奈良日日新聞

トップ論点一覧 > 論点

論点

仲川市長の言動を訝る - 起こるべくして起こったガム事件

2009年09月18日

論説委員 田村 耕一

 「案の定というか、危惧(きぐ)していたことが起こった」とは、複数の奈良市幹部職員の感想である。仲川元庸市長の「ガム事件」はその意味で、起こるべくして起こったものと言える。
 市職員の話を総合すると、仲川市長は仕事中、常態的にガムを噛(か)んでいるという。就任後の各課ヒアリングの場においても、ほとんどガムを噛んでいたそうだ。所掌事務について真剣に説明する職員を前に、ガムを噛みながらとはいかにも横柄だ。また、日頃から職員に対しては極めて高圧的で、節度と配慮に欠ける言葉を投げ掛けるらしい。
 加えて、市長決裁は職員が立って説明する時は、市長が決裁書類を立ち上がって返す。市長が座ったままの時は、職員にも座らせるというのが奈良市のマナーであり伝統だった。相互に意を配した、うなずける光景である。しかし、仲川市長は座ったまま説明を聞き、その姿勢で書類を返す。職員間には不快感が高まっていた。このような非礼なやり取りを聞き苦々しく思っていた矢先、「ガム事件」が起こった。
 市議の指摘を受けた山本清議長が厳重注意をした際、仲川市長は「気管支が弱い」「咳(せ)き込まないように」とか言い訳をしているが、詭弁(きべん)に映る。
 先日、仲川市長は早朝、近鉄奈良駅前で街頭演説をしていた。その様子を筆者は目撃したが、のどが弱い様子も咳き込む気配も感じなかった。マイクを片手に滔滔(とうとう)と演説をしていた。また、選挙演説の際も同様で、ガムや飴(あめ)などの必要性は感じなかった。それとも、議場に入ると咳き込むのだろうか。
 仲川市長は先の市長選において民主党の支援は受けないと宣言していた。結果は全面的な支援であった。選挙公約であったガラス張り市長室の撤回をはじめ、仲川市長の発言に一貫性と重みを感じない。場面ごとの言い逃れや真実を伴わない発言は遠からず信用を失う。
 一方で、「若いから仕方がない」、あるいは「不慣れだから大目に」という意見もあるが、これは甘えであって、公人には許されない話である。年齢がどうあろうと、市長は市長としての責務を全うし、その品格を保持しなければならない。
 例えば今月4日、議会の一般質問において、松石聖一議員がJR奈良駅周辺整備工事4億5000万円にかかる随意契約について質問した。仲川市長は明確な説明ができず、「説明に足る情報を持っていない」と答弁した。
 松石議員に「説明できないような議案を、なぜ提案するのか」と切り返され、知識不足が露呈する形となって顰蹙(ひんしゅく)をかった。閉会後、仲川市長は「案件が多すぎて(議案内容を十分)聞けていなかった」と釈明したが、理事者としてはお粗末に過ぎる。このような釈明を聞くにつけ、「市長としての自覚は?」と問いたくなる。
 イギリスの社会学者マックス・ウエーバーはその著書「職業としての政治」で、「政治家に必要なものは見識、情熱、責任感」と説いた。本欄で見識、情熱についてはあえて触れないが、責任感については避けられない。
 37万市民を束ねる市長として、その言動には厳に慎重を期されるよう望みたい。市職員は下僕ではないし、市長は絶対君主でもない。執務に当たっては一定の礼節と緊張がなければならない。「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」とは言い古された言葉であるが、市長としての発言の重さと影響を吟味しなければならない。政治家としての責任感とはそのようなものである。

  • 購読のお申し込み
  • 奈良日日新聞創刊110周年記念特集
  • 広告のご案内
  • 寄稿のお願い
  • 奈良日日新聞 会社情報
  • ならにちホームページガイド

見えないものが観えてくる。「IT社長は新聞を読んでいる!」日本新聞協会

ホームニュース紙面内容紹介論点悠言録20代のコラム県内の行事

購読のお申し込み広告のご案内寄稿のお願い会社情報ならにちホームページガイド

当サイトに掲載の記事・写真・図版などの無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権並びに国際条約により保護されています。

Copyright Nara Nichinichi Newspaper