「魂の成長の段階も人それぞれ 」→→布教ブログ(KENさん)
今日はタスクさんからYahooブログの書式設定を教わって書いています。
カテゴリー/魂の軌跡・幽霊、心霊
すべてを解き放ち、すべてを委ねるとは、信頼すること。
そこには常に自分によりそう存在たちがいて、
そんな存在たちは、癒してくれるし、力も与えてくれる。
その上で、本当の自分の主体性と力が発揮できる。
でも人にはそれぞれの所業があるのであって、「委ねる」段階にない人もいる。
そんな人は「委ねる」などしたらどんな目にあうかもわからない、などと思っている。
そんな人にとって委ねるとは、確かに苦しみをともなうが、
それでも成長のプロセスは速いでしょう。
でも、そんな人はだいたいにおいて、委ねるなどとありえないなどと思っている。
なにしろ不安で怖いのだから。
僕の所見KEN(Ken)さんは盛んに「委ねる」「委ねる」と言っていますが、同じことを自分だけはやっていないのです。
つまり「委ね」の対象がバーチャル上の「KEN」という創造神だから、その理屈が成り立つのです。
上記ブログは催眠術の手法を使っていると僕は思っていて、それを本人が無意識でやってるとしたらもうなにか怪しいドラッグをやってるか、
本人自体が何かの洗脳を受けているのかのどちらかだと思います。
少なくともタスクさんや師匠の話、そしてもう一人のチャネラーにも話を聞いてみたところ、
≪KENさんには「人を洗脳する」ことにおける自覚症状はあるものの、「洗脳」ということについての罪悪感が欠けている≫という話でした。
僕はチャネリングとかアカシックへのアクセスとかは出来ません。
だからKENのような人の口車にきっと、惑わされたのだと思っています。 でも一度惑わされた経験があったからこそ、二度は惑わされないだけの強さをここで学んだかもしれません。
だからと言って皆さんにも同じものを学んで下さいとは、怖くて言えません。
KENさんは読者のコメントを沢山貰うために、日に洗脳を目的とした復唱ブログみたいなものをいくつも書いています。
KENさんの中の野望はいつか、自分が世界の中心に在ることだと師匠は言います。 そのことに気がつけば確かに、すべてのKENさんの異常な執着に対して合点が行きます。 |
コメント(1)
おっしゃる通りです。KENさんは間接的に「私に委ねなさい」と言っているようにしか、私にも見えません。
読んでいておかしいと思うことは、KENさんがなぜこうした摂理遊戯にムキになり読者を巻き込みたいのかという心情です。
そしてそのことに本人が無意識だということは、本人のグラウディング能力の欠如を表すのではないでしょうか?
人格崩壊ということも出来ます。
これが遊戯である間はまだしも、遊戯はある地点を越えると必ず現実にその巣を作り始めるものです。
その時、教祖が誰かもわからない状態で教義だけが一人歩きし、信者たちがその名前で発信されていく著述に対して、無条件で受け入れるシステムだけが完成していることだと思います。
2009/8/20(木) 午後 8:42 [ こころの旅人 ]