2009-08-24 23:12:02

自分が自分を殺したら・・

テーマ:生命保険
自分が自分を殺すことを自殺と呼ぶ。これはある種の暴力と言えるが、それだけなら犯罪にはならない。加害者と被害者が同一人物だからであろう。

ごく稀に、飛び降り自殺未遂の際に、全く無関係の通行人と激突してその人が亡くなることがある。もし自殺未遂の人が重傷程度で生存していれば、罪を問われると思われる。もちろん殺意はないので、酷く重い罪にはならないであろう。まして自殺未遂するような人であれば・・

こういう自殺に関連して無関係の人が被害を受けるケースが新聞などで時々見られる。例えば硫化水素による自殺の際に、近隣の人がその有毒ガスを吸って死亡するケースである。自殺する本人は「毒ガス注意」くらいの紙をドアに貼り、それで大丈夫くらいに思っているのかもしれない。

しかし、一般人にはワケわからないって。

このような事件は刑事責任はともかく、責任能力なしの事件とは思われないので民事的な責任を問われる。だから状況にもよるが、加害者の資産は残らず損害賠償にあてられる感じにはなる。もちろん、全く資産のない人は払えない。この場合、巻き添えで死んだ人はまさに犬死である。(お金を貰ってももちろん本人は戻ってこないが、その被害者家族にとっては大問題。まだ小さな子供がいたりするからである)

拡大自殺は、例えばうつ病の人が自殺したいが、残した子供が不憫に思われるので殺すようなケースを言うように思うが、インターネットでは少し違った意味で書かれているものが多い。自殺したいができないので、死刑になるような大犯罪をするなどである。死刑にしてもらいたいらしい。

このような動機による事件が実際に起こるので、むしろ死刑を廃止した方が良いという意見がある。アメリカ風に言えば、仮釈放なしの終身刑とか懲役200年などにする。このような刑法だと、死刑以上に苦痛な状況が続くと思う人もいると思われるので、このタイプの犯行は減少するかもしれない。Wikipediaではなぜか僕が最初に挙げた拡大自殺の意味が書かれていない。おそらく複数の意味があるのだが、1つしか書かれていないのであろう。

うつ病の人に限らず、残した家族が今後困るという短絡的な判断で家族を殺してしまうのは(一家心中など)、極めて日本的ではあると思う。女性のうつ病に限らず、近年では夫が認知症の妻の看護に疲れ、殺してしまうような事件もある。

真に健康な精神状態では希死念慮は生じない。「それはない」と思う人は洞察ができていないだけだ。

普通、重いうつ状態を呈していて自殺する直前、「幼い子供を残して死ぬのは不憫だ」と思うことから発生する殺人事件は責任無能力(心神喪失)になるのは稀である。なぜなら、「自分が死んだ後の影響を理解できている」からである。(心神耗弱、限定責任能力あり)

また逆に子供を道連れにするのは可哀想だと思い、自分だけ自殺するケースも「影響を理解できている」点で心神喪失的とはいえない。(ただ、これは遺書でもない限り確かめられないが・・)

その点で、親や配偶者に「遺書を書く」と言う行為は心神喪失的ではない。(死の影響を予見できている点で)

自分が死んだ時、母親がいかに辛いかを考慮した内容ならなおさらである。

自殺の方法も同様である。例えばアパートなどで縊首自殺する場合、後で大家に両親がさんざん文句を言われて大変な目に遭うと思い躊躇うような人は、心神喪失的とは言えない。これは上に書いたように、死後の影響が理解できているからである。また「こういう死に方はきついだろう」と思えるものを避けるのも、同様に心神喪失的ではない。

そういうことも思いつかない人は、うつ状態でもかなり重いと言える。幼い子供が2人ぐらいいて、自分だけ飛び降り自殺する人は上に挙げた(子供を殺すのは可哀想)考え方より、「何も思いつかなかった」という可能性がずっと高いと思う。ということは、このケースはうつ病でも、限りなく心神喪失に近かったのかもしれない。(実は、限りなく心神喪失に近いものを心神耗弱と呼ぶので、この言い方はかなり変ではある。←重要

うつ病による拡大自殺、あるいは自殺では「うつ状態」という精神障害がその行為を支配している面が極めて大きいため、普通「完全責任能力あり」になり難い。しかし、今までに書いてきたように「責任無能力」にもなり難い。

結局、子供を殺して、自分(母親)は死に切れないような殺人事件は、心神耗弱となり、かなり軽い刑で済むケースが多い。殺人事件なのに執行猶予がつく場合もある。この理由は2つある。

1つは、この殺人事件は極めて日本人の琴線に触れる事件であること。裁判官の裁量で軽い刑になりやすいのである。(つまり情状酌量)

もう1つは、加害者と被害者が同一家庭にあり、被害者と加害者が同一とも言えるからである。これは近年「被害者の心情を酌む」という判決傾向にも関係がある。残された夫からしても、子供は殺されるは、妻は無期懲役になるわでは、かなり悲しい判決と言える。この場合、寛大な判決を望むケースがほとんどである。だからこそ、法律家により配慮されるのである。

だいたいこのタイプの殺人事件は、いかにも身内の人が殺したような状況が見て取れることが多い。つまり怨恨などの殺人事件ではないため、遺体をできるだけ傷つかないように大切にしているとか、誰が犯人なのかわかりやすい状況になっているのである。(現場に千切れた指が落ちているとか、凄惨なものにはならないと言う意味)

しかし実は裁判官にとって犯人の心情が理解できればできるほど、犯人には正常な精神が残遺しているとも言えるのである。だから、その点で矛盾するのだが、日本ではそう扱われているのであった。(犯人の罪を重くしろと言っているのではない)。

少なくとも、うつ病による犯罪が「限りなく心神喪失に近いとはいえない」ようなものでも、心神耗弱とされ、更に情状酌量されて比較的軽い判決を受けているのが実際である。

日本では生命保険加入以後に精神疾患を発病し自殺した場合、加入後2年を過ぎていれば保険金がおりるようになっていることが多いが、この2年にはバラつきがあり普通は1~3年ぐらいである。(詳しくは保険証書の定款を見よ)

実はこのルールには非常に問題がある。

精神疾患は罹患したことがある人ならわかるが、平均してずっと治療している人と、治療的になにもしておらず、しばらくどこにも通院していない時期が数年ある人が存在する。だから、生命保険加入時点で不備がある人があんがい多いのである。

特に中年の男性患者さんの場合、うつ状態で追い詰められて自殺しようと思ったとき、子供や妻は自分の生命保険があるから、その後生活は大丈夫だ、くらいに思うことがある。

これこそ最初に書いた、まだ正常な判断力が残っている部分である。(つまり心神耗弱)

これはある意味、保険金を当てにした自分への殺人事件である。もし生命保険がなかったら、自殺までは決断できなかったかもしれないのである。

結局、このある種の保険金殺人事件は最後の最後で失敗することも多い。そう易々と保険金を支給するようなぬるいことを保険会社はしないからである。これは過去にいかに不法な保険金の未払いが多かったかを見てもわかる。

現在、日本はデフレが長く続いたこともあり、各保険会社は実質大赤字の保険を多く抱えており、また株価の下落もあって、必ずしも財務が健全ではない(生命保険会社による)。高い予定利率の時代の保険がまだたくさん残っているからである。(予定利率の高い終身保険など)

各保険会社は自殺による保険金支払いについてはかなり慎重であり、加入者に落ち度がないか徹底的にお金をかけて調べるようである。(専門の調査機関に依頼する)

例えば、ある人が自殺するまでに、A、B、Cの3つの精神科病院にかかったとしよう。すべての医療機関にかかる以前に保険に加入したもので、規定の期間(2年くらい)を過ぎていれば、まず問題なく死亡保険金が支払われる。これは落ち度がないからである。

問題は複雑な経過をとり、病院にかかったりかからなかったりした場合。このような時、その精神疾患が一連のものか非常に微妙なことがある。当初は全く病態が異なるように見えることがあるから。そのような時、ギリギリ告知義務違反だったりすると、もちろん支払われない。その理由は保険金額が大きすぎるからであろう。

調査員が各病院を訪ねて、いろいろ話を聞くが、各病院のドクターのコンセンサスは必ずしも一致していない。このような際、各病院の歴代の主治医の連携などないに等しい(そのうち1名でも、「あれは一連のものでしょう」などと言われると非常に不利になる)。たぶん最も保険会社にとって都合の良い意見を採用するのであろう。また保険会社にも顧問の医師もいる。

かくして、期待した保険金は往々にして支払われないのであった。

実は裁判でもして戦えば、保険会社が負けるのではないかと思えるような人にも支払わなかったりすることもある。これは裁判をするかどうかはその家族の判断だが、こういう民事訴訟を起こすのも大変と言えば大変である。それは真実が客観的なものではないから。証明することすら難しい。これは例えば公判鑑定で異なる診断名がゾロゾロ出てくることでもわかる。おそらく、第一感で勝てそうに見える裁判でも実際に勝ちきるのは容易ではない。保険会社の顧問弁護士も腕利きだからである。

一般に保険金を期待して自殺するような人は、細かい判断力が衰えていることもある。また一般にある期間が過ぎれば自殺でも保険金が支払われるように言われているし、そこまで考えが及ばないのであった。

結局、自殺は原則、保険金を支給しないようにした方が、かえってそのようなタイプの自殺が減少するのではないかとすら思う。自殺の決断の根拠に「生命保険があること」が入り込んでいるからである。

これは最初に書いた拡大自殺と死刑の話に似ている。
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2009-08-23 16:31:33

天災、事故と生命保険

テーマ:生命保険
生命保険は、天災、戦争などでは支払われない。だから本来、地震、津波での死亡は支払われないのが普通である。

関西大震災のケースでは早朝に起こったこともあり、地震の規模に比べ死亡者が膨大な数にならなかった。そのため、日本政府の保険会社への指導もあり生命保険金が支払われたようである。あの震災でもし夥しい人数が死亡していたら定款に基づき支払われなかったであろう。その理由は保険会社が破産するからである。(この定款は保険会社のリスクヘッジ事項といえる)

その意味では、関西大震災は特別なケースであった。今でもそれ以外の津波などの天災で生命保険が支払われなかったなどの話を聞くが、それは定款の通りなのである。関西大震災は特別に支払われて小規模な津波の死亡で支払われないのは被害者にとって不公平感があり、納得できないかもしれない。(国民の注目度の差と思う)

生命保険は、「そんなことをしたら死ぬかもしれないだろ!」と言うようなことをして死亡した場合は支払われない。例えば、ハングライダー中の事故による死亡はたぶん支払われない。(ハングライダー中の怪我も同様である)。

騎手、競輪選手、競艇選手は生命保険に入れないはずだ。だから選手などの師弟で将来、親と同じ職業を目指す人は、子供の頃に生命保険に入っておくらしい。そうすると競技中の事故による死亡は支払われなくても、その他の疾患が支払われる(交通事故や病気)。

スキューバダイビング中の事故はどうも支払われないような気がするが、実際はどうかは詳しくない。スキューバダイビングのライセンスは日本では簡単な講習でとれるが、海外に行くとライセンスは誇張してとらえられ、かなりの名人に思われるためかつては事故が時々起こっていた。素人に毛が生えている程度なのに、そうとは思われていないから。オーストラリアなどの海でスキューバダイビングで死亡した日本人は勝手に泳いでいて、ボートから放置されたような感じになり、そのまま死亡するというパターンもあったという。名人なので自主性を重んじているんだと思われる(僕の友人の話)。

まだ大学を卒業した頃だが、友人と沖縄の離島に遊びに行った時、体験ダイビングをやってみたことがあった。船から潜水具を着て飛び込む際に、どうも息苦しいというか、呼吸に負荷がかかっているような気がしてならなかった。

もう飛び込みますよ!

と言うインストラクターに、是非、もう一度器具を調べてほしいと頼んだ。調べたところ、

栓を抜き忘れていました!

と明るく言われた。どうも指導員が酸素ボンベに繋がる栓を抜いていなかったようなのである。栓を抜いていないから息がしにくいことが判明し、再整備して海に飛び込んだ。

その日、その事件で疲れ果て全然楽しめなかった。もし栓を抜かずに飛び込んでいたら、たぶん溺死していたような気がする。あれは器具が重過ぎて自力では到底浮上できないからである。

最初の説明でインストラクターの人は、何らかの故障で呼吸が出来なくなったら、インストラクターのマスクを取り上げて使ってください、などと笑い話風に言っていたが、実際にはパニック状態になり、何が何やらわからないうちに死亡する確率の方が高い。なぜならダイビングをする人数に比べ、インストラクターは少なすぎて、すぐ近くにはいないからである。海外での日本人のスキューバダイビングの死亡者は、

なぜなんだ!

という顔つきをしていると言う。不条理さが顔に出ているんだと思う。とりあえず、特に離島でのダイビング指導員は責任感ゼロと思ったし、結局はダイビングで死ぬのは自己責任のような気がしたので、生涯スキューバダイビングはしないことにした。だからさんざんハワイやオーストラリアに行っているが、その後スキューバダイビングはしたことがない。

話が戻るが、子供の頃、近所の人がモーターボートから転落し、スクリューで首を切り亡くなったことがあった。そのケースではやはり生命保険が支払われなかったようである。危険とわかっている行為では支払わないことが、むしろ一般の加入者全体を考えるに公平という理念がある。当時、僕は(近所の人もそうだが)なんとケチな保険会社だと思った。そういうことで同様に酒気帯び運転中の事故による死亡(運転者)では生命保険が支払われない。

イギリスにロイズという有名な保険組合がある。これはなんと17世紀の終わり頃に発祥しており、当初は船舶事故などの保険を引き受けていたらしい。当時のロイズはただのコーヒーハウスのような場所であり、当初は不謹慎な商売と思われていた。イギリスは植民地と船舶による貿易がさかんであったが、当時は度々船舶事故が起こっていた。出て行ったきり戻ってこない船舶も多かったからである。(10隻に1隻は戻ってこない感じ)

つまり、「船舶事故の補償はしますが、その保険料を頂きましょう」といった感じだ。今の火災海上保険みたいなものである。ロイズの凄いところは、戦争であれ天災であれ何でも支払っていたことである。実際、関東大震災の際にあるビルが崩壊した際に、ロイズに保険をかけていたため保険金が支払われたという話を聞いたことがある。

湾岸戦争中などは、中東近辺の船舶の保険料率が急騰していた。なぜ急騰するかだが戦争行為でも保険が支払われるからである。最近でもソマリア沖の海賊などのため、あの海域を通る船舶の保険料率は高いと思われる。ソマリア沖の海賊と自力で交戦して逃れた船舶は北朝鮮籍のものだけと言う。交戦できるだけの装備をしていると思われる。

アメリカの911事件でも、貿易センタービルの破壊、崩落のため、日本の保険会社が1つ潰れている。あれは日本的に言えば、テロ行為なので支払い義務が生じないタイプの事件だが、世界的にはロイズもそうだが、支払いをする保険が存在しているのである。あの潰れた保険会社はリスク分散がまずかったと思われる。まあ、貿易センターのツインビルが破壊されるなんて想像もしていなかったこともあると思う。

ロイズはブローカーとアンダーライターにより形成されており、ロイズ自体は場みたいなものであるらしい。シンジケートを作り、ある保険のほんの1部分を引き受ける。リスクを分散することが極めて重要なのであろう。アンダーライターは本来、無限責任を負っており、大事故が起これば、破産しようが保険金を支払わなくてはならない。

だから、古典的アンダーライター(ネーム)は貴族などのとてつもない資産家がなっていたようである。もし思わぬ大事件が起こり、膨大な支払い義務が生じた際、美術品や貴金属を売却し支払いにあてていたと言う。初期のロイズが不謹慎といわれたのは、人の不幸を金儲けの対象にしていることがたぶん関係している。

比較的最近の話だが、20世紀の終わり頃、一般の中産階級の人たちがロイズに入ってきた時期があった。これはやはりこの保険組合(つまり貴族などのネームの人々)は儲かっていたからである。

ところが、その後、ヨーロッパに天災が相次ぎ、またアスベスト問題もあって、中産階級の人々は次々と破産、没落する結果になった。無限責任を負っていたからである。これはロイズにとって非常に問題があった。いかなる理由でも完全に支払うことでロイズは絶大に信用されていたからである。現在、有限責任の法人ネームも1992年頃から募集されるようになっているらしい。



2007-12-15 18:45:31

生命保険入院給付金と外泊

テーマ:生命保険
精神科に入院中、外泊の希望があり数日外泊したとしても、その外泊日の生命保険の入院給付金もやはり支払われる。このようなことは書かなくても当然と思う人もいるかもしれないが、精神科の患者さんは真面目な人が多いのか、そういう風に思わない人もいるようなのでここで紹介してみた。

例えば2007年の10月1日から11月15日まで入院加療したとする。10月は31日まであるので、トータルの日数は46日である。この間、例えば10月17日~19日、11月1日~3日の2回の外泊をしていたとしても入院期間は46日とみなされる。1日の入院給付金が5000円の場合、23万円が保険金として支払われるはずだ(入院1日目から給付を受けられる場合)。

この考え方だが、外泊も精神科治療をしていることに変わりがないということが1つ。あと、生命保険の診断書にはそこまで詳細に書くようになっていないというのもある。見たことがある人ならわかるが、生命保険診断書の書くスペースはすごく狭い。精神科の場合、病歴や経過を書こうと思ってもあの狭さではたいしたことが書けない。僕はそれでもある程度はどのようなことがあったか書くようにしていた。なぜかというと、後で雑すぎて問い合わせがあったら恥ずかしいから。

ずいぶん前に交通事故で大追突をされ、夫婦2人で入院したことがあった。入院した整形外科病院のドクターは学生時代に教えて貰っており良く知っている整形外科医だった。退院後、診断書を書いて貰ったら、病歴、入院治療のところがなんと1行半くらいだった。あの時のショックは忘れられない。

なんだ、整形外科医はあれくらい書けば良いのか・・と思ったのである。

その事件以来、僕の生命保険の診断書は相当に雑になった。O型性格に更に拍車がかかったといえた。まあ入院給付金なるもの、入院したという実績は確かなので、内容はろくに見ていないのだと思う。また雑に書くくらいの方がプライベートなことが語られないのでなお良いというのもちょっとだけある。

保険会社はそういうことより告知義務違反などがないかくらいをチェックしているのではないかと思われる。保険会社にとって、そのほうが切実だから。



2007-08-26 22:18:56

無事帰ってきました

テーマ:生命保険
親戚の人たちの家を訪問したりで、さすがに疲れた。親父の墓参りもなんとか終了。会えないと思っていた友人も1時間くらいは会えた。僕の高校時代の友人はあまり地元に住んでいない。ほとんどが県外に住んでいて、地元にいるのは親の事業を継いだ人、市役所などの公務員、学校の先生くらい。

高校時代の理系の同級生は特に地元に戻ってなくて、高校の同窓会も容易でない状況。まあこれは幹事をする人がいないのも大きいのかも。それに対し、小学校や中学校の友人は相対的に地元に住んでいる人が多く、わりあい同窓会も開かれている。

中学校時代の同窓会をしていつも思うのは、あまりにも人間は死なないものだということ。「あまりにも」という言葉は変は変だけど。名簿を見ていて欠員があまりいない。

生命保険は例えば死亡時3000万だったら、事故死の場合5000万~6000万くらいに割り増しになっていることが多い。これは事故死の確率が、皆が思っている以上に低いことがある。人間は事故で死ぬのは非常に難しいらしい。それに対して病死は非常にありふれている。これは日々のニュースからすると感覚的にはそう思えないのだが。

まあトータルではそうなのだが、10代~20代だと病死で死ぬ疾患が限られるので、たぶん相対的に事故の確率は増えると思われる。10代~20代の病死とは、白血病やスキルスなどの特殊な胃癌などである。

自殺は保険的には病死扱いである。これはある加入後一定期間は支払いがされないルールになっている。よく共済などで、非常に少ない掛け金で高い補償額が設定されているのは事故死しか支払われないから。もちろん自殺は支払われない。掛け金の少なさこそ、事故死の確率の低さを表している。

僕の中学時代の同窓生で亡くなっている人は、交通事故、白血病、妊娠中毒症(たぶん腎不全)くらいなのであるが、自殺はあまりわからないのが実情。自殺死は交通事故死の3倍以上いるから全然いないはずはない。それでも、全体では健在の人が圧倒的に多いのである。

男性の自殺死は若い人が多そうに見えるが、実はそうではない。中年以降が多いのである。これは僕の試験のヤマでもある。かつて、終戦後の一時期、若者の自殺が流行した。これはまさに流行といって良かった。なぜなら女性もそういう傾向があったからだ。今は、そのようなものはなく、男性の場合中年を過ぎるくらいまでなだらかに自殺率が上昇するグラフになっている。(その後下がっている)

僕はこのようなグラフになっている主な理由は、日本の経済的要因(長期間の不況)が大きいのではないかと思っている。



2006-07-17 00:14:24

精神疾患と生命保険について(その2)

テーマ:生命保険

生命保険を加入する前に、現在、病気で治療中であるかどうか調査書に記入させられる。これは病気がある場合、加入してからいきなり保険金を受け取ることもできるわけで健康である人に比べ著しく公平を欠くためだ。このルールは精神疾患に限らず、すべての疾患についても同様である。病気があるのにもかかわらず、それを書いていない場合、「申告義務に違反する」とされ、保険金が支払われなくなる。


過去に罹患したものに関しては、時間が経てば問題がない場合も多い。例えばインフルエンザがもう治っているのにいつまでも加入できないなら、それはむしろ保険会社の損失になってしまうからだ。もし病気になってから加入可能なら、健康な時は誰も保険に入らない。というか健康な時に入る意味があまりない。


精神疾患の場合、思春期に発病する可能性もあるわけで、現在の日本の経済環境だと加入していない人も多い。もう勤めを始めてから発病した場合なら、加入しているケースも多くなる。だから精神科医からすると、精神科の入院患者は生命保険を受け取るケースが少ないように感じる。いつの時点で生命保険に加入したかが大切で、おおおざっぱに言えば、最初に精神科にかかった初診日が基準になる。初診日以降に生命保険に加入している場合、普通、その疾患が原因なら何があっても支給されないのが普通だ。申告義務に違反しているからだ。精神疾患を申告していたなら、生命保険に加入するのはおそらく難しい。ここで、わかりやすいように例を挙げる。


2001年1月、不眠が発生。学校(仕事)を時々休み始めた。

2001年7月、○○生命保険に加入。

2002年1月、うつ状態を呈しAメンタルクリニックを初診。以後、外来       通院する。

2002年4月、申告せず△△生命保険に加入

2002年10月、病状悪化し、B精神科病院に転院。外来通院を開始。Aクリニックには通院しなくなる。

2002年12月、病状が更に悪化し、2ヶ月の入院。

2003年2月、軽快退院後、外来通院を継続。


こんな場合、一般的には、○○生命保険の入院給付金の受け取りは可能だが、△△生命保険は受け取りは困難である。この患者さんの場合、2001年には1月には既に精神疾患は発生していたかもしれない。専門的に言えば、2001年からの不眠を含めた精神面の不調は一連のものである可能性が高い。もちろん断言はできないが。当時、本人には病気になったという意識が乏しいであろうし、だいたい病院にもかかっていない。Aクリニックの初診時には、きっと2001年1月には不調であったということを話していたと思われる。初診時には通常こんな風に病歴を聴かれるものだ。だから、もし主治医に病気の発生(この日を記載する欄が生命保険の診断書にある)は2001年1月と診断書に書かれてしまった場合、○○生命保険会社でさえ、入院給付金が支給されるかどうかが微妙になる。この申告義務違反があるかどうかの調査が必要になり事態が複雑になるのだ。


こんな時は、たいてい調査専門の会社の調査員が病院に事情を聴きにやってくる。(生命保険会社は調査は外注に出すようだ) 上の例の場合、2001年1月と発生日とされた場合でも判断は微妙だと思われる。なぜなら患者さんに悪意がないと思われるからだ。支給するかどうかは保険会社の個別の判断による。


ところで医師からすれば、そもそも病気の発生を2001年1月と書く必然がない。なぜなら、不眠や体調が悪くて会社を休むなんてことは、普通の人でもありうるからだ。つまり、2001年1月の疾患発生には証拠がない。精神疾患は、何年何月何日に突然発病するとわかるものは極めて少なく、診断書の発病日も「何年何月頃」くらいに書かれることが多い。したがって上記の場合、発病日の判断は医師の裁量に任される範囲と考えられる。はっきりと存在するのは初診日だけだ。だから患者さんの方もいつ生命保険に加入したか良く確かめて診断書を書いてもらわないといけない。(医師もそれを心得て診断書を書かないといけない) ちょっとしたうっかりで、保険金が出なくなるのはバカらしい。


絶対あいまいにできないのは初診日で、これだけは変更できない。これは書類上、厳然と確定されたものであるからだ。これをごまかした場合、保険金詐欺と同じだ。だいたいこれができるなら、どんな不正もできると言える。


(以上その2は終わり。その3に続く)


2006-07-16 10:46:22

精神疾患と生命保険について(その1)

テーマ:生命保険

精神疾患のため入院をした場合、入院期間に応じて1日あたりいくらという感じで保険金がおりる。これは当然のことなのであるが、ずっと以前はそうではなかった。1985~1986年頃は、生命保険で支払われる病名で精神疾患は除外疾患になっていた。当時ようやく、疾患対象によっては支払われるようになっていたような状況で、例えば「うつ病」だと支払われないが、「抑うつ神経症」なら支払われていたような記憶がある。


支払われない理由だが生命保険の言い分は、「精神疾患は遺伝病だから」ぐらいだったと思う。つまり、その素因を持たない人に比べ、元から素因を持つ人に支払うのは公平を欠くという見解だった。かなり変な理由ではあった。なぜならその当時既に、すべての病気は遺伝子に由来するという考えが浸透し始めていたからだ。上で、抑うつ神経症なら支払われるが、うつ病ならダメという考え方も、統合失調症とうつ病は内因性精神病であり、それに比べ抑うつ神経症は環境や後天的な要素が大きいと判断されたからあろう。


その後日本にバブル期が訪れ(1986~1990年)、土地、株などの値上がりで生命保険会社が大変儲かった時期がある。含み資産が膨大になり、生命保険会社の経営はかなり余裕があった。当時、日本精神病院協会などが生命保険会社に働きかけて、精神疾患でも保険金が受けられるようにしてもらったという。(という話。細かいところは自信なし) その後、デフレなど予想もしないような経済的苦境に日本経済は陥ったので、本当に良い時期にルールを変更してもらったと言えた。生命保険会社がいくつか潰れるような不況が長期間に続いたから。


生命保険会社が精神疾患に対し保険を支払い始めてからも、規定があって支払われない疾患があった。それは、覚醒剤、麻薬による後遺障害などの精神疾患と、アルコール依存症である。これは、明らかに本人の落ち度があると考えられる疾患であり、麻薬・覚醒剤にかかわるものは現在でも支払われない。これは当然といえる。しかし、アルコール依存症は比較的長く例外になっていたが次第に考え方が変わり、近年では支払われるようになっているらしい。(実は当院はアルコール依存症は扱わない方針で、そんな人が入院することがなく、僕はアルコール依存症の生命保険金診断書を書いたことがないのだ)


支払われない理由の本人の落ち度だが、アルコール依存症の場合、一概に本人の落ち度のみといえない面がある。まあ、ある程度、依存症の要素があるにしても、アルコール依存症の人はうつ状態などをしばしば合併しているので、それをメインに書けば診断書としては良いような気がする。紆余曲折を経て、統合失調症とうつ病の2大疾患は保険金を受けられるようになったのである。



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