インタビュ−
向井亜紀さん−プロフィール
1964年、埼玉県生まれ。大学在学中にラジオ番組のパーソナリティとしてデビュー。その後、テレビやラジオ、エッセイ執筆、講演など幅広い分野で活躍する。94年、プロレスラーの高田延彦氏と結婚。2003年、代理母出産にて双子の男の子を授かる。著書に『16週 あなたといた幸せな時間』(扶桑社)、『プロポーズ 私たちの子どもを産んでください。』(マガジンハウス)、『家族未満』(小学館)などがある。
妊娠の喜びと同時に子宮頸ガンという残酷な現実へ
「妊娠がわかったときは、本当にうれしくて、『私たちが親になれるなんて。キャー』と、大喜び!」 結婚6年目、そろそろ子どもを、と考えていたやさきの喜びの妊娠。けれど、ハッピーな妊娠の知らせと同時に、進行した子宮頸(ルビ けい)ガンであるという残酷な宣告をされたのです。 妊娠を継続させたまま、向井さんは2度の手術を受けますが、このまま妊娠を続けると向井さんの命までもが危うく、子宮全摘手術を医師から告げられます。けれど向井さんは、 「30週までがんばって妊娠を続けて、帝王切開でこの子をとり出して、この子が助かったのを横目で確認できたら、そこからガンと闘うから。お願いそれまで待っていて!」と、子宮を残し妊娠を継続させる道を選ぼうとしたのです。けれど……。
自分の命と引きかえにしてもおなかの子の命を守りたい
「自分は死んでもいいから、この子を助けて!と思っていました。私は35才のこの年まで、いろんな楽しい思いもしたし、いろんな体験もして、もう十分生きたじゃないか。何の罪もないこの子の命がおなかの中にある。心音も聞こえるし、エコーで見ると動いているし……。おなかの子の命のすごさにくらべたら、自分の命なんて、……そう思ったんです」 高田さん、主治医、ご両親……向井さんは、必死に周りを説得します。自分の命を失うかもしれないという死の恐怖におびえながらも、おなかの赤ちゃんと子宮を守ろうとしました。「あと15週だけ、がまんしますから!」「私はだいじょうぶ。死なないから!」と叫びながら。 「母は、私が言いだしたら聞かないというのを知っていますから、最後には『あなたにその覚悟があるなら、私が育ててあげる』と言ってくれました。涙ひとつ見せずに……」 向井さんの「母」としての決意は、お母さんにとって「最愛の娘の命」をかけた決断です。 「今思えば、陰でこっそり泣いてたんでしょうね。母は今ごろになって、『あのとき、あなたは本当にがんばったわね』と、涙ながらに繰り返すんです……」。そう話す向井さんの目には、光るものがありました。
「オレは向井の命がいちばんたいせつだよ」。そう言ってくれた夫
けれど、ガンは予想以上に向井さんの体を脅(ルビ おびや)かしていました。 「オレは、向井の命がいちばんたいせつだよ」と、やさしく言ってくれた高田さんの愛に支えられ、向井さんは子宮をとる決断をします。 主治医からは、転移の可能性があるため、卵巣も同時に摘出するよう説得されましたが、「それだけは!」と必死に死守して……。