態です!
唯一、夢現舎副代表Tの超人的な八面六臂の活躍とスタッフたちの頑張りと、倅の献身的な世話で何とかストレスはともかく体だけは安静に可能な限りベッドに横たわり、愛猫のミルに癒してもらいつつこの数週間、原稿書きと週に1度の出社で凌いできました。
ところが日を追う毎に体中の筋肉の痛みが増し、普通は2錠の鎮痛剤を何と6錠も飲まなくては苦痛が収まらない事態に! 金曜日、検査入院した病院までタクシーで行き真菌症の治療のついでに体中の筋肉の痛みを訴えました。
整形外科に回されて診察を受けると、医師のアホは何をほざくのかと疑う事を言い放ちました。
「アナタの筋肉、特に肩から背筋と大腿筋は長年筋力トレーニングをしてきたのでしょう。少なくとも20年、30年は続けてきたようで、たまに筋肉を刺激する運動を軽くてもいいからしないと筋肉全体が硬化して痛むんです。少し運動をしたらいかがですか?」
でも、自分の腰の筋肉は炎症を起こして剥離状態と言われ、出来れば手術した方がいいとアドバイスされた程なんですけど!? しかしアノ藪医者は平気な顔で「腰に負担のない運動をすればいいのです」。
どんな運動も少なからず腰に負担が掛かるんですけど!?
「軽い運動でいいんです。腰の筋肉も全く使わないと逆によくないですよ」
だから医師はアテにならないのだ!
そんな訳で土曜日、倅がヘビーウェイトトレーニングの日なので、自分も指導だけでなく少し付き合う事にしました。ところが今や倅が挙げるバーベルもダンベルも私にはあまりにも重過ぎます…。最盛期の私でも到底敵わない重量を倅は挙げているのです。
私は軽く腹筋運動とスクワット、カーフレイズをフリーハンドで行い、ベンチプレスはバーベルで、カールやスタンディングロー、フロントプレスは腰に注意してダンベルで行う事にしました。
腹筋、スクワット、カーフレイズを私がやっている間、倅はウォーミングアップの立禅や縄跳びをしていました。立禅が15分、縄跳びは連続30分。私は久々にベンチプレスをやろうとしたらセットしてあるのが100キロ! 倅にわざわざ70キロに落としてもらいました。
ところが意外や意外、70キロを軽く10回もクリアしてしまいました。80キロも10回、90キロも10回!! 調子に乗った私は100キロに挑戦しようと…。するとストレッチをしていた倅が「無理は禁物!」と私を制止するのです。ウム、たしかにそうだと私も諦めてダンベルに移りました。全ての種目を10回2セット。
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2009.07.11
【駄文・7/11】企業が望む人材とは!?
先日、我が社で新入社員の募集を行った事は何度か書いている。
1990年代半ば迄は朝日新聞の募集広告が最も反応が大きかった。だが90年代後半になると極端に朝日新聞広告の効果は低下し、就職雑誌が主流になった。
当時は1回の募集で最低でも50名、いや100名近い応募者がいた。ところが2000年に入ると年を追う事に応募者が減り続け、また広告媒体も05年辺りから就職雑誌は全く効果を失いNet募集が主流になった。それでも応募者は極端に減り、10名がいいところだった。
一体最近の若者は、不況不況というのに何を考えているのか!? あまりにフリーター志向が強く、それは特に男性に顕著だった。
ところが今回数年振りにNet募集をしてみると、メールの問合せだけで150名を越えた。実際、履歴書を送ってきた人も軽く100名を越えた。
時代が激しく動いている事、不況の深刻さを痛切に感じざるを得なかった。100強の応募者のうち、約4分の1が30代後半から40代、50代だった。我が社は一切、学歴を重視しない。性別も関係ない。
最近、立場上常に採用側の立場でこのような募集に関する諸々を見る習慣がついてしまったが、採用も一段落した今、改めてかつて学生だった頃、つまり応募者のスタンスで考えてみた。
自分ながら驚きを隠せなかった。
学生時代、学校の成績や積極性、つまり能力と成績、アピールが合否の鍵になると思い込んでいた。成績がよく、真面目で明朗かつ積極的でさえあればいいと信じていた。
だが、それは大きな間違いだった。
結局、個人の成績や云々などよりも、その企業が求める条件に合うか合わないかが何よりも重要な現実。決して成績や実績、また学歴があればいいというものではないのである。
例えるならば、その企業が「赤」を望むならば、いくら鮮明で綺麗な「青」でも採用対象にならない。「赤」を欲するならば、せめて「朱色」や「濃いオレンジ色」でなければ如何に優秀でも合格出来ない。
今回の募集ではかなり実績のある経験者や、学校での成績が優秀で色々な勉強をしてきた人たちが多かった。つまり総体的な資質は極めて高い人材が応募してきた。
面接に於いても殆ど礼儀正しく、どんな質問にもハキハキと答える。わざわざ自己アピールの為にフリップを使ったり紙芝居調にまとめて自らを売り込む人もいた。きっと頑張り屋で向上心の強い、能力のある人間に違いない。
だが結局、彼ら彼女らは不採用になった。勿論、早稲田や慶應、北大や阪大出身である事のみをアピールする応募者は話にならなかった。きっと彼らの潜在能力は極めて秀でているのだろうが…。偏ったプライドを持つ人間ほど扱い難いものはない。
要は、そのような人材を、少なくとも我が社は求めていないという事に過ぎないのである。夢現舎が求める人間は「真っ白で何にも染まっていない人間」である。経験など関係ないのだ。面接に於いてもマニュアル通りのそつない言葉を繰り返す人間はいらない。「積極性」は重要だが、それは言葉で如何にアピールしても通用しない。
最終的に採用した2名は編集は勿論、デザインや文章の経験もなく、また面接では緊張しながら不器用で殆どまともに答えられない応募者だった。1人は大阪在住で、他社の面接も含めて約10回も深夜バスで上京を繰り返してきた女性。もう1人は面接で何もまともに答えられなかった、私が冗談混じりで「君は今回の書類選考を通過して面接に臨んだ約50名の中で一番おバカさんだね」と口にした女性だった。
採用した2人よりも経験も実績もある人材はかなり多かった。だが、繰り返すが我が社は「真っ白で未知数ながら不器用な人間」が欲しかった結果に過ぎない。
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1990年代半ば迄は朝日新聞の募集広告が最も反応が大きかった。だが90年代後半になると極端に朝日新聞広告の効果は低下し、就職雑誌が主流になった。
当時は1回の募集で最低でも50名、いや100名近い応募者がいた。ところが2000年に入ると年を追う事に応募者が減り続け、また広告媒体も05年辺りから就職雑誌は全く効果を失いNet募集が主流になった。それでも応募者は極端に減り、10名がいいところだった。
一体最近の若者は、不況不況というのに何を考えているのか!? あまりにフリーター志向が強く、それは特に男性に顕著だった。
ところが今回数年振りにNet募集をしてみると、メールの問合せだけで150名を越えた。実際、履歴書を送ってきた人も軽く100名を越えた。
時代が激しく動いている事、不況の深刻さを痛切に感じざるを得なかった。100強の応募者のうち、約4分の1が30代後半から40代、50代だった。我が社は一切、学歴を重視しない。性別も関係ない。
最近、立場上常に採用側の立場でこのような募集に関する諸々を見る習慣がついてしまったが、採用も一段落した今、改めてかつて学生だった頃、つまり応募者のスタンスで考えてみた。
自分ながら驚きを隠せなかった。
学生時代、学校の成績や積極性、つまり能力と成績、アピールが合否の鍵になると思い込んでいた。成績がよく、真面目で明朗かつ積極的でさえあればいいと信じていた。
だが、それは大きな間違いだった。
結局、個人の成績や云々などよりも、その企業が求める条件に合うか合わないかが何よりも重要な現実。決して成績や実績、また学歴があればいいというものではないのである。
例えるならば、その企業が「赤」を望むならば、いくら鮮明で綺麗な「青」でも採用対象にならない。「赤」を欲するならば、せめて「朱色」や「濃いオレンジ色」でなければ如何に優秀でも合格出来ない。
今回の募集ではかなり実績のある経験者や、学校での成績が優秀で色々な勉強をしてきた人たちが多かった。つまり総体的な資質は極めて高い人材が応募してきた。
面接に於いても殆ど礼儀正しく、どんな質問にもハキハキと答える。わざわざ自己アピールの為にフリップを使ったり紙芝居調にまとめて自らを売り込む人もいた。きっと頑張り屋で向上心の強い、能力のある人間に違いない。
だが結局、彼ら彼女らは不採用になった。勿論、早稲田や慶應、北大や阪大出身である事のみをアピールする応募者は話にならなかった。きっと彼らの潜在能力は極めて秀でているのだろうが…。偏ったプライドを持つ人間ほど扱い難いものはない。
要は、そのような人材を、少なくとも我が社は求めていないという事に過ぎないのである。夢現舎が求める人間は「真っ白で何にも染まっていない人間」である。経験など関係ないのだ。面接に於いてもマニュアル通りのそつない言葉を繰り返す人間はいらない。「積極性」は重要だが、それは言葉で如何にアピールしても通用しない。
最終的に採用した2名は編集は勿論、デザインや文章の経験もなく、また面接では緊張しながら不器用で殆どまともに答えられない応募者だった。1人は大阪在住で、他社の面接も含めて約10回も深夜バスで上京を繰り返してきた女性。もう1人は面接で何もまともに答えられなかった、私が冗談混じりで「君は今回の書類選考を通過して面接に臨んだ約50名の中で一番おバカさんだね」と口にした女性だった。
採用した2人よりも経験も実績もある人材はかなり多かった。だが、繰り返すが我が社は「真っ白で未知数ながら不器用な人間」が欲しかった結果に過ぎない。
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