インタビュ−
実際に自分の目で確かめてから、挑戦するかしないかを決めよう
代理母出産のチャレンジを考えた向井さんは、資料を集め始めます。けれど、どれもが匿名の話ばかりでなかなか現実がつかめません。そこで、日本で代理母出産のコーディネートを行う団体を訪ね、担当者に不安や疑問をぶつけたところ「実際にアメリカに行って代理母に会ってきてはどうですか?」と提案されます。
「アメリカに行って、実際におなかを貸したことのある代理母に話を聞いて、この目で確かめよう、と。この先、私が代理母出産に挑戦するとしても、しないとしても、きちんと自分で納得したうえで、『私なりに、こう考えたので挑戦しました。もしくは挑戦はやめました』というものを持ちたいなと思って」
代理母の人たちに会うために、向井さんは渡米します。
「子どもを持てない人の力になりたい」という、代理母のピュアな思い
「代理母の人に会ってビックリ! みんな『赤ちゃんが欲しいって、ものすごくハッピーな夢じゃない? その夢に協力できることがうれしいの!』と、心底思っている人たちばかり。私が『万が一のことが起きたら……、たとえば出産で命を落とす場合もあるし、後遺症が残ることもある、体調が変わって仕事がやりづらくなることだってありますよ。もしそうなったらとり返しがつかない』と言っても、『そういったリスクをすべて承知の上で、やろうと思っているのに、なぜ私の気持ちを尊重してくれないの?』と言うんです。
代理母になる人は、お金目当てでやっているんじゃないかと思っていたんですけど、全然違っていました。赤ちゃんを持てなくて悲しんでいる人の力になりたいという、熱い思いが伝わってきたのです」
向井さんは、代理母出産の扉をあけます。最初のパートナー、サンドラさんと出会い、代理母出産に挑戦しますが、2度失敗。新しいパートナー、シンディさんとタッグを組んで、2003年、念願の元気な双子の男の子を授かりました。
子ども好きな夫を父親にしてあげたい一途な思い
子宮頸ガン、子宮全摘、代理母出産……多くのでき事に立ち向かう向井さんを、いつもあたたかく見守り、大きな胸で支えてきた夫・高田延彦さん。そんな高田さんへの深い愛が、向井さんが多くの困難を乗り越えるエネルギーとなりました。
「高田は、小学校のころにお母さんがよそに行ってしまって、家庭環境はあまり恵まれていなかったんです。でも、彼は、本当に子どもが大好き。そして私もそんな彼の子どもを産みたいとずっと願っていました」
あたたかな家庭のぬくもりに恵まれなかった高田さん。まだ、ふたりの子どもを授かる前のこと、ボランティアで訪れた施設で、こんな経験をします。
「実の親に虐待を受けて施設にいる子どもが、何をカン違いしたのか、私に『ママ、ママ』とすがりついて離れないんです。親に無条件に愛してもらえない子どもに対して、高田はすごく心が動くんですね。それで、『自分たちでは、だめだろうか。この子を連れて帰れないだろうか』と真剣に考えていました」
養子縁組や里親の話を持ちかけましたが、施設側は実の親の立ち直りに期待するところがあったため、その子を養育することはできなかったとか。高田さんをお父さんにしてあげたいと願う背景には、そんな思いもあったのです。
かつて、記者会見の「遺伝子を残したい」という発言が話題になりました。以来、言葉だけがひとり歩きして、「まるで遺伝子至上主義みたいに思われて、いまだに『なんで養子や里親じゃダメなんだ?』と、言われます」と笑う向井さん。
でも、生物学が大好きな彼女の言う「遺伝子を残したい」という思いは、「恋したい」「結婚したい」とほとんど同義語。むしろ、その「家族観」は、遺伝子レベル(?)より、はるかに大きなもののようです。