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▼標題音楽について

▼ロマン派の覇者リヒアルトシュトラウス

▼標題音楽

ザルツブルグにて

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ザルツブルグより

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  パブロ・カザルス

「仕事と価値のあることに興味は尽きない。日ごとに私は生まれ変わる。私は毎日再び始めなければならない。」

この言葉の意味は深すぎる。あの名手にしての言葉ではあるが、極めることへの情熱は計り知れない。天才はそれを確かなものにするために、凡人には途方もない努力と気力が伴わなければならないことを思い知らされる。まさに、鬼気迫るものを感じる。

 

    ベートーベン不滅の恋人  2007・4・10

 これは永遠のなぞとなっている。いろいろな説があるが、それは遺された名曲の所以を知るためにも貴重だ。しかし、現実にはその価値に変化をもたらすものは何もない。ピアノソナタの「月光」が素晴らしい。また「熱情」も胸を打つ。これらが、テレーゼやジュリエッタに捧げたかどうかはあまり意味はない。崇高な音楽だけが孤高に生き続けているのみである。

 ベートーベンに普通の恋愛があったかどうかは興味深い。それは人間味を知ることによって更に身近に感じることが出来るからである。アントーニアの様子を知れば、当時の桎梏(しっこく)な愛は理性で阻まれている事に不満はない。不倫はない。それゆえにベートーベンが人妻に思いを寄せることは、不思議なことではない。しかし、その狂おしさは想像を絶するが、名曲の華麗さからは到底推し量ることは出来ない。したがって、人間味にはどうしても触れることが出来ないのだ。

 ベートーベンはロマン派でもあり、古典派でもある。音楽性をきっちり色分けすることはそれほど意味はないが、自然にその流れは定められる。しかし、ベートーベンは音楽の革命を常に意識していることから、それまでの古典派の作曲家とは完全に一線を画している。これは確かにベートーベンであるが、過去のベートーベンを超越している。恋の狂おしさから完全に解放された不滅の恋人の存在が伺える。第4交響曲のように、ロマン派の息吹が聞く者の身体中の血潮に湧き上がるものを感じさせないではいられない。ベートーベンはこのとき、不滅の恋人に出会っているのだ。

注:桎梏;厳しく自由を束縛すること

  

   モーツアルトイヤー・ファイナル・ガラコンサート
              2006・12・10  正機

 家族でモーツアルトガラコンサートに出かけた。ぎっしり満席だった。ガラコンサートはモーツアルトの生誕250年を記念するもので、聴衆は全てこの日を楽しみにしていたに違いない。 

最初の曲目はホルン協奏曲第四番変ホ長調だ。ホルン奏者はヨハネス・ヒンターホルツァー。初めて聞く名前だったが、そのすらりとした容姿から迫ってくる華麗なテクニックと迫力に、心の準備さながら、完全に魅了されてしまっていた。完璧なプロの演奏だ。型破りなカデンツァの見事さは圧巻そのものだった。

たとえ、どんな秀逸な演奏であっても、コンサートで驚くことはめったに無い。意外だった。その驚きはホルンの重音奏だ。重音奏といっても複数の人が演奏するものではなく、ソリストが二つの音を同時に出すのである。繰り返すが、ここで聴いたのは、一つは低音を、一つは高音を、一人のソリストが同時に発したのである。まさかと耳を疑う。どんなテクニックなのか、驚きだ。弦楽器やピアノでは二つ以上の弦や鍵を同時に弾く奏法は知っている。弦や鍵が複数あるから物理的に可能なことも分かる。しかし、一人のホルン奏者が二つの音を同時に出すことなど、それが空想やアイデアであったとしても、頭の片隅にさえ浮かんだことがない。ああ、またまた、人生ここに来て、どう考えても解決できない問題を抱えてしまった。

モーツアルトのホルン協奏曲といえば、全四曲ともほとんど完全にそらで歌えるほど身についている曲だから、演奏会では各パートとの緻密なアンサンブルの妙まで聴き分ける余裕があったはずなのに、全く意表を衝かれたのである。もう一つはホルン音域最低音の響きの美しさだった。高音のトリルを華麗に吹いたり、低音、高音を交互に早いテンポで演奏することはあっても、カデンツァで最低音の響きをひけらかすように演奏することも稀だ。ヒンターホルツァーはモダンホルンだけでなくハンドホルンの名奏者でもあるそうだ。全てのホルンの音域を意のままに困難さから解放した。その昔、好きだった名ホルン奏者のデニス・ブレインや日本の千葉馨らとの比較は出来ないが、新しい領域を切り開いていることに気がつく。ホルンも進化し続けているのだ。ホルンが進化すればモーツアルトも進化せざるを得ない。しかし、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院に学んだ音楽家であることは重要だ。モーツアルトそのものの音楽は頑固なまでに継承し続けている。あくまでもリズムは厳格に、そして歌うところは節度を持ってやわらかく、まさに王道を行く極致だ。

最後に聴いた曲がジュピター。これほど鮮明なジュピターは記憶に無い。はじめの出だしは簡潔であったが、それは機械的、客観的な簡潔さではない。聴き手の心の扉を開き、かまわずずんずん入ってくる。他人行儀なところが無い。ともに音楽を楽しもうとばかりに、たちまち虜にしてしまう。ところが、その次に現れたモチーフに唖然とする。テンポががらりと変わったかのような優しさが伝わる。それは単に優雅とか華美というようなものではない。自然にはいっていってしまう誘惑の夢の世界なのだ。ここから聴衆はこぞって夢をみることになる。第二楽章に入りいよいよ頭が朦朧として、無意識状態を意識する。何度、無理やり放心状態から覚めるように気を取り直して戻っても、自分の意のままにならない無意識は再びばねが戻るように彼方へ行ってしまう。変化するメロディーの新鮮さに触れるたびに、天才たる作曲者の多彩な表情を垣間見ることができる。第三楽章の格調高いメヌエットから、第四楽章モルト・アレグロに入るとき、ほとんど間を取らないのが普通だ。演奏者も聴き手にもこの時点ではまだ疲れは無い。蓄えたエネルギーがみなぎっている。全ての人が生命力を感じる瞬間なのかもしれない。「ジュピター」。神々しいその名の通り歓喜の渦の中に曲は終わった。なんと幸せな時間だったのだろうか。何と充実した時間だったのだろうか。素直に生きている喜びをかみしめることが出来る。音楽に浸ることの喜びは何物にも変えがたい。新しい内面を得た気分だ。その心をもたらせたモーツァルトに触れた喜びは人生の最大の収穫だ。

       「奇跡の演奏会」        正機

 「巌本真理」といえば、今でも人々の心に残る名バイオリニストだ。まさしく憧れの的であった。たとえ偶然でも、実物に会うことなど奇跡と思われたのに、なんと、わがアマチュアオーケストラと競演したのである。1966年、第七回定期演奏会のことだ。曲目はブラームスのドッペルコンチェルト(バイオリンとチェロのための二重協奏曲)で、チェロは名手黒沼俊夫氏である。二回ほどリハーサルにこられた。エキゾチックな雰囲気の中の高貴の人はすぐそばにいたが、遠くの景色でも見るようにしか、雄姿を拝見する事ができなかった。

 演奏会の前日のリハーサルでは、当オーケストラとは関係のない人が多く来て、サインを貰うやら、なんやかんやで大騒ぎだった。

 巌本真理は有名だったが、初めてその演奏を生で聴いたとき、全てを超越する新しい境地を感じさせた。驚いた事の一つはそのバイオリンの音が異なっていたこと。耳を疑ったのは強烈な音量である。ホルンやトランペットに引けを取らない響きがあった。ピアニッシモにも心の鼓動は厳然と伝わり、この演奏家は世界という冠号を常につけられる意味も存在もなるほど当然と思われた。それだけではない、巌本真理は尊敬できる真の音楽家だった。下手なアマチュアオーケストラに不満そうなそぶりを一つも見せず、しっかり取り組む姿勢にも感動した。こんな名人と同じ曲を共有できる時があるなんて。誇らしく、心は有頂天だった。

 ブラームスの曲はどれも、当時の学生オーケストラではテクニック的にとても難曲だった。ドイツ・ロマン派といわれるブラームスは、ベートーヴェンなど古典派の影響も強く受け、それを頑固に踏襲しており、一見古典派にも思えるが、自身の環境の変化など新規一転した後半の作風には、まさに後に開花するロマン派の息吹が見える。四つの交響曲は全て大作だが、そのメロディやハーモニーの奥深さや重厚さは聴くたびに神秘な世界に引き込まれる。一生独身を通した境遇から表れたのか、諦観と孤独の影のような響きは、内省的であり極めて瞑想的でもある。これがブラームスが哲学的といわれる所以であろうか。

ドッペルコンチェルトの第二楽章のテーマは「ソードー、レーソー」のわずか四つ音で始まる。一つの音がゆっくり2拍ずつ階段のように音が上がる。「最後のソ」は「最初のソ」より1オクターブ高くなり、ゆったりした伸びやかに到達した印象になる。このテーマ「ソードー、レーソー」が実は独奏バイオリンと第1ホルンのユニゾンである。リハーサルでは何気なくやっていたが、本番は画期的だった。あの本物のプロフェショナル巌本真理がただのアマチュアのホルン奏者である私の方をしっかり見据えて、目で合図を送り、おもむろに音を出した。硬直しながら無我夢中。憂いを秘めた伸びやかなバイオリンの音にあわせて、ホルンの音も実に朗々と、静まり返った会場に響き渡った。息が完全にあったこの出だしは完璧だった。あの世界の巌本真理とブラームスの音楽によって心が通じた瞬間となった。その後は独奏バイオリンと独奏チェロの独断場で、私のホルンの役割はほとんどなく、感動と興奮の余韻にふけったまま曲は終わった。

全てのプログラムが終わって、まだ呆然としている自分がふいに我に帰ったのは次の驚きのためであった。あの巌本真理が私の目の前に立っていたのだ。練習、本番と終始厳しい顔を崩さなかったあの人が、にこやかに手を差し出している。思わず両手でその黄金の手を包んだ。凛としたその手からほのかな温かみが伝わった。                  完

 

IN  ザルツブルグ  2001・8

2001年 8月 ヨーロッパ取材旅行

初めて、ザルツブルグへ行った。

 ⇒ 演奏会の最後は「クラリネット協奏曲」でした。

 クラリネットの響きはことのほか輝きがあり、憂いがあり比較的単純なリズムの運びの割には激しく心臓の鼓動まで同じ動悸にさせてしまう。調べればこの曲は何とモーツアルトの死の一ヶ月前の作品だとか。いきなり殴打されたような感慨がよぎりました。理屈も常識もなく、今も昔もなく、なぜ死を前にしてこのような軽快な音楽が出来たのだろうか、どういう心境だったのだろうか、もっと生きていればどんな曲が得られたのだろうか、死因は何だろう。

 とりとめもなく、無心でさまよいながらなおも先ほどのクラリネットが脳裏ですさまじく軽快に、そして昂揚したフォルテッシモで奏でている。自分は気が狂ったのか。これからどうなるのわからなくなっていた。

夜風がスーと首筋をなでた時、やっと我に帰った。ここはザルツブルグなのだと気がついた。

ザルツカンマーグート

モーツアルトの生地はザルツブルグである。その東南部のザルツブルグ、シュタイヤーマルク、高オーストリア州の3州をまたぐ山と森と湖に恵まれた景勝地はザルツカンマーグーツである。

生まれたままの環境をそのまま現代に残して、見るも美しい神秘な世界がそこにある。

オーストリア国家および国民の自然を愛する気持ちと野生の動植物が手厚く保護と管理が施された結果だと聞いた。

モーツアルトの名がついたヴォルフガング湖は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になったところだと、なるほどそういう天真爛漫な高原のスクリーンを思い出す。

ザルツブルグは素朴な田舎だ。見栄もつくろうところも何もない。人々は見るからに素朴に見える。発達した都会から見ると別世界だ。歴史がそのまま残っている。

稀代のクラリネットの名手

ヘルムシュテートを偲ぶ

 会場でもらったパンフレット(ドイツ語)によれば、モーツアルトのクラリネット協奏曲は、当時のクラリネットの名手ヘルムシュテートのテクニックを、最大限に使いこなす目的に作られたと言うが、実際はとても当時の楽器では演奏不可能な難しさであったらしい。現在の発達したクラリネットでも演奏者にとって難曲中の難曲なので当時の驚きは容易に想像できる。天才ヘルムシュテートはそれを半年もかけて取り組み、5〜7鍵の単純な楽器を12鍵に改造してマスターし、遂にこの曲を克服したと言う。その功績は楽器の進歩をもたらしただけでなく、すばらしい名曲が埋もれず、後世に燦然と輝く名曲として愛好家を愉しませてくれる大きな遺産となっている。

 
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最近、伊藤哲夫さんからメールが来た。40数年前の懐かしいことが書かれていた。その頃のことを思い出して心が温かくなった。

立花さんと連絡が取れたのは実に喜ばしい出来事だった。

松岡さんと連絡が取れたのも実に喜ばしい出来事だった。

みんなしっかり生きてきたのだろうな。

へたくそだったオーケストラを思い出しているのだろうか

3月に濱野さん、松岡さんと千葉県文化会館へ行った。芥川也寸志の音楽ショスタコーヴィッチの交響曲第1番などを聴いた。素晴らしい演奏に感動した。その夜は旧交を温め一献傾けた。しばらくぶりで楽しい時間を過ごした。

 学生オーケストラの良いところとは

プロには無いものがあるところといわれる。

そんなものが学生オーケストラにあるのだろうか。

当の学生楽員やOBははほとんど気がついていない。

さて、今日はこれは宿題だ。

分かった人はメールで連絡を。

ヒント:巨匠フルトヴェングラーの言葉がある。「真の芸術には特別な技巧を必要としないものだ。」聴衆に報酬を得て音楽を伝える。プロはこれが仕事だ。これで飯を食っている。ちゃんとやって当たり前なのだ。そのための技量は当然備えている。アマチュアにはプロの技量はない。では何があるのか。何を求めて演奏をするのか。

☆こぼれ話  神秘的なホルンの音

 管楽器の中でも際立って演奏が難しいのが、ホルン。難しさゆえその音色は神秘そのものだ。

コンサートなどで、ホルンの出だしでコンマ何秒間の不適切な音が興ざめになる。名手でもたまにあるほどだ。

 不思議な事に演奏者は、何事も無かったような顔をしている。細かい事にくよくよしないのがホルン奏者のいいところだ。

標題音楽について 

 クラシックと言われる中に標題音楽という分類がある

 ショパン、ベルリオーズ、リスト、リヒアルト・シュトラウスなどがその代表である。

 クラシックは大きな分類では古典派、ロマン派、近代楽派、現代音楽等に分けられる。バッハやハイドン、ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ブラームス等で代表されるのは古典派である。

 標題音楽は、これらの後につづいたロマン派に属する。ロマン派にはショパン、シューマンやワグナー、ベルリオーズ、ブルックナーなどがあげられる。

 ロマン派の中でも標題音楽は標題を基にストーリ仕立てになっている特徴がある。しかし、表題があるからといって、それら全てが標題音楽の分類にあるとはいえるものではない。モーツアルトはたくさんの歌劇を作曲した。シューベルトも「冬の旅」等、歌曲をたくさん作った。これらはあくまでも古典派のジャンルである。

ロマン派の覇者 R・シュトラウス

 

 リヒアルト・シュトラウスは壮大な曲想が感動的だが、作品はすべて ストーリーとして進行する。本を読んでいるようだ。

 リヒアルト・シュトラウスこそが、標題音楽の代表的作曲家です。代表作には交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「アルプス交響曲」「交響詩「ドンファン」などがある。

 ピアノの詩人と言われるリストもすばらしい標題音楽を残している。 中でも交響詩「レ・プレリュード」は聞くたびに感動させる名曲だ。リストは標題音楽を創始したとも言われる。

♪♪

 チャイコフスキー とイタリアと言う組み合わせは特に興味深い。アントニア・ミュルコヴァという悪妻を持った天才作曲家の悲劇が、現代に特別な軽快な響きとして残っているのは滑稽で皮肉にも見える。

創始者はベルリオーズ

 標題音楽の創始者はベルリオーズとも言われる。ベルリオーズが初めてそれを認識させたと言うことに価値がある。「幻想交響曲」はまさにそれをはっきりと示す作品であり、後の音楽家の道しるべになったに違いない。

 先にあげたリストはベルリオーズの手法を「交響詩」の形で花を咲かせた。「レ・プレリュード」は感動を呼ばずに聴くことは出来ない。 その交響詩を継承したのがロマン派の覇者リヒアルト・シュトラウスとなるので標題音楽の背骨はしっかりして見える。

「交響詩」は詩的または絵画的内容をあらわそうとする手法でリストが自作に命名したことから始まった。一つの楽章からなる。

 ロシアの大作曲家チャイコフスキーは交響曲4番、5番、6番「悲愴」などイタリアの旅行の思い出などイタリア地方の民謡を採り入れている。
 イタリアの明るい雰囲気がリズムやメロディに現われ、荘厳で軽快でドラマチックな構成は深く豊かな気分になれ楽想は典型的なロマン派に属するが標題楽派ではない。

「イタリア奇想曲」はイタリアの明るい雰囲気やエキゾチックな趣があるがこれはイタリアで作曲されたものではない。

別稿   モーツアルトの思い出 2001・8 

 ザルツブルグで聞いたモーツアルトは、特別なものだった。モーツアルトは何回も聞いて、よく知っているつもりだったのは迂闊だった。当地を訪れたのが初めてのせいでもあったが、いつもと同じように、同じモーツアルトが聴けるものと思って期待していた。

 弦楽四重奏の導入部が流れ出たとき予期しない驚きで叫びそうになった。わが耳を疑ってしまうほど音が澄んでいて、リズムが整然としている。プロの演奏では当たり前だが、精密なハーモニーと躍動するテンポとリズムは同じようでも当たり前さが異なっていた。モーツアルト独特のシンプルな軽快さと、きっちり刻むリズムの中で奏でられるヴァイオリン群のスケールの切れ味が際立っていた。

 朦朧と感動の中に、無我夢中でいる自分に気がついたのは、どっときた拍手喝采が起きたときだった。曲は終わったのだ。何と言う音楽だろう。今まで聴いたことのない、簡潔明瞭な清清しい音楽だ。これこそモーツアルトなんだと思わずにいられない。やがて会場に静けさが戻ったとき、次の曲が始まった。先ほどの余韻がまだ抜けきらないうちに。クラリネット協奏曲だ。

 クラリネットソロのまえに、モーツアルトはおきまりのイントロダクションがある。わざとすっとぼけたような展開で咳き込むようなリズムでクラリネットのお出ましを誘っている様はユーモラスだったが、クラリネットが何事もなかったようにソロに入ったときは、こんなことがあっていいものだろうかと再び驚いた。劇的でもなく華美でなくあまりにも自然すぎた。テンポもリズムも強弱も寸分も乱れることなく、メロディを歌いあげることもなく、まるで機械製造技術者のように演奏している。その軽快さと単純さが心の中までずんずん迫ってくる。自分の肉体の鼓動がこの演奏のリズムと一体になって、いつのまにか全てが囚われてしまっている。

 刻み続ける弦楽と木管のトウッティだけが人間味あふれるリズム感とクレッセンドを誇張している。バランスがとても妙で愉快だ。飾らないポーカーフェイスの淡々とした音楽。これがモーツアルトの真髄なのか。時代が変わって解釈もいろいろある。現代にマッチしたものも一味しゃれているが、この地で奏でられるモーツアルトはその全てを完全に超越していて、どんな細工も追随を許さない厳格さがあり、その感動は精神構造と機能を麻痺させるほどだった。

別稿   モーツアルトの思い出 2001・8 

 ザルツブルグで聞いたモーツアルトは、特別なものだった。モーツアルトは何回も聞いて、よく知っているつもりだったのは迂闊だった。当地を訪れたのが初めてのせいでもあったが、いつもと同じように、同じモーツアルトが聴けるものと思って期待していた。

 弦楽四重奏の導入部が流れ出たとき予期しない驚きで叫びそうになった。わが耳を疑ってしまうほど音が澄んでいて、リズムが整然としている。プロの演奏では当たり前だが、精密なハーモニーと躍動するテンポとリズムは同じようでも当たり前さが異なっていた。モーツアルト独特のシンプルな軽快さと、きっちり刻むリズムの中で奏でられるヴァイオリン群のスケールの切れ味が際立っていた。

 朦朧と感動の中に、無我夢中でいる自分に気がついたのは、どっときた拍手喝采が起きたときだった。曲は終わったのだ。何と言う音楽だろう。今まで聴いたことのない、簡潔明瞭な清清しい音楽だ。これこそモーツアルトなんだと思わずにいられない。やがて会場に静けさが戻ったとき、次の曲が始まった。先ほどの余韻がまだ抜けきらないうちに。クラリネット協奏曲だ。

 クラリネットソロのまえに、モーツアルトはおきまりのイントロダクションがある。わざとすっとぼけたような展開で咳き込むようなリズムでクラリネットのお出ましを誘っている様はユーモラスだったが、クラリネットが何事もなかったようにソロに入ったときは、こんなことがあっていいものだろうかと再び驚いた。劇的でもなく華美でなくあまりにも自然すぎた。テンポもリズムも強弱も寸分も乱れることなく、メロディを歌いあげることもなく、まるで機械製造技術者のように演奏している。その軽快さと単純さが心の中までずんずん迫ってくる。自分の肉体の鼓動がこの演奏のリズムと一体になって、いつのまにか全てが囚われてしまっている。

 刻み続ける弦楽と木管のトウッティだけが人間味あふれるリズム感とクレッセンドを誇張している。バランスがとても妙で愉快だ。飾らないポーカーフェイスの淡々とした音楽。これがモーツアルトの真髄なのか。時代が変わって解釈もいろいろある。現代にマッチしたものも一味しゃれているが、この地で奏でられるモーツアルトはその全てを完全に超越していて、どんな細工も追随を許さない厳格さがあり、その感動は精神構造と機能を麻痺させるほどだった。

  ザルツブルグ

2001年 8月 ヨーロッパ取材旅行

初めて、ザルツブルグへ行った。

モーツアルトを聞くためにわざわざザルツブルグまで行かなくてもとお思いでしょうか。とんでもない、それが私の人生における最高の願望の一つであったのです。

 舞台装置が整ってはじめて、その演出は生きてくるものです。先入観や異常な思い入れがあるのは承知ですが、それでもやはり切ないほどの感動でした。

 モーツアルトは、ここで多くの名曲を書いたのだと実感しました。   ⇒⇒⇒