2009年09月05日

良い侵害、悪い侵害

これがこれまでの日本の常識です。 

<引用開始>
今回は負け方の話です。
ビジネスを展開すれば、どうしても他人の知財を侵害します。交通事故みたいなもんです。では、そんなときはどうすれば良いのでしょうか?ここに例を2つ紹介しましょう。  


1つは綾小路きみまろのサラリーマン川柳盗用事件です。
人気漫談家の綾小路きみまろが、「サラリーマン川柳」のネタを盗用したことがありました。
芸能人としての生命を失いかねない事件です。
しかし、彼は非を認めて素直に謝罪。
加えて、カツラ疑惑についても認めてしまう清々しさを見せ付けてくれました。
これに世間は「憎めない奴だなー」と思わずニッコリ。
そして、現在においても、彼が芸能人として活躍しているのは皆さんもご存知の通りです

<引用終了>

http://www.soei.com/jp/ipinfo/iptopics/003/001436.php

 
 

もうひとつの例は、「最後のパレード」の謝罪の仕方です。謝らなかったから著者は出版生命を失ってしまった、と結論付け、綾小路きみまろ氏は良い著作権侵害であり、私は悪い著作権侵害と読者に印象づけています。

 

侵害とは「他人の権利や所有などをおかして損害を与えること(大辞泉)」です。侵害に良い侵害と悪い侵害があるのでしょうか。 


綾小路氏は謝罪しました。綾小路氏が第一生命のサラリーマン川柳と接点があり(著作物の存在を知っており)、罪となる事実を認識した上で自らが「手を出し」、自らのビジネスに利用したことに間違いがないのなら謝罪は当然です。あるいは、綾小路氏自身ではない氏の関係者が罪となる事実を認識した上「手を出した」のであっても、氏は謝罪したことでしょう。 


翻って「最後のパレード」の一件ではどうであったのでしょうか。読売新聞に掲載された「あひるさんありがとう」という著作物と接点(著作物の存在を知っていた)があったのでしょうか。 


「最後のパレード」に掲載された、「あひるさんありがとう」に酷似した「白い大きな手」は、ネット上から得たエピソードでした。「あひるさんありがとう」のオリジナルを違法にコピーした「第一の海賊版」をさらにコピーした「第二の海賊版」を元にしたエピソードを「最後のパレード」に掲載してしまったというのが事実です。

 
もちろん、「第二の海賊版」を出版物に掲載することは違法行為ですが、綾小路氏の一件と異なり、当方は著者も出版社も、「あひるさんありがとう」という著作物の存在を知っており、罪となる事実を認識した上で「第二海賊版」に「手を出した」のでないことは事実です。 

第一生命は綾小路氏を許し、氏の出版物とCDは著作権を侵害した部分を削除して再販売できたそうです。

当方が、読売新聞に掲載された「あひるさんありがとう」のオリジナルエピソードの存在を知っており、罪となる事実を認識した上で読売新聞の記事に「手を出した」のであれば、当然のこととして著作権者や関係者に謝罪していました。(それ以前に、オリジナルが読売新聞に掲載されたものとの認識が当方にあれば、このエピソードは100%掲載されませんでした。) 


これまでの日本社会は、綾小路氏の一件が「良い侵害」であり、「最後のパレード」の一件は「悪い侵害」と考える思想が常識の日本でした。しかし、これからは第一生命のように罪を許す「友愛思想」が常識になっていくに違いない、私はそのように確信しています。 


最後に、私が最も平成友愛維新を的確にとらえていると考えている記事を紹介します。

 

これは明治維新以来の「革命」である ── 「地域主権国家」への真直ぐな筋道 <引用開始>クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」

<引用終了>

 

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/09/post_358.html