三鷹事件元死刑囚が自白経緯詳述 書簡を発見1949年、東京の三鷹駅で6人が死亡した「三鷹事件」で死刑が確定し、再審に向けた予備審査開始の翌67年に45歳で病死した竹内景助元死刑囚が、弁護団長を務めた故布施辰治弁護士にあてた手紙8通や返信などが14日までに見つかった。「私まで否認したら(裁判所が)全被告を有罪にするだろう」などと、“自白”に至った心情や経緯が記されている。 布施弁護士の孫で出版社「日本評論社」相談役の大石進さん(74)が、石巻文化センター(宮城県石巻市)の書庫で発見した。自白の経緯は再審請求の書面などで知られているが、竹内元死刑囚の生々しい言葉が書簡で明らかになったのは初めてとみられる。 竹内元死刑囚は逮捕当初、容疑を否認。その後の供述は否認、単独犯行、共同犯行の間を揺れ動き、最終的に単独犯行を主張した。50年の一審判決で、10被告のうち竹内元死刑囚だけが無期懲役に。控訴審で51年3月に死刑判決を受けた後、元死刑囚は自白の経緯を布施弁護士に伝えた。 51年8月3日の手紙では、捜査段階で別の弁護士に「認めて情状を酌んでもらった方がいいと思う」と促されたと、初めて告白。また公判中に「下手をすると全員有罪にされ、自分も憎まれて極刑にされるかもしれない」と思ったことを明かしている。 この手紙には、取り調べ検事に悲惨な現場写真を20枚以上見せられ「被害者の霊は宙に迷っている。浮かばれんぞ」と言われたと書いてあるほか、「(具体的な供述は)新聞記事や検事の示唆、誘導の言葉中に出たのを暗記して述べた」などの記述もある。 大石さんは「祖父は竹内さんの単独犯行を主張する周囲の弁護士の中で孤立していたが、最後まで自白は虚偽だという確信を持っていたのだろう」と話している。 【共同通信】 |
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