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和田薫 (元UFAマネージャー。現ハーモニー・プロ社長。EE JUMPソニン、安めぐみ所属)
生年月日1965年4月8日  住所 東京都渋谷区広尾 

2001年4月 和田インタビュー
http://www.fmp.or.jp/express/realvoice/r_0104.html

762 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:03/08/25 04:10
和田マネ略歴
65年 大阪生まれ 春日部に引っ越しその後都内へ 
80年 竹の子族だったミッキーのマネージャーになる  『刑事ヨロシク』 
81年 正式にマネージャー業につく マコロン入り 豊島ひとみ担当 『西部警察』 
85年 大西結花担当になるがトラブルがありマコロン退社 
86年 IVSテレビ制作入社   『元気が出るテレビ』『上海紅鯨團が行く』 
87年 ワンアップミュージック宣伝部に入社 田中義剛担当 
88年 兵藤ゆき担当 
89年 森高千里担当 
91年 新人(シャ乱Q)担当に決定 
98年 グループ内独立「ハーモニープロ」設立 
   社外からの出向という形でモーニング娘。のプロモーション・マネージャーになる 
00年 娘。担当から離れ新堂敦士、EE JUMP、高野頼子担当 


●2003年8月発売のQUICK JAPAN vol.50より
和田の両親はどちらも高学歴。祖母は医者、祖父は大学教授。
和田はタバコ吸ったり万引きしたりの落ちこぼれでコンプレックスがあった。
UFA入りの切っ掛けは和田が担当してた大西結花がポリスターだった事。
当時のポリスター宣伝部長が山崎直樹だった。
和田は大西結花から離れた後IVSでADを1年間やってたが、
そこを辞めてすぐ山崎会長の所に相談に行ったら「ウチにくれば?」みたいな話になった。
和田は宣伝がよく出来たからそれを認めてもらえたんだと思う。

98年、山崎会長に「会社を作れ」と言われてハーモニープロモーション社長に。
ASAYANのモー娘。企画の話が来た時、和田は「外しそうだからイヤだ」と言ったが
山崎会長に「番組を通じて新人が集まる。シャ乱Qだけじゃなく経営者の事も考えろ」と言われ、
「こりゃ引き受けなきゃダメだな」と思った。
モー娘。デビュー初期は衣装とかは和田が決め、
振り付けはASAYAN側が夏まゆみを連れて来てて既に決定済み。
企画はつんく、タカハタ、和田の3人で練ってた。
3人でああだこうだと話しながら決めてたので、今となっては誰の発案だったかあやふや。
この頃の制作体制はASAYANで放送されてたまんま。

6thシングル「ふるさと」での鈴木あみとの対決前に一度、モー娘。とあみの発売日が重なりそうになったが、
その時はモー娘。の方が勢いがあったため鈴木あみサイドが発売日をずらした。
「ふるさと」の対決企画は偶然ああなっただけ。裏でいろいろあったように言われてるが、
当時は目の前の事だけしか考える余裕が無かった。あみ側とも電話で「お互いに盛り上がればいいな」
と話してる。UFA側にもLOVEマシーンが売れるかどうか懐疑的な人がいた。
和田は絶対イケると思ってたからzetimaに「品切れさせるなよ」と言ってたが、それでも品切れになってた。

和田マネがモー娘。から離れたのは「恋ダン」の辺りから。
(以下、原文ママ)
和田:「上には前の年から『新人をやれ』と言われてましたし。あの、すごく難しいんですけど
つんくもつんくで僕と仕事してると僕に対してどこか気をつかうところがあるんですよ。
会長も会長で、僕が言うこときかないっていう変なもどかしさはあったと思うんです。
そうした事に対して僕も引きはじめたというのがありました。
これ以上やってても僕らの関係として良くはならないだろうなって。
僕は自分の会社で自分のタレントをやれって言われてる人間なんだと。
そういう意識を途中から持ってました。今までは『えー?!』っていう絶望感だったんですけど
モーニングの時は意外とさっぱりしてましたよ。」

ユウキが失踪した時の担当は女性マネージャー。
失踪後にソニン1人でライブ回ったが客は激減した。ユウキの女性人気は当時から圧倒的だった。

めちゃイケでやった濱口ダマシ企画は片岡飛鳥のアイデア。やらせ無し。
ソニンの裸エプロンとPVでのユウキの切腹は和田のアイデア。



●Quick Japanで連載中の「和田薫 芸能界日記」

QJ vol.51
・業界人の多くはテレビ局によく情報交換に来る。そこでコネを広げる。
・より子は充電中。「作曲が辛くなってきた」
http://huysd2dhdhj9.hp.infoseek.co.jp/zassi_musume/wada_QJ1-1.jpg
・芸能界の大御所の人とF1観戦。サーキットにヘリで直陸。
・仲良しのヤクザがいる。サウナ友達。
・2003/10/14 モー娘。2人と飲んだ。愚痴を聞かされた。
http://huysd2dhdhj9.hp.infoseek.co.jp/zassi_musume/wada_QJ1-2.jpg

QJ vol.52
・つんくに「次の曲はより子のカバーで」と失礼なお願いをした。つんくは快諾。
・KEMUSHIという六本木ショーパブでよく飲む。業界人・タレント御用達の店。
・トイズ:「今まで通りの宣伝費を投下してソニンを手がけるのは難しい」
・ソニンのインディーズレーベル立ち上げは山崎会長の助言。
・zetima社長とレーベル予算の打ち合わせ。この社長は数字に強い。
・MUSIXプロデューサー主催の「業界人の会」に参加した。
http://yhdgwyd32d10.hp.infoseek.co.jp/zassi_musume/wada_QJ2-1.jpg

・ソニンPV「ほんとはね」の予算は400万円。
・ソニンの雑誌掲載アポ取りも和田が自分でやるようになった。
・うちの所属アーティストがヤングサンデーに出れないのはなぜ?
・ワッツインには金を払って記事をもう1ページ増やしてもらった。
・保田から電話。一緒に飯食った。
・コンサート制作会社担当者を2時間罵倒した。
http://yhdgwyd32d10.hp.infoseek.co.jp/zassi_musume/wada_QJ2-2.jpg

【QuickJapan vol.53 和田薫芸能界日記】
・ソニンライブのインビテーションを配ったがTV関係で来たのはNHKドラマ班だけ
・CMに使いたくないタレント第6位にソニン。企業担当者にリサーチ
http://hf33yufkif2.hp.infoseek.co.jp/zassi_sonota/wada3-1.jpg
・借金失踪した某芸プロ社長と再会。暴露本出版のために「トップ屋」を紹介しろと頼まれる。
・事務所でネットの情報収集。HMVの掲示板など。ソニンがより子の曲を歌う事に不満の声が。
・ソニン「ほんとはね。」、和田は5位の予定だったがデイリー初日は7位。
・ソニンからチョコを貰う。他に安めぐみ石川梨華。今年貰ったチョコはたったの3個。
・宣伝効果を考えれば買取りをしてでもオリコン10位以内に入れたい
・「2ちゃんねる」は見ないようにしています
http://hf33yufkif2.hp.infoseek.co.jp/zassi_sonota/wada3-2.jpg


http://upfrontgroop.web.infoseek.co.jp/mougenroku.html
4月15日(水)の日記より(クイックジャパンvol55 P150)

11時出社。14時。アップフロント会長山崎氏とミーティング。
4月より事務所がアップフロントから正式に独立し、資本が100%俺のものになったので、今後の資金繰りなどについて相談する。
経理担当がいろいろ説明してくれるが悲しいことにほとんど理解できない。
とにかくレコード会社でレーベルをやるのはすごくおカネがかかるということはわかった。
「俺は和田と財産分与したんだし、俺と和田との関係はこれから個人の関係で良いから、カネがなくなったら貸してやるし」
と山崎会長。会長は人心掌握術に長けている。
アップフロントはハーモニープロモーション設立にあたって資本金を300万円出してくれているのだが、
今回独立にあたって、その株を1600万円で買い取った。5倍の額で俺が株を買い取っているのだが、それを会長は財産分与と言う。
この考え方はすごい。そう言われると不思議と悪い気分はしない。

5月5日(水)の日記より(クイックジャパンvol55 P151)

アップフロントグループからの独立にあたって、アップフロントのビルから出て行けと言われる。
すぐ近くの関連会社のビルの空き部屋を視察。家賃は同じだが、そこは以前よりも倍くらいスペースが広かった。
いかに今まで搾取されていたかを痛感。家賃31万5000円を、税込30万に負けさせる。
あのビルいたころは俺のことをみんな「和田さん」と呼んでいたが、
独立してここに引っ越したら、俺のことを「社長」と呼んでくれるだろうか。

●QuickJapan vol.55
・2004年6月2日、元ニッポン放送部長で現在は自分の会社をやりながら渡辺エンターテインメントに籍を置いている吉田さんと食事会。吉田さんとは一緒により子を盛り上げてきた間柄。より子が吉田さんの会社に移籍することになったため、条件面について話し合う。
・2004年6月4日、福田・保田とアッピアで食事。福田は現在学生でバンドもやっている。将来を不安がっているので、「とりあえず今は学業を優先するべき」とアドバイスしておいた。

●【QuickJapan vol.56 和田薫芸能界日記】
・2004/08/05 フジテレビ・ゼネラルプロデューサーの石田がハーモニー独立祝いを開いてくれた。
・KABAが所属してる事務所の社長は元ライジングのN。資本的にどこにも依存せずに会社立ち上げ。

●QuickJapan vol.57
・2004/09/25  「CDTV」「うたばん」などを手掛けたフリーのディレクターYさんのお別れ会に参加。2次会ではソニーの宣伝マン平尾が全裸になり、チ○コの先に枝豆の枝を挿し、別の会社の宣伝部の女に「手を使わずに枝豆を食べろ」と強要。周りの女先輩が止めさせるかと思いきや「大丈夫よ、直接触るわけじゃないんだから」と煽る。手を使いそうになるとダメ出し。宣伝マンの間には奇妙な連携が出来ていた。
・2004/10/02  アップフロントミュージックスクールの生徒の中から8歳〜11歳までの女の子6人を選抜し、3〜4年かけてスーパーアイドルに育て上げるプロジェクトをたちあげた。いわばハーモニーの特待生のようなもの。今日はその最初のレッスンの日。実は前にも1度、2人の女の子を選抜し、同じような計画を立てたことがあったのだが、その2人はあっという間にハロープロジェクトキッズとしてデビューさせられてしまった。次は盗られないようにしなければ。



きくち:「(元マネの)和田さんって俺の戦友なんだ。シャ乱Qの時からずっといっしょに闘ってきた。だから和田さんと戦い続けられるように頑張っていかなきゃいけないし、和田さんも頑張ってくれないと俺と戦えないと思う。つんく以外で和田に1番近いのが、なっちなんだよな」
安倍:「ああ、わかる気がする」
http://jshxygwsyy1.hp.infoseek.co.jp/zassi_1ki/kikuchi_wada_senyuu0402.jpg


2004/01/25 安倍なつみ/モーニング娘。ほか
2004/01/30 発行「サンスポ」オリジナル原稿 中後半
http://www.fujiint.co.jp/BBS/GIRLPOP/bbs/bbs.cgi?res=01750
モーニング娘。の前マネジャーの和田さんはシャ乱Qがデビューする前からの僕の「戦友」で,その和田さんになっちを紹介されたのが,5人組のモーニング娘。でデビューする直前,今からちょうど6年前の平成10年の初頭。

2004年01月30日(金) 12時59分 削除
from きくちP



http://sharemoni.mond.jp/#0915
センチュリーランドさん「Topic News」によると、リリー・フランキー氏とソニンのマネージャー(事務所社長)の和田薫氏とは昔から交友関係がある模様。

>リリー・フランキー氏と和田さんは仲がよく、プッチモニ「ちょこっとLOVE」の衣装にデザインされていたキャラクターもリリー・フランキー氏の作品です。
あのトレーナーもリリー氏が無償で作ったもの(つまり、衣装代がゼロ!)で、なぜかお揃いで4着作り、残り1着は和田さん用だったとか。
以上は、和田さんが当時やっていた「allnightnippon-r プロデューサーズナイト」で語っていたことです。


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