2009.08.16

NEW![駄文8/16]回転寿司屋で目にした異常な光景…闘えないヤツが闘うヤツを笑う

最近、私は驚くべきというか想像の範囲を超えた光景を目にした。

田舎に帰った時の事だ。
近くに新しい回転寿司の店が出来たというので昼下がりというか夕暮れ、倅とプラプラ歩きながら行ってみた。時間のせいか思ったより客は少なかった。私たちはカウンターに向かい、流れてくる寿司の皿を一瞥した。どれもこれも干からびた寿司ばかりだった。
倅が慣れた口調でカウンター内にいる2人の職人に向かって注文した。
「コハダ2皿とアジあればアジも2皿ね」
…返事がない。
倅は少し大きな声で繰り返した。すると若い方の職人が不快そうにコッチを見ただけで答えない。年嵩の職人が面倒そうに「お客さん、流れてるのから取ってくれない!? コハダもアジも流れてまーす」と言い放った。
本来ならばこの時点で「何だこの野郎!!」とケンカになるのが普通だ。確実にケンカになり最悪の場合、職人を外に連れ出す。回転寿司職人にはロクなヤツがいない。どこかの寿司屋や小料理屋で失敗を繰り返したり、モノにならずに堕ちてきた最後の行き場が回転寿司屋…つい10年前までは、そう相場が決まっていた。だから回転寿司屋の「職人」は間違いだ。彼らは職人ではなく単なる「店員」に過ぎない。

だが、そんな職人モドキと客のトラブルを考慮した関西系の回転寿司屋チェーンがボタンで注文という新方式を導入。客が緊張する「対面注文」から解放した。関西の新興勢力「くら寿司」が最初にこの革命とも言える方式を発明した。「かっぱ寿司」「寿司音頭」などの大規模店が続々と「くら寿司方式」を採用していった。

私たちが行った回転寿司屋は時勢に乗り遅れた店なのか、あえて「威勢のいい職人と客とのやり取りを大切にする主義」からの対面注文をウリにしているのかもしれない。だが理由が後者だとしたら完全に経営者の意図は外れた事になる。というより経営者の従業員に対する教育がなってない、つまり経営者の責任だ。

話しは現場に戻る。
私も倅も同時にケンカの体勢に入った。しかし私は倅を止めた。そして目で我慢しろと説得した。
私たちの席から約3m離れたところにカウンターに隣席した大きなボックス席がある。そこに中高年のオバサンが4人してヒソヒソ話をしていた。そして耳を澄ますと私たちの事を話していた。
「ホーラあのお客にまで注文断って何度回ったか分からないような古いお寿司を突き出してるのよ、ここ最低ね!!」
「社員教育がなってないんじゃない? このチラシ取っておいて後で本店にクレームつけようかしら」
「何か次の注文するの怖いわ。お茶のお湯も温いし、文句言おうかしら」
「そうよねえ、文句言おうか!!」
流れる皿をチェックし終えたと思えるオバサングループの1人がオドオドしながら職人、否「店員」に注文した。
「あのう、アナゴとサバお願いします」
すると今度は若い方の「店員」が「サバは終わり、アナゴ何皿?」とぶっきらぼう丸出しの対応だ。オバサンは震える口調で「1皿で…すみません」。驚く事にその店員は「3皿以上で注文下さい」とそっけない。
私は倅と目を合わせた。何なのだ、この店の店員は!!
オバサングループも文句タラタラである。声を潜めた内緒話のつもりが、響くは響く。
「もうガマンできないわ。店長とか呼んでもらいましょうよ」
「ねえ、お友だちに協力してもらってアンケート葉書でクレーム沢山書いて送りましょうよ」
「怖いわ、この店。職人さんヤクザじゃない。嫌よ怖くてもう注文出来ない」










いつまでもオバサン連中にばかり耳を傾けている訳にはいかない。私たちは私たちの流儀で注文するだけだ。流れている寿司がみな干からびている以上、堂々と新しく握らせる。
「お兄さん、マグロの赤身と中トロを2枚ずつね」
私が言う。するとまた若いのがこちらに振り向きもせず「流れてるものからお取り下さい」。
……
私の態度が豹変したのは言うまでもない。最近は超人ハルクみたいなガタイをした倅も教育の結果かケンカの作法を身に付けて、啖呵を斬るのも板についてきた。
詳しい事は書かない。
結局、店長と副店長が深々と私たちに頭を下げて謝罪の連続。2人の職人モドキは起立したまま足をブルブル震わせて俯いていた。
当然、銭は払わない。店長が3000円のサービス券を差し出したが、倅はそのまま細かく破り棄てた。
こうして店を出ようとすると信じ難い声がオバサン連中の間から聞こえてきた。
「まあ野蛮。ヤクザよね、社会のクズだわ」
「店長さんたち可哀想。店長さんに罪ないのにねえ」
「けど、あのヤクザのお陰で私たち少し美味しいお寿司をいただけるかもよ。嫌な目に遭っても我慢するものねえ」

私は体から力が抜けていくのを感じた。倅の怒りも一瞬にして店ではなくあのババア連中に向かったのは明らかだった。
だが、世の中の大半の連中はあのババアたちと何も変わらない事を私は知っている。「不正」や「悪」に対して正面から闘えないヤツらだ。仲間内だけで不平不満を言い、時に威勢の言い言葉も出すくせに何にも出来ない。
まるで深海で「名無し」同士が根拠もなく自分たちの欲望をマスターベーションし合っているようなものだ。
闘えないクズが、闘う人間を嘲り笑う。自らの弱さを精一杯糊塗するのだ。
私は訊きたい、アナタたちに!
「平和、平和と叫んでいれば本当に戦争はなくなるのでしょうか!?」
「悪に対して<話せば必ず分かり合える>と本気で信じているのか!? 悪に対抗する力はいらないのですか」
しかし闘えないヤツは何とでも理屈をこねるだろう。口だけで平和がやってくると思っている人間…まさに回転寿司屋にたむろしていたオバサングループ、これが現在の日本人の典型なのかもしれない。
そんな連中には「力なき正義は無能なり」なんてヤクザ者の戯言にしか聞こえないのかもしれない。
だが、はっきり言っておく。
闘えない人間ばかりになっていく日本の将来はない!!

つい最近、
私を兄と慕っていた後輩・渡水斉史(鎌倉在住)は些細な不義理の筋を通せず遁走した。目の前の苦難と闘う事を放棄して逃げていったのだ。
極真会館の黒帯を取ると威勢のいい事を言いながら自ら冒した些細なミスによる汚名返上する事も出来ず、鬱になったと逃げていった。
鬱、鬱、鬱、鬱、鬱…。
都合のいい「病気」だ。
私は約8年間、精神医療を学んできた。私のホームDr.は5年間沖縄の閑村で医療活動をしてきた、まるでTVドラマに出るような(姿形は役者とは正反対だが)内科医にして精神科医でもある。
「鬱病なんて病気はないの。鬱症状はある。鬱症候群が正しいんです。でも半数の鬱と言われる人はね、要は社会から逃げているの。社会的弱者じゃない。闘えずに鬱に逃げたら…余程の意識改革しなきゃ終わりだね。薬が本当に必要な自称鬱は半数以下なんだ。いまの人は頑張る耐えるって事をしない。特に都会の人はね。私は沖縄が懐かしいよ。あの島には精神疾患者は1人もいなかった…」

闘えない人間は身内や陰で愚痴を言い、他人に責任転嫁をして自ら張りぼての「正義漢」ヅラして、一生負け犬のまま死んでいくのだ。あの無礼千万だった回転寿司屋の店員よりも、オバサン連中こそが日本を滅ぼす白蟻なのだ。

samurai_mugen at 21:27│clip!駄文