ログイン
IDでもっと便利に[ 新規取得 ]

検索オプション


榊原英資が景気を壊す日(1)/若田部昌澄(早稲田大学教授)

Voice9月11日(金) 12時48分配信 / 国内 - 政治

◇「ブレーン」ならどうするか◇

 8月30日の衆議院議員選挙の結果、民主党は308議席を獲得し、第一党に躍り出た。これによって短期間を除いて戦後の大部分にわたって続いた自民党政権時代にとりあえずの終止符が打たれた。

 もっとも民主党だけで参議院の過半数が維持できるわけではない。民主党は社会民主党・国民新党両党と連立政権を形成することになろう。

 選挙前には、閣僚の任命については十分な時間をかけて決めるという話もあった。実際にどうなるかは、本稿執筆段階ではまだわからない。

 だが、少なくとも重要閣僚はすぐに決めなければならないのではないか。あまり時間がたつと党内に人事をめぐるさや当てが激化し、また民主党の政権担当能力に疑問を投げ掛ける声が出ないともかぎらないからだ。メディアは飽きやすい。いまは好意的であっても時間がたつと批判に転じるだろう。本誌発売の段階では、すでに閣僚が発表されている可能性もある。

 だが本稿では、長らく「民主党政権誕生の暁には閣僚に」といわれつづけ、実際に2003年には民主党政権の閣僚予定者名簿で「財務相予定者」とされた榊原英資氏が実際に「財務大臣」として入閣した場合に、日本経済ははたしてどのようなことになるか、について考えてみたい。

 こう設定したのには、いくつか理由がある。

 鳩山氏は、「閣僚人事については『一番重要な官房長官、財務相、外相は政治家を起用したい。国会議員から選ぶのが肝要だ』と述べ、主要閣僚への民間人登用に否定的な考えを示した」(『産経新聞』8月17日付)と報じられているし、民主党内にはマクロ経済政策についても各種の声があり、榊原氏では色が強すぎるという意見もあるかもしれない。

 しかし、たいがいの国会議員はマクロ経済政策に無関心か、あまり効果がないと考えているか、公共事業と同一視しているのが関の山だ。「経済通」と呼ばれる議員でも、年金や税制といった個別の案件には詳しくても、マクロ政策に理解がない。

 また、「失われた10年」においてマクロ経済政策の評判は地に落ちてしまった。もっとも問題なのは「試されたけれども無効だった」という認識が広まってしまったことだ。マクロ政策のイメージが公共事業と結びついているために、「清廉な政治イメージ」を掲げる人こそマクロ政策と距離を置こうとするところもある。

 そこであえて、「民主党のブレーン」といわれつづけた榊原氏ならばどうするか、そしてその結果がどうなるかを考えてみたいのである。

 1つの「思考実験」として、以下シミュレーション的に追ってみたいと思う。

◇就任―必要なのは新しい政策だ◇

 首相官邸での記者会見が始まる。榊原氏は濃紺のスーツにネクタイで、いつもよりは控えめな印象を与える。

「8月30日、日本は革命的変化を迎えた。自民党政権の時代、急速に構造変化していく21世紀の世界に日本だけが取り残されてきた。その限界は官主導の経済政策運営にある。私の使命はこの官主導の国の在り方を打破し、新しい時代の変化に合った日本の国家戦略を描き実行することだ」

 さすがに論客であり、よどみがない。通常、大臣には就任前に役人がレクチャーを行なうのが慣例だ。氏の場合にはそれは必要ない。

 記者からの質問に移る。8月10日の財務省発表によると国と地方の長期債務残高はすでに816兆円に達し、また民主党の経済政策では歳出の増大が予想され、財政再建が大きな課題になると思われる。大臣の考えをお聞かせ願いたい。

「財政健全化の議論は古く、経済政策の議論としてはピントがずれている。日本経済の構造は新たな状況に入っており、日本の行政を変えてから論じるべきだ。まず霞が関の人員を半分にして地方分権を進めるなど、財政のかたちを変えたうえで議論すべきだ。現在の構造を維持したまま議論をしてもあまり意味がない。同様のことは年金や医療にもいえる」

 財務省の機構改革について大臣はどう考えるか。主計局を内閣府に移管させるという意見が出ているが。

「財政、金融の分離をうたった改革は失敗だった。金融庁については、再び財務省に統合するのが妥当だ。主計局の移管については、国家戦略局の立ち上がりをみながら慎重に考えていきたい」

 大臣の主計官僚嫌いは有名だ。しかし、主計局を移管させると財務省、そして財務大臣の権限は大きく減ることになる。目ざとい記者はすでに大臣が自説を修正しつつあることに気が付いた。

 景気対策についてどう考えるか、という質問に対しては自説を滔々と述べた。

「これまでの景気対策は、従来どおりのマクロ経済学に基づいた従来どおりのマクロ経済政策の破綻だ。必要なのは新しい戦略的発想に基づいた新しい政策だ。具体的には中長期を見据えた農業、エネルギー産業の振興だ」

 アジア共通通貨構想について質問が及ぶと、「ミスター円」と称されるだけあって、わが意を得たかのように話し始めた。

「アジア共通通貨構想は難しい側面もあるが、私としてはこれを国家戦略として積極的に推進していきたい。もちろん、アメリカやヨーロッパ諸国と日本がこれまで築いてきた関係を損なうものではない。アメリカともアジア諸国とも対等の立場で付き合うという民主党の外交政策と整合的である」

 かくして榊原大臣の初日は終わった。

◇9月―中長期的かつ困難な話◇

 発足時の内閣支持率は70%台に上り、期待は大きかった。就任直後から早速、榊原大臣は精力的に動き始めた。

 まずはお金の掛からないことである。審議会はそのままにして有識者懇談会を活用することにした。審議会には多数の利害関係者がいるので、ここをいじるのは得策ではない。もっとも与党と違う方針が答申されないように、財務官僚には釘を刺しておくのは忘れなかった。

 新設された「日本を変えるための有識者懇談会」(略称、日変懇)には加藤秀樹氏(構想日本代表)、水野和夫氏(エコノミスト)らが起用された。顔触れからわかるように、彼らは大臣と考えが近く、またミクロ的な政策を重視するという特徴をもっている。

 ことに水野氏は、今回の危機以前から従来の経済学の限界を強調している。1990年代の日本の大停滞においても物価の下落は構造的要因によるもので不況とは関係なく(『100年デフレ』日本経済新聞出版社)、今回の経済危機でもマクロ政策は無効であるといい、大恐慌以上に各種の指標が落ち込んでいたときに大臣同様、日銀は金利を下げるべきではないと述べている(「世界同時不況 日本は甦るのか」『文藝春秋』2008年12月号)。

 では何をすべきなのか。大臣の持論は「こういうときこそ本物の構造改革が必要なのではないだろうか」というものだ。

 具体的には「エネルギーと農林水産業に集中的に財政資金を投入して、こうした分野の活性化を図るのが望ましいと思われる。短期的にはともかく、中長期的にはほぼまちがいなくエネルギー不足、食糧不足の時代が到来する。原子力発電に加え、太陽光、風力発電に補助金を投入して実用化に向けて育てる時期であろう。また、自給率が40%にまで下がっている食糧の大増産計画を始める時期でもある。自給率60―70%をめざして農林水産業の拡大をはかり、こうした分野への株式会社の参入とそこでの雇用の拡大を目指すべきであろう」(「正論 世界同時不況の危機に日本は」『産経新聞』2009年2月6日付)。「日変懇」も、その線に沿っての答申を準備し始めた。

 だが、こうした現代版産業政策には問題がある。仮に生産性の低い分野があるとしよう。まずこうした産業を政府がテコ入れするというのは、効率性を損なう。ほかの効率性の高い産業か、国民一般から補助金を回すのだから、どこかで必ず負担が生じる。ただの昼ご飯はないのだ。

 それでも、「食料安全保障」の理由からテコ入れするというのは1つの判断だろう。しかし、だとしたら効率がよくなるという主張はできない。

 次に、農業ばかりでなく特定産業の生産性を政府のテコ入れによって向上させることができる保証はどこにもない。日本の場合はなぜか産業政策が成功したという神話があるものの、これは実証的には否定されているといってよい。

 また仮に農業の生産性が向上したとして、雇用は増えるのだろうか? むしろ生産性の向上によって少人数で多量の生産を上げることができるならば、雇用は縮小するかもしれない。

「日変懇」のもう1つの柱は、アジア共通通貨構想だ。早速大臣が中国、シンガポール、マレーシア政府要人と会談するなど、積極的に動いた。

 だが、なぜ共通通貨なのか。共通通貨を導入するのが有利なのは、いうまでもなく日本にとってのメリットがデメリットを上回ることだ。だが、ユーロをみてもわかるように共通通貨の形成はたいへん難しい。

 仮に中国と日本が共通通貨をもつとしよう。そうすると、中国の奥地から日本の東京までが1つの経済として見なされることになる。共通通貨をもつからにはヨーロッパ中央銀行に倣って、アジア中央銀行(ACB)が設立されるのだろう。このACBは、金利を決定することになるが、その水準はどこに定めればよいのだろうか。設定した金利は中国の奥地にとっては低すぎ、日本の東京には高すぎるということになりかねない。共通通貨は、じつはアジアのもつ多様な地域の発展を阻害する。

 いずれにせよ、ユーロと比べてもアジアで共通通貨を形成するのはきわめて困難だ。しかも中長期的な話である。

 かくして9月は中長期的な話で過ぎていった。

【関連記事】
祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印 鳩山由紀夫
ニコニコ動画のお粗末 山形浩生
ハコモノ廃止は“ご近所の力”で 佐々木陽一
郵政見直しが招く大損害 竹中平蔵
グリーン革命の楽観論 伊藤元重
グーグル情報革命の崩壊 山本一郎
  • 最終更新:9月11日(金) 12時48分
  • ソーシャルブックマークへ投稿
  • Yahoo!ブックマークに登録
  • はてなブックマークに追加
  • newsingに投稿
  • Buzzurlにブックマーク
  • livedoorクリップに投稿
  • Choixにブックマーク
  • イザ!ブックマーク
ソーシャルブックマークとは

  • Voice
  • Voice
  • PHP研究所
  • 2009年9月号
  • 2009年8月10日発売
  • 680円
  • 今月号の目次
  • 年間購読はこちら
  • 8月30日、日本の歴史は変わるか。鳩山由紀夫・民主党代表は、党人派の首領だった祖父・一郎元総理から学んだ政治信条を吐露する。