皆さんもご存じの非核三原則、「持たない」「作らない」「持ち込ませない」。これを法律に定めるか、それとも見直すかが今回の選挙戦の争点の1つにもなっています。ところが、この理念を根本から否定するような計画をアメリカが極秘で進めていたことがJNNが独自に入手した文書から明らかになりました。
ページの一番上には、トップシークレットとの判が押されています。JNNが入手したのは、1955年3月、当時のダレス国務長官からウィルソン国防長官にあてた極秘書簡とその関連文書です。さらに1962年、日本への核兵器配備について、国防総省などが討議した際の発言記録などです。
アメリカ政府は日本の国民感情に配慮し、戦後しばらく、日本本土への核配備には慎重な姿勢を見せていました。ところが、今回入手した文書にはそのアメリカが冷戦が激化していた1950年代半ばから60年代にかけ、日本本土への核配備を本格的に検討していたこと、核物質を抜いた状態の核爆弾本体(コンポーネント)は、実際に配備していたことなどが書かれています。
「日本には核物質抜きの爆弾本体と、核物質が装てんされた爆弾の両方を配備することが望ましい。しかしながら、政治的にいくつかの障害があり、まずは核物質抜きの爆弾本体(コンポーネント)のみを配備することが適当だと考える。その配備作業は、現在進められていると認識している」(ダレス国務長官の極秘書簡)
『コンポーネント』と表記される核爆弾の本体は、核物質を想定すれば核爆弾になるというものです。この写真で言えば、この辺りにボールなどと呼ばれていた核物質を装てんすることになるといいます。これら核物質抜きの核爆弾は、「non−nuclear bomb」とも呼ばれていました。
「(本体が核物質と)別々に保管されていたため、『核抜きの兵器』と呼んでいたのですが、それは日本の場合、非常に都合が良かった。日本は国内に『核兵器』を持ち込ませたくなかったわけですから」(核配備の歴史を研究 ロバート・ノリス博士)
1978年のアメリカ国防総省の文書には、過去に核兵器が配備・保管された場所を示す一覧表がついています。アルファベット順に並んだ国や島の名前の中で、ハワイとジョンストン島の間の塗りつぶされた2つの地名は、研究者らの解析によって硫黄島と日本であることがわかっています。
日本本土において、核物質抜き核爆弾本体が、1954年12月から、ほぼ10年間配備され続けていたことが記録されています。どの米軍基地に配備されていたかを示す地図もまた、真っ黒に塗りつぶされていますが、研究者らによれば、青森の三沢、東京の横田、福岡の板付基地などに配備され、緊急時には既に核が配備されていた沖縄の嘉手納基地から、核物質が運び込まれる手順になっていたとみられています。
しかし、アメリカは核物質抜きだけでは満足しませんでした。核兵器そのものを日本本土に配備したい、そんな意向が見て取れるのが1962年の内部文書です。登場するルメイ将軍は、東京大空襲の司令官として知られています。ジョンソン国務次官補は後に駐日本大使になる人物です。
「日本国内に核兵器を配備することがいかに,MW$+!"2f!9$O!"<+1RBb$N=t7/$r$b$C$H650i$7$J$1$l$P$J$i$J$$!#$=$N>e$GH`$i$K!"F|K\@/I\$X$NF/$-$+$1$r$5$;$F$O$I$&$+!)!W!J%8%g%s%=%s
「自衛隊の諸君はこの問題について、すでに十分教育されている。だが、彼らには、政府にこの問題を持ちかけられるだけの防衛庁長官がいないのだ。既に日本国内に、本物そっくりの訓練用の核兵器を持ち込んでいる。誰も違いなどわからないのだから、この際、本物を持ち込んで、あとは自衛隊内のしかるべき人間に、適宜知らせるだけでいいのではないか?」(ルメイ将軍 62年の討議議事録より)
「日本は、好むと好まざるとにかかわらず、アメリカに関係する大きな戦略に統合されるようになったのです。核兵器の使用と配備についても同じです。日本は(非核の理念を守るため)ベストを尽くしたと思います。このケースでは『核兵器』の国内貯蔵は行われなかった。厳密に言えばね。ただ、ギリギリのところでは、いろいろ起きていたんです」(核配備の歴史を研究 ロバート・ノリス博士)
「アメリカの世界戦略があって、その中に日本をどう位置づけていくか。日本の意向と全く無関係にアメリカの世界戦略を進めていった。その課程でどうしても日本にも核兵器を置いておきたいということがはっきりと読み取れる」(神奈川大学・常石敬一 教授)
今回入手した文書は、被爆国であることを原点に、日本政府が掲げてきた非核の理念が、既に1950年代半ばには、アメリカの意向のもとで骨抜きにされていただけでなく、ないがしろにされる一歩手前まできていことを静かに物語っています。(19日18:57)