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解説:CIA工作 戦後日本、「米の影響下」鮮明 日ソ接近防ぐ目的

 CIAの「緒方ファイル」は、戦後の日本政治が、東西冷戦の下、水面下でも米国の強い影響を受けながら動いていた様を示している。米情報機関が日本の首相を「作り」、政府を「動かせる」という記述は生々しい。

 CIAが日本で活動を本格化したのは、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が発効した52年からだ。米国では翌53年1月、共和党のアイゼンハワー政権が誕生。同7月の朝鮮戦争停戦を受け、新たなアジア戦略を打ち出そうとしていた。

 それがCIAの積極的な対日工作を促し、日ソ接近を防ぐ手段として55年の保守合同に焦点をあてることになった。当時の日本政界で、情報機関強化と保守合同に特に強い意欲を持っていた緒方にCIAが目をつけたのは当然でもあった。

 ただ、CIAの暗号名を持つ有力な工作対象者は他にもいた。例えば同じ時期、在日駐留米軍の施設を使って日本テレビ放送網を創設するため精力的に動いていた正力松太郎・読売新聞社主(衆院議員、初代科学技術庁長官などを歴任)は「PODAM(ポダム)」と呼ばれていた。

 加藤哲郎・一橋大大学院教授(政治学)によると、「PO」は日本の国名を示す暗号と見られるという。また、山本武利・早稲田大教授(メディア史)は「CIAは、メディア界の大物だった緒方と正力の世論への影響力に期待していた」と分析する。

 暗号名は、CIAが工作対象者に一方的につけるもので、緒方、正力両氏の場合、いわゆるスパイとは異なるが、CIAとの関係は、メディアと政治の距離も問いかける。

 時あたかも、政権交代をかけた衆院選が1カ月余り後に行われる。自民党結党時の政界中枢にかかわる裏面史が、この時期に明るみに出たのも因縁めく。

 また、自民党に代わり政権を担おうとしている民主党が、ここに来て、対米政策を相次いで見直したのは、日本の政界が、政党の新旧を問わず、半世紀以上前から続く「対米追随」の型を今なお引きずっているようにも見える。【後藤逸郎】

毎日新聞 2009年7月26日 東京朝刊

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