パブロ・カザルス
「仕事と価値のあることに興味は尽きない。日ごとに私は生まれ変わる。私は毎日再び始めなければならない。」
この言葉の意味は深すぎる。あの名手にしての言葉ではあるが、極めることへの情熱は計り知れない。天才はそれを確かなものにするために、凡人には途方もない努力と気力が伴わなければならないことを思い知らされる。まさに、鬼気迫るものを感じる。
ベートーベン不滅の恋人 2007・4・10
これは永遠のなぞとなっている。いろいろな説があるが、それは遺された名曲の所以を知るためにも貴重だ。しかし、現実にはその価値に変化をもたらすものは何もない。ピアノソナタの「月光」が素晴らしい。また「熱情」も胸を打つ。これらが、テレーゼやジュリエッタに捧げたかどうかはあまり意味はない。崇高な音楽だけが孤高に生き続けているのみである。
ベートーベンに普通の恋愛があったかどうかは興味深い。それは人間味を知ることによって更に身近に感じることが出来るからである。アントーニアの様子を知れば、当時の桎梏(しっこく)な愛は理性で阻まれている事に不満はない。不倫はない。それゆえにベートーベンが人妻に思いを寄せることは、不思議なことではない。しかし、その狂おしさは想像を絶するが、名曲の華麗さからは到底推し量ることは出来ない。したがって、人間味にはどうしても触れることが出来ないのだ。
ベートーベンはロマン派でもあり、古典派でもある。音楽性をきっちり色分けすることはそれほど意味はないが、自然にその流れは定められる。しかし、ベートーベンは音楽の革命を常に意識していることから、それまでの古典派の作曲家とは完全に一線を画している。これは確かにベートーベンであるが、過去のベートーベンを超越している。恋の狂おしさから完全に解放された不滅の恋人の存在が伺える。第4交響曲のように、ロマン派の息吹が聞く者の身体中の血潮に湧き上がるものを感じさせないではいられない。ベートーベンはこのとき、不滅の恋人に出会っているのだ。
注:桎梏;厳しく自由を束縛すること
モーツアルトイヤー・ファイナル・ガラコンサート
2006・12・10 正機
家族でモーツアルトガラコンサートに出かけた。ぎっしり満席だった。ガラコンサートはモーツアルトの生誕250年を記念するもので、聴衆は全てこの日を楽しみにしていたに違いない。
最初の曲目はホルン協奏曲第四番変ホ長調だ。ホルン奏者はヨハネス・ヒンターホルツァー。初めて聞く名前だったが、そのすらりとした容姿から迫ってくる華麗なテクニックと迫力に、心の準備さながら、完全に魅了されてしまっていた。完璧なプロの演奏だ。型破りなカデンツァの見事さは圧巻そのものだった。
たとえ、どんな秀逸な演奏であっても、コンサートで驚くことはめったに無い。意外だった。その驚きはホルンの重音奏だ。重音奏といっても複数の人が演奏するものではなく、ソリストが二つの音を同時に出すのである。繰り返すが、ここで聴いたのは、一つは低音を、一つは高音を、一人のソリストが同時に発したのである。まさかと耳を疑う。どんなテクニックなのか、驚きだ。弦楽器やピアノでは二つ以上の弦や鍵を同時に弾く奏法は知っている。弦や鍵が複数あるから物理的に可能なことも分かる。しかし、一人のホルン奏者が二つの音を同時に出すことなど、それが空想やアイデアであったとしても、頭の片隅にさえ浮かんだことがない。ああ、またまた、人生ここに来て、どう考えても解決できない問題を抱えてしまった。
モーツアルトのホルン協奏曲といえば、全四曲ともほとんど完全にそらで歌えるほど身についている曲だから、演奏会では各パートとの緻密なアンサンブルの妙まで聴き分ける余裕があったはずなのに、全く意表を衝かれたのである。もう一つはホルン音域最低音の響きの美しさだった。高音のトリルを華麗に吹いたり、低音、高音を交互に早いテンポで演奏することはあっても、カデンツァで最低音の響きをひけらかすように演奏することも稀だ。ヒンターホルツァーはモダンホルンだけでなくハンドホルンの名奏者でもあるそうだ。全てのホルンの音域を意のままに困難さから解放した。その昔、好きだった名ホルン奏者のデニス・ブレインや日本の千葉馨らとの比較は出来ないが、新しい領域を切り開いていることに気がつく。ホルンも進化し続けているのだ。ホルンが進化すればモーツアルトも進化せざるを得ない。しかし、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院に学んだ音楽家であることは重要だ。モーツアルトそのものの音楽は頑固なまでに継承し続けている。あくまでもリズムは厳格に、そして歌うところは節度を持ってやわらかく、まさに王道を行く極致だ。
最後に聴いた曲がジュピター。これほど鮮明なジュピターは記憶に無い。はじめの出だしは簡潔であったが、それは機械的、客観的な簡潔さではない。聴き手の心の扉を開き、かまわずずんずん入ってくる。他人行儀なところが無い。ともに音楽を楽しもうとばかりに、たちまち虜にしてしまう。ところが、その次に現れたモチーフに唖然とする。テンポががらりと変わったかのような優しさが伝わる。それは単に優雅とか華美というようなものではない。自然にはいっていってしまう誘惑の夢の世界なのだ。ここから聴衆はこぞって夢をみることになる。第二楽章に入りいよいよ頭が朦朧として、無意識状態を意識する。何度、無理やり放心状態から覚めるように気を取り直して戻っても、自分の意のままにならない無意識は再びばねが戻るように彼方へ行ってしまう。変化するメロディーの新鮮さに触れるたびに、天才たる作曲者の多彩な表情を垣間見ることができる。第三楽章の格調高いメヌエットから、第四楽章モルト・アレグロに入るとき、ほとんど間を取らないのが普通だ。演奏者も聴き手にもこの時点ではまだ疲れは無い。蓄えたエネルギーがみなぎっている。全ての人が生命力を感じる瞬間なのかもしれない。「ジュピター」。神々しいその名の通り歓喜の渦の中に曲は終わった。なんと幸せな時間だったのだろうか。何と充実した時間だったのだろうか。素直に生きている喜びをかみしめることが出来る。音楽に浸ることの喜びは何物にも変えがたい。新しい内面を得た気分だ。その心をもたらせたモーツァルトに触れた喜びは人生の最大の収穫だ。
「奇跡の演奏会」 正機
「巌本真理」といえば、今でも人々の心に残る名バイオリニストだ。まさしく憧れの的であった。たとえ偶然でも、実物に会うことなど奇跡と思われたのに、なんと、わがアマチュアオーケストラと競演したのである。1966年、第七回定期演奏会のことだ。曲目はブラームスのドッペルコンチェルト(バイオリンとチェロのための二重協奏曲)で、チェロは名手黒沼俊夫氏である。二回ほどリハーサルにこられた。エキゾチックな雰囲気の中の高貴の人はすぐそばにいたが、遠くの景色でも見るようにしか、雄姿を拝見する事ができなかった。
演奏会の前日のリハーサルでは、当オーケストラとは関係のない人が多く来て、サインを貰うやら、なんやかんやで大騒ぎだった。
巌本真理は有名だったが、初めてその演奏を生で聴いたとき、全てを超越する新しい境地を感じさせた。驚いた事の一つはそのバイオリンの音が異なっていたこと。耳を疑ったのは強烈な音量である。ホルンやトランペットに引けを取らない響きがあった。ピアニッシモにも心の鼓動は厳然と伝わり、この演奏家は世界という冠号を常につけられる意味も存在もなるほど当然と思われた。それだけではない、巌本真理は尊敬できる真の音楽家だった。下手なアマチュアオーケストラに不満そうなそぶりを一つも見せず、しっかり取り組む姿勢にも感動した。こんな名人と同じ曲を共有できる時があるなんて。誇らしく、心は有頂天だった。
ブラームスの曲はどれも、当時の学生オーケストラではテクニック的にとても難曲だった。ドイツ・ロマン派といわれるブラームスは、ベートーヴェンなど古典派の影響も強く受け、それを頑固に踏襲しており、一見古典派にも思えるが、自身の環境の変化など新規一転した後半の作風には、まさに後に開花するロマン派の息吹が見える。四つの交響曲は全て大作だが、そのメロディやハーモニーの奥深さや重厚さは聴くたびに神秘な世界に引き込まれる。一生独身を通した境遇から表れたのか、諦観と孤独の影のような響きは、内省的であり極めて瞑想的でもある。これがブラームスが哲学的といわれる所以であろうか。
ドッペルコンチェルトの第二楽章のテーマは「ソードー、レーソー」のわずか四つ音で始まる。一つの音がゆっくり2拍ずつ階段のように音が上がる。「最後のソ」は「最初のソ」より1オクターブ高くなり、ゆったりした伸びやかに到達した印象になる。このテーマ「ソードー、レーソー」が実は独奏バイオリンと第1ホルンのユニゾンである。リハーサルでは何気なくやっていたが、本番は画期的だった。あの本物のプロフェショナル巌本真理がただのアマチュアのホルン奏者である私の方をしっかり見据えて、目で合図を送り、おもむろに音を出した。硬直しながら無我夢中。憂いを秘めた伸びやかなバイオリンの音にあわせて、ホルンの音も実に朗々と、静まり返った会場に響き渡った。息が完全にあったこの出だしは完璧だった。あの世界の巌本真理とブラームスの音楽によって心が通じた瞬間となった。その後は独奏バイオリンと独奏チェロの独断場で、私のホルンの役割はほとんどなく、感動と興奮の余韻にふけったまま曲は終わった。
全てのプログラムが終わって、まだ呆然としている自分がふいに我に帰ったのは次の驚きのためであった。あの巌本真理が私の目の前に立っていたのだ。練習、本番と終始厳しい顔を崩さなかったあの人が、にこやかに手を差し出している。思わず両手でその黄金の手を包んだ。凛としたその手からほのかな温かみが伝わった。 完
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