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榊原英資が景気を壊す日(2)/若田部昌澄(早稲田大学教授)

Voice9月11日(金) 12時48分配信 / 国内 - 政治

◇10月―景気後退局面◇

 秋になると、日本の景気は再び後退色を強めた。すでに今年に入ってからデフレの進行が加速している。

 もっとも大臣は、デフレは日本の停滞には関係ないという主張の持ち主だ。

 第1に、日本のデフレはグローバル化で中国からの輸入シェアが増えたことによる「構造デフレ」というものだ。それゆえ、デフレに金融政策は関係なく、日本銀行とも関係がないということになる。

 しかし、少し考えてみればわかるように、同じく中国からの輸入シェアが増えたほかの国はデフレを経験していない。昨年の後半からは経済危機でデフレ懸念が台頭してきたものの、イギリスもアメリカもおそらくデフレには陥らずに済むだろう。

 第2に、グローバル化した世界では一国単位の金融政策はいずれにせよ無効になる、というものだ。

 これはむしろ話は逆で、国際的な資金移動が自由なグローバル化した世界では金融政策がもっとも有効になる。金融政策を緩和すると、金利が低下し、それによって対外資金はこの国から流出することになる。これは為替を引き下げる圧力につながるから、純輸出は増えて、国民所得は増える。

 しかし一方で、榊原氏は「日本の低金利政策が円安バブルを生んだ」という言い方をする。少なくとも金融政策は為替という重要なマクロ変数に影響を及ぼすことができると認めているわけなので、政策無効の主張と首尾一貫していない。

 第3に挙げるのが、いわゆる「歴史的証拠」である。かつてのヴィクトリア朝期後半にもデフレが起きたが、それでも実質経済成長率は高かったというものだ。だから、現代でもデフレは経済の停滞に関係がないといいたいのだろう。

 たしかにヴィクトリア朝期に金本位制にあった国では1873年ごろからデフレが起きていた。しかし、そのデフレは1896年に終わっている。この時期のデフレは、金本位制という国際通貨制度の産物だった。

 1870年代に多くの国が金本位制を採用する。それは金に対する需要を引き上げたので、金の価格は上昇することになる。金の価格が上昇すると、金本位制の下では金で計ったモノやサービスの価格の下落が起きる。1896年にデフレが終わったのは、南アフリカやカナダで金鉱が発見され、金の需要に金の供給が追いついたからだ。

 この当時のデフレが金本位制特有の現象であったという証拠に、この時期金本位制を採用していなかった国、たとえば日本はデフレに陥っていない。そしてその当時、実質成長率がプラスだったと論じてもあまり意味があるとも思われない。それこそ当時の労働市場や、賃金の硬直性の度合いをきちんと考えなければならないからだ。

 日本ではデフレと雇用(完全失業率)の悪化が同時に進行するという事態が生じている。この関係を専門用語では「フィリップス曲線」という。かつてオーストラリア出身のA・W・フィリップスという経済学者がイギリスのデータから実証的に発見した関係だ。

 大臣は1970年代後半、いわゆる合理的期待革命の旗手として日本の論壇にさっそうとデビューしたという経緯がある(斎藤精一郎『経済学は現代を救えるか』文藝春秋)。そのときのテーマの1つは、こういうフィリップス曲線は長期的には存在しないというものだった。

 けれども理論的な基礎付けはだいぶ変わったものの、フィリップス曲線は合理的期待のあとにもかたちを変えて生き残っている。

 日本でデフレが続いているのは、日銀の金融政策と密接な関連がある。世評とは異なり、日銀の金融緩和の程度はきわめて少ない。日銀が量的緩和を行なった2001年3月から2006年3月に、貨幣供給量は5年間で11%しか増えていない(岩田規久男『日本銀行は信用できるか』講談社現代新書)。とはいえ、大臣が「日本銀行はかなり踏み込んで、政策対応を展開している」(「正論 世界同時不況の危機に日本は」『産経新聞』2009年2月6日付)と評価しているのでは、話にならない。

 このころ円高が進行し始める。最初はじわりと、そして次第にそのペースが加速していく。英米と日本を比べると、経済危機発生後の中央銀行の対応は著しく対照的だ。資産購入額を思い切って増やした英米では実質実効為替レートを切り下げ、危機に備えた。独り日本だけが切り上がり、生産が急激に縮小している(浜田宏一「日銀は産業界を苦しめている」本誌9月号)。

 だが、大臣は円高論者である。大臣はこれまでの超低金利政策を円安バブルの元凶と批判し「緩やかな円高をどう実現していくべきなのかを、そろそろ、財務省と日本銀行は考えるべきときに来ている」(『強い円は日本の国益』東洋経済新報社)という。2008年3月のインタビューでは「1ドル90円でも円高ではない」と述べていた(『週刊ダイヤモンド』)。

 なぜ円高が望ましいのか? 円高だと輸入品が買いやすくなるとか、原材料費が下がり、輸出製造業の合理化が進むという。しかし、日本は輸入だけでなく輸出もしている。輸出と輸入の差額を純輸出というが、円高になるとこれが減るので国民所得は減る。

 また、円高が進むと国内の輸出企業は海外に生産拠点を移してしまう。内需と外需の関係は単純ではなく、輸出企業が国内の設備投資や消費を支えているといえる。また輸出企業はおおむね生産性が高い。それをわざわざ円高にしてまで企業を苦しめて、まして合理化を進めるというのでは、いったい目的は何なのだろうか。

◇11月―拡大予算の財源は?◇

 11月中旬、7―9月期の国民経済計算四半期別GDP速報が発表された。4―6月期の数値が0.9%、年率にして3.7%とプラスであったのに対し、今度はマイナスに転じた。ここまではすでに予測されていたことである。

 4―6月期回復の原因は、輸出の持ち直し、補正予算による公共事業、そして散々批判されてきた定額給付金による消費増額の効果であった。しかしいずれにせよ、民間投資も消費も力強さに欠けている。プラスとなったとはいえ、前年比ではマイナスだ。アメリカ経済も底を打ち、中国も若干の回復を見せてはいるものの、輸出のこれ以上の伸びは期待できない。

 今後、輸出も政策の効果も少なくなっていくとするとどうなるのか。経済成長の鈍化は失業率の増大をもたらす。国際通貨基金(IMF)の見通しで、成長率がマイナス6.2%だとしたら、失業率は6%以上に上る。しかも大臣自ら認めるように、農業やエネルギー産業の振興は中長期的な対策だから、いまの時点には間に合わない。

 連立政権を組んだ社民党、国民新党はいずれも左右の支出優先政党である。社民党は民主党左派と組んで各種再分配政策を要求、国民新党もかなり強硬に公共支出の増額を要求した。

 結局、予算編成は前年度を上回る拡大予算にならざるをえなかった。財源をどうするか? 強引に経費節減を図ってはみたものの、ほんの2カ月で官僚機構の無駄を省力化できるわけもない。というよりも、何が無駄かを見抜くのが難しい。

 これ以上国債の追加発行はしないとなると、いわゆる「霞が関埋蔵金」を当てにせざるをえなくなった。大臣の持論は「特別会計の積立金は将来の支払いに備えて積み立てたもので無駄なものはない。年金や医療制度の問題はあるが、埋蔵金を使うという議論はインチキだと思う。ただ、特別会計の整理や年金制度を大幅に変えるという議論は別だ」というものだったが、背に腹は代えられない。

 これに、完全民営化が凍結され息を吹き返した政策投資銀行融資の活用をセットにすることにした。しかし、政投銀が融資するためには市中で資金調達をしなければならない。まさに民間銀行とその意味では同じであり、全体の貨幣供給量が増えるわけではない。

 さらに問題なのは融資先だ。相変わらず日本航空を支援するのだろうか? その辺りが曖昧なまま、国の関与はかえって増えていく。

◇12月―そして日本は◇

 円はついに70円台に突入し、株価が急落する。

 大臣は、為替介入を指示する。奇しくも、1995年に榊原氏が国際金融局長だったときに超円高が進んだときの歴史的円高水準と同じである。もっとも円高論者の大臣が介入をする「理由」も用意されていた。それは「長期的には緩やかな円高は望ましいが、急激な円高は望ましくない」というものだ。

 経済メディアは「第2次榊原介入」と書き立てた。だがこれは、正確には「第3次榊原介入」というべきだ。榊原氏は95年に続いて、財務官時代の99年にも介入したことがあるからだ。

 しかし財務省だけの介入では効果は限定的にならざるをえない。為替はほかの通貨との比較で測った自国通貨の価格だ。これは多くのモノやサービスの価格同様に需要と供給の関係で決まる。結局のところ、金融政策が動かないかぎり、市中に出回る円の量は変わらず、供給が変化しない。需要に対して政府としては原則的に影響を及ぼすことができないから、供給側を変えるのが有効だ。

 実際、95年の介入のときには公定歩合の引き下げが行なわれた。99年の介入のときには、2月に日銀は一気にゼロ金利にまで進んでいる。

 為替に長期的に影響を与えるには、それこそ日銀のいっそうの金融緩和政策が必要になる。しかし、日銀は緩和の余地はないという意見を変えないようだ。それに今回の大臣は名うての円高論者である。市場は榊原大臣の「本気度」を最初から疑って掛かることになる。介入の効果はすぐに途切れてしまうだろう。

 大臣は、すぐさま渡米し、サマーズ国家経済委員会委員長、ガイトナー財務長官さらにはルービン元財務長官とも会談を行なう。アメリカの要人との太いパイプを強調し、95年のときのように「アメリカは戦略的な観点から強いドルを欲している。日本の為替介入を歓迎する」というメッセージを引き出すためだ。

 しかし、「アメリカの時代は終わった」と公言し、アジア共通通貨を推進しようという大臣だ。それに何よりもアメリカの金融政策は緩和的な基調を維持している。円高が問題だと思ったら、日本も自分で金融政策を緩和すればよいだけの話だ。会談は実質的な成果を上げることなく終わった。

 いまやデフレは2%を超え、失業率は6%台後半に上昇した。警察庁が発表している自殺者統計は、すでに戦後最悪の数字を上回ることが確実である。

 政権発足から3カ月。そろそろ前任者のせいにはできない時期に差し掛かってきた。日銀は何かするだろうか。金融政策に効果がないというのが大臣の持論なのだから、日銀が自分から何かをする必要はない。何といっても現在の日銀総裁を任命したのは事実上、民主党なのだから。

 日本は厳しい冬を迎えた。

(※これはフィクションです)

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  • 最終更新:9月11日(金) 12時48分
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