今、刑務所は……

2006年02月19日

「腹が空き、寒く、刑務所に戻りたかった」
 JR下関駅を放火して逮捕された七十四歳の男は、そう動機を語っている。男は二〇〇一年にも、刑務所を出て六日後に放火未遂事件を起こし、実刑判決を受けた。そして昨年十二月三十日、刑務所を出所したばかりで今回の犯行。本人の供述によれば、二十二歳で初めて放火で逮捕され、以来何度も放火を繰り返し、刑務所に逆戻りしてきたらしい。知的障害の可能性もあり、精神鑑定を行うことも検討されているようだ。
 この事件は、犯罪を犯した人の更生を考えるうえで、日本の現状を象徴しているような気がする。
 第一に、犯罪者の高齢化。裁判で「懲役」や「禁固」などの刑が確定して刑務所行きとなる高齢者は年々増え、平成十六年には新受刑者の約一割が六十歳以上の人たちが占めている。
 私は、法務省の行刑改革会議・同顧問会議のメンバーであることもあって、いくつもの刑務所を見学してきたが、犯罪者のイメージにそぐわない、弱々しいお年寄りが所内の工場の一角に集められて、軽い作業をしている姿に、その場が福祉施設のように思えてしまったことが何度かあった。
 それ以外に、障害者も相当数いるらしい。秘書給与事件で実刑判決を受けた元衆議院議員山本譲二さんは、様々な障害を持っていたり、高齢の受刑者の食事介助や失禁した者の着替えなど、生活の世話をしていた。その中で、とりわけ知的障害者が多いことに愕然とした、という。
 しかも、刑務所で出所後を見越して行われる教育は職業訓練くらいで、自立した社会生活を営む訓練はほとんど行われない。食事も風呂も与えられ、洗濯も担当受刑者が行い、大雪が降れば職員が通路を雪かきして、受刑者が滑ったり転んだりしないように配慮する。受刑者が自分の生活を維持するために自発的にすることは何もない。
 そのうえ今、刑務所はどこも定員をオーバーするような過剰収容。時には一人の看守が八十人もの受刑者を統率しなければならない日本の刑務所にあっては、一人ひとりの事情に応じたきめ細かな対応は取りにくい。
 そんな生活が長期間続いた人は、指示や許可がなければテレビもつけられないし、ラーメン一つ自分では作れないまま、出所をすることになる。
 刑期が終わり、釈放となれば、刑務所の職員が面倒を見るわけにはいかない。受刑中の作業に応じて払われる報奨金はごくわずか。山本元議員の場合、最初は一ヶ月五百円(一日ではない!)だったそうだ。これでは、新しい生活を始める元手にはならない。満期出所の場合は、保護司によるフォローもない。更生保護施設に入ることができる運のいい人はわずかだ。住居が定まらなければ、生活保護の対象にもならず、福祉の網にはまったく引っかからない。刑務所を出たばかりの高齢者が働く場所など、簡単には見つからない。
 結局のところ、身寄りのない、とりわけ高齢または障害のある元受刑者は、わずかな持ち金を使い果たした後は、路上生活をするか、再び犯罪を犯して刑務所に逆戻りするしかなくなる。
 私が見学したことのある刑務所の中では、入所歴が三十五回という人がいた。比較的短い刑期で、出所と再犯を絶え間なく繰り返さなければ、この回数には達しない。
 すぐに刑務所に逆戻りする人に多いのは、無銭飲食やタクシーの無賃乗車なのだそうだ。いずれも罪名は詐欺。前科があれば実刑判決を受ける。
 先の山本さんの著書『獄窓記』には、満期出所を控えた障害者が、出所後すぐに再び犯罪を犯すことをにおわせる場面が出てくる。その人は、こんな風に言っている。
「俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ」
 刑務所は、高齢者でも障害者でも、実刑判決が確定した者の入所を拒むことはない。かくして刑務所は、福祉の施策から漏れた、行き場のない人たちの吹きだまりと化してしまっている。これまで、私たちはこの現実に気づかず、あるいは見て見ぬふりをして、すべての負担を刑務所に押しつけてきた。 
 でも、再犯を繰り返す中で、今回の放火事件のように、本人が思っていた以上の被害を与えてしまうケースも出てくる。そろそろ、対応を真剣に考えなければならないのではないか。
(1月21日付熊本日日新聞「江川紹子の視界良好」に掲載)

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