Re: 大便のようなメンタリティー
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2008/ 4/24 23:54 [ No.1190 / 2462 ] |
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>「技術は日本で”も”いいが、表現力は海外のコーチで」 >という、クソのような、大便のような、下痢便のようなメンタルが存在し、
その通りだと思います。 いったい何がやりたいというのでしょう。 ただの金儲けでしょうか。
>このメンタルが、 >伊藤みどり時代から浅田真央の現在まで、存続され、貫徹され、つらぬかれており、
アルベールビルのシーズン、なぜコリオグラファーとしてロシアのルイシキンを選んだのか。 ラフマニノフのピアノ協奏曲第一番というもっとも西欧的な伝統を体現するロマン主義の曲を選んだのか。 伊藤みどりとは明らかなミスマッチでした。 しかし、伊藤みどりであれば、このミスマッチを新たな芸術として成立させてしまうのではないか。 私はそれに期待していました。 実際、伊藤の他にこの曲で滑りきれる選手がいたでしょうか。 滑り始めた途端に飽きてしまい、とても見られたものではなかったでしょう。 伊藤だからこそ可能なプログラムではありました。
しかし、アルベールビルでのプログラムは、一番と二番を継ぎ接ぎしたなんとも折衷的なプログラムになっていました。 一番だけでは盛り上がらない。有名な二番のサビをくっつけて盛り上げよう。 ついでに日本舞踊的な動きなんぞも取り入れて。
伊藤自身は、プログラム変更には反対だったといいます。 やはり伊藤はアーティストだったのでしょう。
結果として、私たちはプログラム終盤、ピアノ協奏曲第二番の最も有名なサビの部分でトリプルアクセルを決める伊藤を見ることになりました。
この演技を見たときの複雑な気持ちはいまだに整理ができていません。 なんと深い嘆きの気持ちだったことでしょう。
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