haneプラス

ものを作って生きるには、多くの楽しみと悩みがあります。
ただひたすらに、作り、作品をお届けするのが、清々しい作り手と受け手の在り方かもしれません。
しかし、作品の途中過程で出来てしまった素敵なものをこっそりお披露目したり、多くの人と様々な形で関与し合うものづくりの陰で起こる出来事(それは決して愉快なことばかりではありません)を、同じ問題を抱える作り手、業界を打開しようと踏ん張る届け手、面白いものを心待ちにしている遊び手みんなで共有したり、(サイト上に入る場所のないコンテンツを一時的に掲載したり……スミマセン)。
それは、また一つ、次の良い物が生まれるきっかけになるかもしれません。
haneの作品だけでなく、もうちょっとhaneのものづくりの周辺を知りたい方のためのページです。


価値のある批評?それとも匿名の個人攻撃?
2009.6.10

最近、私とチームを攻撃対象とした特設ブログができている事を教えてもらって、
「打撃を受けるから見ない方が良い」と忠告を受けたのですが、むしろ興味を惹かれてしまい、
つい覗き見して、あまつさえ、何か書き込んでやろうなぞと考えてしまいました。

しかしながら、職業柄と言いますか、自分はシナリオを書く者なので、どの文章が誰の書き込みか、
おおむね推測はついてしまいました。おかげで、そこに何か書いたところでまったく内輪ネタに
しかならないと思い、あえて私のホームで紹介することにしました。

・渡邊肇。有限会社ゆら代表。2006年、チームYURA(後のhane)と分離。
・涌井宏則。2006年、個人事業となったチームYURAに、営業スタッフとして参画。
 2007年、心身の不調により、チームYURAから離れる。

同年、両人の間に、私、木邨を中心としたチームに対する負の感情が発生。
涌井、渡邊共に、私との直接対話の一切を拒みつつも、ネット上で「匿名性を利用した」様子の
攻撃的発言を行なっていた模様。
(もう一人思い当たる人物はいるのですが、まだ若者なので、強いて名前は記述しません。)
(もし間違っていたら、お詫びと、今後についてお話したく存じますので、木邨までご連絡ください。)

私だけに対する攻撃ですから、私だけに届けば、書いた当人達は満たされるのかもしれません。
私=木邨圭太と言う有名とは言い難い個人の、いわば物作り人生の断罪みたいな内容ですから、
不特定多数に読まれる展開は、生まれ得ないわけです。
したがって、業界の主だった人物が読もう、読みたいというレベルでは、到底ありません。
また、チームの仲間も、ただただ作ることに必死なので、頓着する暇がありません。
(猫のドット絵や、カラスのモーション作成に必死なのです……。)

それでも、ネット上には、こうした負の感情を乗せた文章などの創作物が、至る所、無数に存在し、
それぞれがアイデンティティを確立しようと、さらなる負の循環的行為に耽っているのを見ます。
かさぶた剥がしの快感のようなものでしょうか。
ザラザラした気分と共に、こうしたネットの活用法は、その人の攻撃の心境を発露するには
相応しい表現手段として、利便性があるのだなと感じました。

まあ、正直を言えば、私自身の日常が彼らに監視されているわけではないので、なんだか
トンチンカンと言うか、控えめに言って、現在周囲にいる人達の温かみとはずいぶん違います。
日々の糧に困るような事はないですし、また協力も賜り、作るための準備一式が整っています。
これだけ恵まれているのだから、つい、もっともっとなどと目論んでしまう程です。
しかし、今の自分にとって、身の丈にあった毎日が送れているという事で、満足すべきでしょう。
私はもう、いわゆる業界人ではありませんし、業界を語りたいと思うほどの執着もありません。
当分は表舞台に立つ事を考えず、少しでも巧く作れるよう、努力していくだけです。
そんな手慣らしのようなhaneの作品は、いわゆるゲームとは本質が異なる上、通常の販売形式を
取っていないため、開発費に換算して回収できるような数は到底、売れません。
けれど、売れない事を自分の正当化につなげようなどとは思いません。
もっと売れて欲しいですし、なにより、haneを、もっと知って欲しいです。

そうして考えると、ここで起こっている、攻撃者と被攻撃者である私の、
「双方、知られていない状況」と言うのは、俯瞰すれば、非常に滑稽であります。
でも、これを単に滑稽と馬鹿にせず、もう一歩踏み込んで、人のやる事とは常に善悪なく
とても面白い事なんだと、思考のスイッチを切り替えられれば、良い循環が生まれるような気がします。
無論、批判者や攻撃者は、私についてもっと勉強しなくてはなりませんし、その意味では、
私に接近するリスクも背負わなければなりません。
曖昧な情報の垂れ流しでは、決して続きません。
私と言う一個の人間と、面と向かって議論できる程度には、勉強すべきでしょう。
そうして批判者の力が増せば、当然、作り手の緊張感も高まってゆき、「なあなあ」を可とする
近頃の文化が、ちゃんとなってゆくのです。

最初はネット社会の怖さのような話のオチを考えていたのですが、人がネットによって分断され、
孤独に陥る事で、むしろ人は、人と会う事を余儀なくされ、そうすると再び純粋な、時には
戦いのような強い接触、すなわち生きている感覚を持った日々が訪れる……、
そんな風に思えてきました。


低解像度かつ色数を極限まで絞り込んだ、どんなハードの制約にも耐えうる、hane流・ドット表現のテスト画像。
パンチにキック。時には恥かしく転ぶ事も……。それでも負けずに起き上がる、パワーの証明です。
叱咤激励、批判罵倒、大歓迎!!


平成21年6月10日 haneゲームプランナー・木邨圭太