2009年01月25日(日) 14時54分57秒

ファシストは公正。

テーマ:革命家養成塾・黒色クートベ日記
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 2月は丸々各自「自由研究」なので、カリキュラム的な学習はもうラストスパート。
 すが秀実『革命的な、あまりに革命的な』を読み終えた後、ここ数日は、80年代・90年代の運動史を概観してきた。使用したテキストは、秋の嵐の見津毅の遺稿集『終止符(ピリオド)からの出発』に収録されている文章だとか、鹿島拾市による太田リョウの評伝だとか、プロ教師の会の文章、中島真一郎の反原発ニューウェーブ論、アグネス論争の原典、『だめ連宣言』に収録されたいくつかの文章、宅八郎をメインにスガ秀実、鈴木邦男らのトークライブ記録本『オウム大論争』、97年のロフトプラスワン事件の報告集、などなど、公刊されているものもあれば、もはや入手困難なミニコミ類の文章まで、さまざま。松本哉の「法政大学の貧乏くささを守る会」時代の『貧乏人新聞』や、矢部史郎・山の手緑が“ブレイク”するきっかけとなった銭湯問題のミニコミ『カラカラ』も、当然私は現物を所持しているので、じっくり目をとおしてもらった。
 で、昨日からまさにその矢部・山の手の本をテキストにしている。
 近年の左派の動向について、最後の時期にざっと学習しておきたいという趣旨で、当初は酒井隆史の『暴力の哲学』あたりを考えていたのだが、いやむしろ矢部・山の手を読む方が実践面も含むので有益だろうと。
 収録してある文章すべてを読むわけではないのだが、まあ7割方か。昨日から今日にかけてまず『無産大衆神髄』を、そしてこれから『愛と暴力の現代思想』を読む。前者はもともと私が所持している1冊と、あと必要な3冊は図書館で調達してきたのだが、後者が揃わない。古賀市あたりまで含めて福岡都市圏の図書館をあたったのだが、2冊しか入手できず(もともと所持してた1冊と計3冊)、ええい仕方がないと、宿敵に印税百数十円をカンパするのはシャクだったが、さきほど1冊購入してきた。
 しかし我ながら公正なことよ。歴史の改竄は、ファシストではなくむしろ奴らスターリニストのお家芸。松本哉の杉並区議選の回想記から外山恒一の痕跡が徹底的に消去されていることもそうだが(そもそも選挙に出さえすれば期間中やりたい放題ができるというアイデアは、都知事選に向けて協力をとりつけようと私がさんざん彼に吹き込んだものなのだが、ある時期まで彼はそれを「あるスジからちょっと小耳に挟んで」という云い方でゴマカし、近刊の『素人の乱』では、「歩いている時にふと思いついた」と完全に嘘をついている)、矢部・山の手も取り巻きに私の文章をわざわざ進んで読ませるようなマネはできまい。
 歴史に対して謙虚であること。ここらへんがまあ、ファシズムの強さだな。
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